かいふう

近未来への展望や、如何に。

新潟県中越沖地震、10年。

イエス

死者15人、負傷者2346人を出した新潟県中越沖地震は16日、発生から10年を迎えた。同県柏崎市では、同市と刈羽村主催の合同追悼式が行われ、遺族ら700人が参列した。合同追悼式には遺族のほか、米山隆一知事らが出席。地震が発生した午前10時13分に黙とうをささげ、献花した。参列した柏崎市の猪俣宏さん(56)は、同じ高校教諭だった父を失った。「長いようで短い10年。父の背中は10年たっても追いつけない」とかみしめるように話した。母を亡くした元井春夫さん(62)は九州北部を襲った豪雨に触れ、「災害は常に起こると肝に銘じて準備をしなければ」と強調した。追悼式には東京電力の小早川智明社長も参列した。東電は柏崎刈羽原発の再稼働を目指しており、原子力規制委員会が審査を続けている。小早川社長は献花の後、報道陣に「できる限り地元に足を運び、理解を深めていきたい」と述べた。2007年7月16日に発生した中越沖地震は、柏崎市刈羽村などで最大震度6強を観測。柏崎刈羽原発では、3号機の変圧器で火災が発生するなどの被害が出た。被災者向けの災害公営住宅には6月末現在で、120世帯202人が入居している。(時事) 中越沖地震では「緊急時対策室」が入る建物が損傷し、情報伝達の遅れにつながった。免震重要棟は09年、中越沖地震と同規模の揺れに耐える免震構造の拠点として完成。福島第1、第2原発にも建設され、11年の原発事故では現場の司令塔として役割を果たした。しかし今年2月、東電が免震重要棟の耐震性に問題があることを把握しながら、規制委に誤った説明を続けていたことが発覚。東電は免震重要棟を「サポート設備」と位置付け、5号機の原子炉建屋内に「緊急時対策所」を設け、新規制基準が求める事故対応拠点とする方針に転換した。(時事)----紛らわしい、と思った。【新潟県中越地震】。【新潟県中越沖地震】。どちらが先だったか。ここで終わった、ならまだしも。この後、太平洋岸に移って、【東日本大震災】へと続いたから。ボクシングなら、ストレート!、ボディブロー!、そして止めのアッパーカット!!少なくとも、本州の半分東日本はノックダウン!!不可視の【放射能汚染☢】。前代未聞の【国難