かいふう

近未来への展望や、如何に。

或る日


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エス

「八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。

「トマスはイエスに答えて言った。「わが主、わが神よ。」イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信じる者は幸いである」。  

        

            ヨハネによる福音書第二十章26~29

 

本日は、13日の金曜日。お解りですね。

我われも、キリスト教徒のひとり、となって。相見えようではないか。(その2)

消去法なる手順が、私個人のキャラクターからして。合っている。

そして、ああでもない。こうでもない。それで、残った領域というか。それを見るに。

例えば、マイクロホンの発明が、サン・ピエトロ広場。そこに参集した世界各地からの信者に、ローマ法王が。その群衆の歓呼と声援に、回答。それを容易くする為に為された。それを知っても。

『トマスの福音書なるものを、読了。そして、その真贋を問われた際、その回答が、私個人の見解として。否であれば。

同じそれを。ローマン・カトリックが容認したのであれば。

導き出されるは、見解の相違。すなわち、「イズム」の違い、に他ならない。

付け加えるが。私は読了。読解した、読破したとも言ってない。まあ、学校の試験なら。可→良→優。そんなところか。読破したは、その業界評論家で飯が食えるか位か

私はプロの教育評論家でもなければ。宗教論講師でもない。

或る意味、アルミの投げ銭。昨日食した「イワシのかば焼き」の空き缶に、してくれないか。ネット上。それらをポイント換算しての仕組み。未整備だろう。

サンマがダメなら。イワシが、後継魚種だ。その業界、親子が世代交代。

秘伝のタレ、調味料の配分比率等。庶民の食文化も、伝統の内。

閑話休題

さて。『盲信』するリスク、なるもの。あるんだろうか。

新に発見された『某福音書』なるもの。それを、はっきり「否。」と言えれば。

そのリスク、そのものから、既に逃れる事ができますよね。

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既信者なる者。

所属する教会が、牧師が集会説教等で、堅固な説得を聴けば。納得すれば、済む。

信者でありながらも。仕事現場。自宅周辺の日常生活で、

盲点突かれるを、度々。経験及び体験させられれば。トラウマも生じよう。

そうではなくて。

『虚構宗教』なるものが蔓延る。それに無感覚な状態

抵抗もしない。反論もできない。その確固たる意志、批判精神の欠如。

そのリスクは問われるでしょう。

『盲信』するリスク、それが、問題だ!

前門の虎、後門の狼」という、古来からの故事もある。

既信者なる者。13日の金曜日。それを迎えて。「グッド フライデー」と呼びます。

信仰を続けてきた、棄教しなかった己。

しかし、それを。「グッド フライデー」と受け止めるには。

近辺、周辺に不穏な、怪しい空気、動向はないか

似非やモドキに、騙されたり。ましてや【無理心中】は御免です。