かいふう

近未来への展望や、如何に。

それ、デモエピ?JR福知山線脱線事故から3年。

kaihuuinternet2008-04-25

兵庫県尼崎市ので、業務上過失致死傷容疑で捜査する兵庫県警は、JR西日本幹部の刑事責任の有無を、今夏までに最終判断する見通し。

これまでに延べ3万4000人の捜査員を投入。昨年から今年初めにかけて、山崎社長や事故当時、社長だった垣内剛・顧問(64)ら現・旧幹部らを相次いで参考人聴取した。

一方、同社は今月1日、新たな安全基本計画を制定、企業風土改革に取り組む。補償交渉の成立は遺族の約2割、負傷者の約7割にとどまっている。(読売)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
3年経ってしまいました。
このブログの期間と並行して重なるし、それに時代の違いを感じます。
戦後昭和の旧国鉄の、下山事件三鷹事件、そして三河島事件。それらとは、性格も異なるだろうし、大体親方日の丸の労働組合の、係わり方が違うでしょう。
この事件、平成、そしてJR民営化後。それは、全国分割された各地域JRが、営利会社としての性格を強めて、競合組織としての比較を底流では意識もした、企業の効率化と過密スケジュールを、会社存続の目標命題として訓示した事でもあったでしょう。
無事故無違反。起きなければ、それで過ごせていいんです。
無事故だった。違反の方は、社内規定で、日勤教育なるもので、矯正した。
しかし、大事故が起きて、過密スケジュールが、時刻表を読解できる鉄道マニアだけの知るところでなくなって、それに、旧国鉄の悪弊がごとき旧態以前体質、日勤教育なるものを引きずりが、露見するに及んで、部外者の者でも呆れる非効率の再教育であることが想われた。もしかして、それは、しごきといじめではないのだろうか、という。
亡くなった会社側若い運転士の事故前の、その再教育なるものが、実は如何にも非効率の不合理な期間ではなかったか。その思い出すに苦痛な制裁を避けようと、かくも無謀な速度超過で、その事故現場カーブを、死へと乗客もろ共突進してしまった。
若い運転士の、目視の判断の誤まりと、同乗車掌への手前駅停車位置のミスへの懇願の甘え。それらより、再教育とは呼べぬ制裁への恐怖に近い嫌悪感が、要因の軸足に移ってしまう。彼の運転技能の未熟を責めるより、運転士たちに、そのような勤務体制を強いる、企業側責任が強く問われるのだろう。
亡くなった会社側若い運転士も、広義の感覚でいうなら、被害者かも知れない。
感受性ある若い人が育つには、会社にそういう自由な気風が気流として、感じられないと、息苦しく、それが職場の技能発揮にも影響するだろう。
懲罰を受けるやも知れぬ圧迫感が、あの時の運転室で彼の呼吸を乱し、正常な運転操作から軌道を外し、惨劇に到ってしまった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「その場編集」モードを、はじめて使用。使い勝手はよくなった。