かいふう

近未来への展望や、如何に。

TVの面目躍如.その46。

kaihuuinternet2007-08-19

テレビ朝日. 「日曜洋画劇場 40周年 終戦特別企画 出口のない海」 午後9:00〜
先月だったか、予告で流すと知って、見損なったか、と気落ちしていたら、本日でした。他局で某俳優さんがマスターズクラスの陸上某種目新記録を視てから、チャンネル変えて、続けて観た。
原作は読んでない。「出口のない海」、この題名からでは、どんな映画かはわからない。終戦特別企画で、もしか。そして、ポスターやら、解説やらで、たどり着く。
自分が少年時、モノクロ画面で多分TVで観たのは、「回天」という名称が題名の中にあった。思い出すのは、主演者のひとり木村功さんである。上手いとはおもわなんだが、強烈な印象が残った。素人っぽい、が迫真なのである。「真空地帯」の西村晃さんの鬼上官役にも驚いたが、こちらは題材が海軍で、違う。
でも、どちらの俳優も、九死に一生を得て終戦を迎え、悪役で、あるいは真面目役で、死んだ戦友をおもい、演技している。
だから、モノクロ画面の中の、殉職する軍人さんたちは、少年にとって皆英霊なのである。
それが、戦後30年、更になお30年経過して、製作して、どう観客を捉えるか。
日曜洋画劇場、といえば淀川長治さん。彼からサインをもらった。そして水戸黄門も演じた西村晃さんにも一度お会いしてるので、どんな仕上がりか、とこじつけたいのである。
脚本は山田洋次さん、冨田元文さん。こちらもそそる。
山田洋次監督の「寅さんシリーズ」は、柴又駅前に渥美清さん扮する銅像が建つ、神話にまでなった。
それが、何時突如として、侍物に進路変更なって、更に観客動員を絶やさなかったか。
ある国の権力者が観ていた喜劇を、それは主演俳優の病死でシリーズ終了、だけではあるまい。殺陣が必見の武士道が、路線となった。
時代を反映するのは、歌謡曲や女性のファッションだけではないだろう。
名匠とか重鎮とかの評価が定まった方々は、更に名作をつくり、あるいは業績を積む。
製作実行委員会なるものに、今回はなはだ敬意を禁じ得なかったのは、出来た映画の、評価と等しい。
少年に、どうやって、リアリズムを示すか。いや、その時代を示すか。
この映画はカラーである。それも、リアリズム要件のひとつである。
一度母船たる潜水艦を離れたら、もう戻れぬ。だから、潜望鏡を当てる艦長室は要る。待機室も要る。潜水艦の機器機械室も要る。それに、その海域までの艦橋も要る。メカのリアリズムも、そのひとつである。
母船があって、主人公が乗る潜水艇が操舵室がない訳がなかろう。それで、回天の狭い機器だらけの操舵室が要る。そして主人公が事故死殉職する、訓練を重ねる回天艇も要る。リアリズムだ。
監督佐々部清は、力量を発揮した。
歌舞伎界の御曹司を起用しての、特攻兵器の搭乗員。やや栄養優良児で、英霊になる学生の鬼神の表情は、隈取無しで務まるかな、とおもいしが、一度生還を果たしてからの訓練事故死、という結末での痩せて眠る操舵室で、こちらの取り越し苦労とわかった。
市川海老蔵さんが父とのパリ歌舞伎公演は、この映画の後であったろう。
艦長役の香川照之さんも、この映画では、「誰か故郷を想わざる」♪の聴き役だったのが、後TVで別の歌を唄う兵士になるのだった。
脚本の両者は、主人公の家庭での食卓の団欒やら、駅の出征列車の見送りやら、突如空襲防空壕への避難やら、戦時下の庶民の日常を漏らさず載せたが、それらのカラー画面は、TVのおそらく液晶かプラズマかの大画面での家庭受信では、映画館の暗闇で見損なった、お茶の間観客をも釘付けにする、効果が大であったろう。わずか1年で放映されたことに、意義を見出すものであろう。
還暦は、その年月というものは、その長さは、ひとりこの国のものではない。この艇の当時敵国、その国の国民的作家の作品の中にも、ロスト ジェネレーション、なる語彙は見つけられる。
だから、主人公とキャッチボールした整備兵は、白髪の老人として、離れ小島の基地の隧道を抜けて、鎮魂の海にボールを投じることになるのだ。
戦中派にあらず、この映画を少年にて観るに当たわず、の世代は、どうすればよい。
だから、モノクロの映画と、今年このカラー映画、それらを共に観たということで、幕としよう。
主人公の艇内メモ書きの遺書。『ぼくは海 ...』は以前どこかで視たか読んだかした。それで、靖国神社編の二冊を開けてみたが、それらしい方は見当たらない。
この主人公が実在の人物か、確認していない。記憶させるべきは、そういう彼らが実在した、ことなのだから。
かって、「英霊たちの応援歌」では、近藤清なる捕手は確認した。
だから、自分としては、野球というスポーツで、魔球という不確かなもので、ラストにボールが海へと投じられるのが、やはり昨今のプロ野球の太平洋を隔てた各選手の交流と活躍、それに気を使った選択、におもえてならない。
佐久間艇長の事故死殉職は、時代がもっと前である。彼もメモを残したが。
時折、どうしても、そういう書物を紐解いてしまう。すると、そこには、モノクロ写真で、こっちに問い掛けてくる彼らが居る。
不思議だ。兄貴と慕っていたかとおもうと、もう息子におもえてしまう。
彼らは若いままだろう、彼らを見る者が居る限りは。若い彼らが居たことを、発見する若者がいる限りは。

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かって、その小島を訪れた者がいる。
その直前、知覧に寄り、その会館で小冊子を手にした。それは、ある名簿である。それを、あるところに忘れた。
その小島の、黒塗りの艇が屋外展示の会館に寄り、その丘から下りる時見た、ひとり若い女の後姿。内海を渡り、駅の電話から問いただした小冊子の在り場所。後姿の若い女は、届けに来たんではないか。
若くない自分に、その小冊子はもはや渡さずによい、と判断したんではないか。
そうだ。小島に渡る時、疲労から躊躇する自分に、切符売り場の老女は無言のまま、自分の方を見ていただけだ。老女も、老人でない自分を、彼女が若い時分のそれとは合わない自分を、その小島に渡す、とはおもえなかったんだろう。
その老女と、若い女の判断を、よしとする。
そういえば、ある大都市の繁華街のガソリンスタンドで、ふと見掛けた後姿の人は、ロケハンの山田監督におもえてならなかったんだよね。