かいふう

近未来への展望や、如何に。

東日本大震災から、7年。

イエス

東日本大震災津波で児童・教職員計84人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小の旧校舎には11日、遺族や県内外の人が追悼に訪れ、多数の命が失われた深い悲しみに包まれた。午後2時46分、紫桃隆洋さん(53)は、亡くなった次女千聖さん=当時(11)=が学校生活を過ごした5年生の教室で黙祷(もくとう)。「午前中はお墓参りをして、頑張っているよと報告した。娘に対する思いだけでやってきたが、成長した同級生を見て、7年という時間を感じた」と思いを語った。息子を亡くした遺族会会長の永沼由美子さん(47)は慰霊法要で「今日は子供たち、先生、学校のことをたくさん思い出して祈りたい」と呼び掛けた。(産経)
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先ずは、Wikipediaで読む。被災者で、死亡者が一覧表を見ると。東北三県、宮城・岩手・福島である。年代別には、40代以降〜80代以上までもが、各4桁を越える。働き盛りの担い手が、主として港湾漁業従事者か。そして、震源地海域に近い沿岸に居宅の高齢者だろうか。宮城県北東部から、岩手県南東部のいわゆるリアス式海岸を走る鉄道の各駅など、視察見学した限りでは、鉄路が流された程。従って、駅前商店街どころか。内陸部までもかなり浸水の被害者数である。
もうひとつ別の観察が要る。それは、放射能汚染の状況地図である。眼に見えない、不可視の問題故。日替わり風向の、漏れ発生元の福島第一原発から。3ヶ月、6ヶ月、そして1年。更に3年とか。漏れた放射性元素は30種類にも及ぶ。この件を強調するなら。原子力発電所の関連施設等の損壊では、福島の次は茨城県であろう。茨城県東海村研究所の被害状況も、あと少しの際どい現場だったらしい。福島の敷地内免震棟ができてた事と、その時非番の中堅職員が連絡、機転の対応が、功を奏した。
昨日が何の日か。それを記憶する者から言えば。終戦までの被災で。被爆地は、西日本に二県。しかし、7年前以後は東日本にも二県。放射能汚染状況とその除染作業等の重点施策は、当然東日本。太平洋沿岸であろう。意識も移転するのである。