かいふう

近未来への展望や、如何に。

あるパターンとしての、結果延命策。

皇居

それは、タレントとか資質とか、その範疇ではなく。キャラクターとかパーソナリティとか、それなんだろうね。英語で、ごめんなさい。それでも、無理強いしてまで、と思うのは、アイデンティティーが共通項、を免れないからだろうね。
昭和の或る人は、それを、「歴史」、「伝統」、「文化」と『遺言』した。非常にわかりやすい。小学校高学年にでもなれば。己で国語辞典引けば。載ってる。その事件は、その場所を、庁から省にも格上げしたし。後日の『血税吸血事件』では、その同じ場所から、法治国家の罪人を放逐したりもした。あれも、それも、発端のその事件が、彼らの真意や、【国難】への覚醒を、賭して決起した故。知るべき者は知って、よく応えた。対処した。
しかし、余りに生々しい。かって、司馬遼太郎さんは、「ノモンハン事件」は書けない、と云った。旧式戦車の搭乗員だった彼は、もしそれで、「ノモンハン事件」に遭遇したるは。想像するだに。作家の想像力が抜群であるが故。身近で、余りに生々しい。しかし、その戦時下の貴重な体験経験をば、後年、「街道をゆく」等著述活動で、実利とされた。
私にとっては、余りに生々しい。今でも。それで、それに対処するに。キャラクターとか、英語で、ごめんなさい。合理的に、然らば距離を置こう。その距離の置き方が。上書きして、奥に仕舞い込む。その衝撃的事件と同様を、「歴史」から見つけて、ある「伝統」の中から、そして「文化」となった物をして。その故人引力から、離脱する訳。
そのひとつを見つけた。「戦艦武蔵ノ最期」、それである。その中の一節。投下爆弾破裂により、その破片が飛んで来て、艦橋の指令室、若い副官か側近、彼の首を切り落とす。心臓は無傷、頸動脈が血潮をドクドク流す。この描写を読んで。「昭和都心の事件」は、脳裏で上書きされ、除外されずに。残した。
しかし、これでは、「しかり、しかり。」は得ない。更にもうひとつ、要る。相応しい距離感が為。また、別の場所がいい。
探して、見つける労苦など。物の数ではない。同様の用件だ。延命策としての、高血圧症への、鎮静化。
「日ソ中立条約」破棄後の中国大陸。平原を、集団帰国で逃げる日本開拓団、それからはぐれた少年がひとり。彼の背後には、駆ける馬上から。縄の先に鎌を振り回しながら、馬賊が狙う。次の瞬間、ひたすら前方を見て走り逃げる少年の首が飛んだ。
以上、二件を知って。終戦前後との判断から。脳裏で上書き、は為され。よって、余りに生々しい、から離脱する旨。

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現在、その大陸に在る国家とは、如何なる国。どの様な体制か。それが、当に今後の課題。近隣周辺に、何をしているか。
それらの事件は、然らば、どのような真実を含んで居るか。その真実は、恐ろしいものか。
ならば、どう対処すべきか。何故なら、未来はあるからして。