9.11。訪米が教皇、死す。
ウクライナは、どうなるのだろう。
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ベネディクト16世が、バチカン市国で死去。
【パリ時事】伝統的なカトリックの価値観を重視し、欧米で広がる世俗化を戒めた前ローマ教皇(第265代)のベネディクト16世が12月31日午前9時34分(日本時間午後5時34分)、バチカン市国で死去した。バチカン(ローマ教皇庁)が発表した。95歳だった。2005年から13年までの在位中、バチカン内部の権力闘争や聖職者による児童の性的虐待が次々と表面化し、カトリック教会の求心力が低下。教皇としては約600年ぶりに自分の意思で存命中に退位した。
バチカンによると、葬儀は1月5日午前9時半(日本時間午後5時半)、バチカンのサンピエトロ広場でフランシスコ教皇により執り行われる。
本名はヨゼフ・ラツィンガー。1927年、ドイツ南東部バイエルン州マルクトル生まれ。ミュンヘン大司教だった77年、枢機卿に就任。教皇ヨハネ・パウロ2世の死去に伴い、05年4月に78歳で教皇に就いた。
女性聖職者や同性愛、中絶・避妊を否定し、男女間の結婚に基づく伝統的な家族観といった保守的な考えに強くこだわった。一方で、ツイッターなど新たな情報発信手段による布教を試みた。(時事)
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1927年生まれは、第一次世界大戦と、第二次世界大戦との狭間にあって。
ミュンヘン会談が、10年後。多感な不安な少年時代を過ごされた、とおもう。
私は、つねづね。ローマン・カソリックとは、70年周期の、コメット彗星と地球。
その喩えで、法王との。そのめぐり会わせを、軽いが云ってきました。
それは、ヨハネ・パウロⅡ世その彼であって。故に、その彼が前後の法王には、さほど、記憶がない。
されど。現教皇と、ヨハネ・パウロⅡ世との間。その在位に無頓着という訳にはいかず。此度が悲報、現戦争中が彼等が、それでも祈るなら。わたしも、負けずに祈らねば。
そして、あの。私が主観現代史。9.11が始まり、と公言した手前。
その歴史的大事件、転換点に遭遇した彼。慎んで、悼みます。
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インターネットを、積極的に使用。それも、親しみを憶えました。
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「ファティマ第三の秘密」、その案件がらみで。ヨハネ・パウロⅡ世暗殺未遂事件。
既報、周知がごとく。部外者からが視点。案件先送りが、カトリック教会の更新決定。
それ故。ヨハネ・パウロⅡ世が法王と、現教皇以降が呼称教皇のみ。
然れども。ベネディクト16世、存命中が譲位。故に、ここでは、教皇と記載。
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