かいふう

近未来への展望や、如何に。

もうひとつの偶然、若しくは「奇跡」と信じる。

病院2

掲載写真は、先日のそれと対になってます。つまり、同じ病院内、しかも同じ病室内の事でした。K師終焉地。
お見舞いの折、私が入室するや。それを感付いた、病床のひとつにある伴侶とおぼしき患者に、付き添いの細君が、話掛けたのです。「お父さん。」。良妻賢母の決めゼリフだなと、別目的の患者名を探して、近ずきました。そして、そのお父さんの名札を見て。驚きました。○○は、あの集会所で、仲間になった、私が兄貴ズラできる、あの10年若い、青年の彼。それと同姓だったからです。あの当時、地方自治体の、福祉予算は、決して潤沢ではない。地域の集会所も、旧保育所とか。送迎の車が来れる範囲。私は、隣接自治体からの飛び入り。青年の彼は、その自治体居住か、某奉仕組織に属する、計画性ある取組です。
その病室に居る、その若く見える付き添いの細君に。「あなたの次男さんは、交通事故死しましたでしょ。」とは、声掛けられんでしょ。突然、初対面のおじさんから、そう云われても。正解を返答、の義務なし。そうでなくとも、身近の伴侶でさえ、昏睡状態。
結局、聞かずじまい。私が、一方的に信じる、事にしたのです。で、その出会いを、「奇跡」と納めたのです。
絶対、彼の母さんだ。そうでなければ。ボクのテンションは消える。途絶えちゃう。何故なら、その曲は、未完成。その日まで、信じる他ない。青年の彼の死んだ地。その県と、この病院は他県。
「確率論者」で居られるのも。未だ棄教してないクリスチャン故。この出会いの確率は、おじさんには「奇跡」なのです。
で、今は「梅干爺」ですが。ここに再掲も。そのテンション、持続。確認です。