かいふう

近未来への展望や、如何に。

気障な輩と付き合うより、お気に入りの障がい者。

無料だからか、迷惑メール。
暴力団は解散。チンピラはお断り。
特急は終点。それを、やれ暴力団の正義だとか、チンピラ王子だとか、暇ぬかす輩がいるから、困る訳だ。
そんな余暇、もはや持ち合わせて無い。
借り貸し無いこと、これが一番。借り貸し無いんだから、からかい、もしくは言いがかり、の類と判断する訳だ。
からかい、もしくは言いがかり、は無くていいこと。辞書に載ってるからと、何もかも実践することはないだろう。
また、それらは、する方も、される方も、気持ちよいものではない。誤謬の範疇に入るものだろう。そして、誤謬はなるべく避けるような生き方をすべきと考えるが、これには皆賛同して頂けるだろう。ならば、そうすればいい。難しいことじゃない。
ところが、気障を売る人がいる。無料でも要らない。でも、それが気障か否か、受け取る人の感情や気性の問題だから。それで、意気投合したとか、波長が合うとか、それに帰するんだろうな。その反対もある訳で、そこで意地や、見栄張ったりするんだろうな。
だから、お互い気障と感じたら、無理を通すより、離れて、お気に入りの障がい者みつけて、彼らと仲良しになった方がいい。
しかし、保証しないよ。彼らもあなたを気障と感ずるかも知れないからね。
たとえば、点訳できないただの読者とか、手話できないただのジェスチャーとか、車椅子載せて運べないペーパードライバーとか。
別に、読者やジェスチャーやペーパードライバーが、気障だと言っている訳ではない。そこに在る有用性のことだ。
チンピラ王子がネットで在るも、有用性を誰が問う。
つまり、結論を言えば、ネットチンピラは王子だろうと、気障な輩、ということさ。有用性が無なんだから、ましてや有効性など。
ネットチンピラは王子になろうとせず、廃業することだ。
つまり、無料に溺れて、迷惑メールを送りつけないことさ。何が迷惑メールか、送り先を考えることだろう。