かいふう

近未来への展望や、如何に。

国技館にて。その1

国技館

他国の国技について、その数と名称を挙げるは、しない。それで、この国の、ならば国技とは何ぞや。問われれば。先ず浮かぶは何だろう。国技館がある。そこで、興行されてある、しかも定期的、毎年恒例。解答は、大相撲に異存なかろう。先の大戦、夏に、天皇皇后両陛下ご臨席の下、武道館にては戦没者追悼集会。で、戦前から、同様に興行。場所を変えても、国技館では大相撲なのである。
戦後、名力士が土俵上で、幾多の名勝負を、観客、テレビで国民に、披露した。筋骨形もあんこ形も、雲龍型と不知火型の、東西横綱にファンは熱い声援を送った。伝統と格式。江戸時代から残る歴史。力士とは、武家に馬、街道宿場に駕籠かき、農家に役牛。石高の時代に、米俵を軽く運べる、重宝される人材ではあったろう。たとえ、崩れでも用心棒の職。最も警備職。木造家屋が密集の町人長屋。町火消と同様、尊敬の職業であったろう。

そして今、その国技館が在る、両国界隈が不穏な空気に満たされてある。最近、その下町、門前仲町の由来の数百年の神社で、物騒な血痕事件も。その境内には、力士と記名の石碑もあることだし。
少年時、自宅周辺の空き地で、町内会の少年相撲大会も、記憶してる。
その当時、モノクロ画面テレビで、千秋楽の大一番は、「栃若」の両横綱の対決であった。
両雄共小柄だが、得意技を持ち、力量互角で。水入りもあったりして。観客を楽しませる貫禄、容姿、気迫があった。戦中を生き抜いた、その忍耐を土俵上に引き継ぎ。さりとて、平和の中の、でも勝負事なんだ。たとえ、日本人同士であっても。