かいふう

近未来への展望や、如何に。

それ、デモエピ?「ローマ法王ベネディクト16世、世界貿易センタービル跡地で祈り。

【ニューヨーク=佐々木良寿】訪米中のローマ法王ベネディクト16世は20日、2001年9月11日の米同時テロの現場となったニューヨークの世界貿易センタービル跡地(グラウンド・ゼロ)を訪れ、鎮魂と平和の祈りをささげた。

法王は祈りのなかで、「憎しみにとらわれた人々を慈愛の道に導きたまえ」と述べ、暴力の放棄を訴えた。

ローマ法王が跡地を訪問するのは初めて。遺族らの代表二十数人が招かれた。
(2008年4月21日読売)
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部外者の自分が、バチカン市国の国王でもあるローマ法王を、ハレー彗星の接近になぞらえて、最も身近に意識したのは、前法王ヨハネ・パウロ2世だろう。
20世紀は、戦争と殺戮の百年ではあった。近代兵器と、桁違いの将兵動員と、破壊の後の廃墟の山河であった。歴史家が、政治家が、冷静でいられるのは、地球上の他の大陸のあるいは戦線の前線兵士の総員数を、指折り数えないが為に過ぎない。
司馬遷は、史記を残す為に、宦官に甘んじた、は誤解だろうが、ならば、歴史家が、後世の為と称して書斎に籠もり、著述をもって、兵役を逃れんとするは、家名の恥と括ろうか。
戦場カメラマンは、その記録を残すからと、流れ弾が避けてはくれぬ。従軍記者は、歴史家ではないだろう。
雑談してしまった。
「ファティマ第三の秘密」、これが、第一次世界大戦の前後、欧州のとある聖地で、マリア様が現れて、ある素朴な少女たちが預言するから、遠い東洋の、受験勉強科目で世界史を取った者さえ、歴史マニアになってまで、その結末を、世俗の視界から、何時だと、徹夜で目を腫らして、想うのである。
その身内の修道士まで、開かせ、と逆らいし、後日の大事件とは。
その、降り懸かる受難を引き受けたのが、前法王ヨハネ・パウロ2世だったのだろう。たしか、バチカン市国が事件後、未だ傷の癒えぬ主を信者たちが窓の外から祈り続けて後、結論を出したのであろう。その時点で、ローマ・カトリック信者の世紀の関心事は、凶弾に倒れた方が誰であるか、全世界に知れ渡った瞬間から、幕を閉じたのだ。
部外者の自分には、それが、ヨハネパウロ、という二人の殉教者の名を戴いたが故か、わからぬ。
それでも、前法王ヨハネ・パウロ2世こそが、同時代人として、来日時広島そして長崎で、赦しと平和の祈りを残したのだったろう。彼が後遺症が残る襲撃の被害者は、カトリックの内の難事であったにせよ、広島、そして長崎での祈りは浦上天主堂に象徴されるがごとく、だがその信者のみにではない。実に、被爆者全員に、その家族たちに、そして全世界に訴える種類のものであったに相違ない。
それらの事が、どちらが先かは、どうでもいい。その二つの出来事で、記憶する。
故に、自分には最も身近に感じた、ローマ法王なのである。
原点をそこに、自分は置いた。戦後生まれだけれど、この国は、歴史をそこから、塗り替えたのだ。否、させられたのだ。そう、おもっている。
自分は被爆者ではない。放射能の後遺症もさらさらない。
日毎の病気や、だるさや、やる気無さを、それに結び付けて考え感じなくてもいい。

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先日、ヤンキースタジアムで、ローマ法王が祈ったという。それは、在米のカトリック信者たちに対してであろう。
しかし、平和だからこそ観戦できる球場で祈って、歴史的場所となった世界貿易センタービル跡地で祈らないならば、順序がたしかに違う。
だから、この後になったニュースで、感じたのは、やっぱりね。
欧州、そして新大陸。それも北米。分けているのである。そのそれぞれのクリスチャン史で、分けているのである。

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新世紀。アジアだ。注視すべきは、未だ後遺症の残るアジアだ。
ヒットラーでもない、ムッソリーニでもない、チャウセスクでもない、そしてこの前倒された、もう名も忘れた彼でもない。
チベットもにわかに浮上して来た。目覚めて、注視しないと。