廿日市で海風(うみかぜ)受ければ♪ 詞曲:ピーマン
1.ぼくはSL広場に居た きみは未だ居なかったんだね
あれから路面に乗り それから広島へ行った
資料館の拡大鏡から 眼を外して見たは 折りたたんだハンカチ
頭はパンクしそう 肘付き椅子に両肩G へたり込んだ
窓ガラス越しのドームと燃える火 さえぎった夕立に引かれてなら
旅行のジャージで 少女たち蜘蛛の巣散らした 置き忘れたハンカチ きみだったのかしら
それはたとえば 廿日市で海風(うみかぜ)受ければ たとえ秋でなくとも 誰でもきみを思い出すだろう♪
そうでなければ 白髪が生きるより 黒髪の少女が容易いを 誰も承知しはしない♪
2.ぼくは宮島を観た きみはもう廿日市っ子ね
あれから東京へ帰り 見知らぬ十字架探した
満ち潮の大鳥居から 眼を凝らして見たは 廿日市の港
日向薬師登り 岩階段両脚NG 座り込んだ
極楽寺のキャンプファイヤー 暮れ入る夕陽に照らされても
青春が始まり 少女たちはしゃぎ回る 眺めたんだ港 きみだったのかしら
それをたとえて 廿日間の長凪続けば きみが思い出をして 誰に言伝することやら♪
そうでなくとも 白髪は去りもする 少女の血はなお赤い 誰も承知しはしない♪
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関東に霊山、日向薬師あり。開祖は行基。近隣に飯山観音がある。ある専門家の文庫本。日本三大仏教師は、聖徳太子、行基、そして空海を選んだ。それで、行基さんだけ解せなくて。そしたら、霊山の始まりの人。頼朝公も来た、というので。行って、頂上目指すも。半ばでリタイア。階段の段差、石段でなく、岩段。そこまでが、バイク疲れ。心臓に来てた。数年前、本堂を平成の大改修、落成法要も今年らしい。ここだけで、行基の名声がある訳なく。西は廿日市市の極楽寺にあり。土木工事のタレント有、故に広く民衆庶民と共に、災害復旧に貢献した。
8月11日山の日に、霊山が出てきたことも、感謝するよ。
もうひとつ思い出した。〇子という名の少女が、死んだ。その理由は、男のクラスメイト等から、タコと呼ばれて、それを苦にしたらしい。親が付けてくれた名。私が若い時、本人の意思で改名する、その運動も起きた。本人が気に入れば、それで済む話。夕暮れとか、身近な歳にならんと。
資料館で、できるだけ頭に詰め込んで、クッションが効くに深々と休めた時。真正面に在る、悲惨な歴史の遺物。しばらく、それを注視して。この流れは、予め、設計者が。もしくは館長はじめ被爆者の方々が、共に策しての、この過程を想像しての事。そう思いました。それで、設計者を知ると、丹下健三。これ以来、建物を見ると、設計者の仕事にも関心が向く。東京都新庁舎、東京ドームホテルも彼の設計です。
設計にも、耐震等の構造設計。それに、外観等のデザイン設計。二つあるそうです。過日、東京タワー等を設計した、内藤多仲の墓を見つけ。弟子たちによる顕彰碑も。安藤忠雄が設計の茨木春日丘教会の別名は光の教会(ひかりのきょうかい)。
何と、計算ミスをしてた。もう使用しそうにない履歴書から、逆算して。すでに県内に居なかった。それで、訂正をして。これで、安眠確保と行きたい。彼女も、30代の初めです。