かいふう

近未来への展望や、如何に。

主日

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エス

32 また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。

38 わたしはわたしの父のもとで見たことを語っているが、あなたがたは自分の父から聞いたことを行っている」。

                      ヨハネによる福音書第八章32・38

 16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

                         ヨハネによる福音書第三章16

 

28 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
29 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。

                     マタイによる福音書第十一章28~30

 

 番外編の番外。

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意外な表題から、何を想いますか。

半世紀前。「例外中の例外。」という言葉を、受け取りました。

受け取った者は、それが誰に向けてのそれか。十分、承知した次第です。

発した彼が、ご存命か。存知ません。でも、時効でしょうから。

ある難題の、解答に。参考にでも、用います。

彼が、その口外は、彼が責任を負う業務上のそれで。前例が無いが故、思わず口から出たのでしょう。それは、彼と私との、極限られた情況。その下での、彼の判断です。

加えるに。広義の、状況なるものも、あります。この例は、学部が、情況であり。更に広範囲が、状況でしょうか。学校全体が、自治VS公安部隊要請。理由が学費値上げか、校内テロ鎮圧か。よう、わからん。

ですから。筆記試験が無く、レポート提出。それがらみで。学部事務VS私的シュルリアリズム。学生が、ワン・ノブ・ゼムが私ですから。学部側は、苦学生は否か、判断しない。まあ、巻き添い食った方だと。

裁判所外、の情状酌量、って処。母校と思って、すがるから。

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ここで、今あげるは。

異教徒の、それ。戦争未亡人が、ひとり。そして、もうひとり。

 更に、限定された、それ。先ずは、キムチ臭くなったであろう未亡人。同じ会に所属でも、無臭の未亡人。現在、それぞれが伴侶と共に眠っているであろう。

世代交代、も為されたであろう。

距離感の距離。

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私は、あの日の様に。煙に巻こうとしてる、のかも知れない。

いや、我われは。所詮、昔々。そんな事等、構わない。

世の中、凶悪事件が未解決。時効停止のそれら。追っかけてれば。

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老人は、峻別。それを、辞典で見つけて。最近、頻繁に使う事を憶えてしまった。

私が、少年時代。出会った、あの戦争未亡人は、キムチ臭くなってしまった。いや、少年だったから、それに気付かなかっただけで。

それから。介護保険が、40歳から給料天引き。それを知った、中年以降。同じくする、別々の戦争未亡人が、通ったであろう九段下は某神社。

そこで出会った、無臭の未亡人。笑顔の写真撮らせてくれた彼女。それこそ、老年も。従順で行く私なのだ。

キムチ臭くなってしまった戦争未亡人は、もう御免だ。特定が異臭を纏ったは、誰あろう。本人が責任、最も知ってる訳でして。

もう、これ以上。特定異臭に、無理心中は、お断わり。願う。

 

私は、彼女らに。朝鮮動乱や、ベトナム戦争の話題。それらを云った覚えはない。

余りに、野暮で無粋だ。

しかし、朝鮮半島や、インドシナ半島でも。彼女らと同様の、戦争未亡人が出て。

戦後も、子供を抱えたり。或いは、離縁した方もいらした。

傷痍軍人と共に歩んだ方も、然りだろう。

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会長が言っていた。正義感、と正義。その違い、差異なるもの。

私も考えました。

私が、考えるに。ある教会の信徒になった者が。それ故、その教会の説教集会に。

ひとりでも多くの、信者を呼び込む為に。会堂周辺、近隣の居住民に対して。

チラシ配付等、働き掛ける。

普通に云って。良い教会であるならば。そうするは、理に適い、使徒として、当然でしょう。使ってみて。冷暖房付き、快適であり。聖歌、讃美歌を合唱できるオルガンも備えてあるのですから。満杯とは、行かないまでも。設置した長椅子が縦横、数列。12の5倍程、それだけの包容力があるのですから。同志を増やす、情熱は十分あるのです。

ですから。会長が言、正義感とは。例えば、天変地異等、自然災害。困窮する被災民、避難民彼らに。何か為さねば、という。感受性そのものは在るのですから。ボランティア活動は、私的にする。キリスト教信者として。

しかし、それでも。先ず、母なる教会の、信徒を増し加える。これを優先する。

私財を投げうっての、献堂。それを果たした本人ならば。会長がその言、誠に筋が通っています。

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上記。ヨハネによる福音書38節。

今まで、異教徒だった者が、改宗する事。如何に難しい事か。

だがしかし。それを、越える為に。

同。ヨハネによる福音書16節

入門の定番。神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。」

ここは、単なる哲学では、決して出て来ない。信仰する者でないと、口から出ない。

こちらが、論理の組み立ての発案は、考え終える前に。言い切ってます。

上記。マタイによる福音書30節。

図らずも。私が、入信の初歩。それに、再会してしまった。

私のキャラクターからすると。この近辺が、常駐居場所の様です。

 

どうぞ。この来るべき艱難。既に、病にある彼らを励まし。

共に、乗り越える事、叶いますよう。各自、その持てる能力を発揮できますよう。

 

アーメン