「知の巨人」死す。
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4月30日、立花隆さんが死んだ。80歳。
「知の巨人」の呼称が、誰へのそれか。知るのに、時間が過ぎた。
「敬称」とした。
「英霊」を、尊称とした以上。違う呼び名が要る。それも、個人的にも。
ここに載せるは、理由がある。彼と、一度すれ違っているからだ。
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『健さん、そいつを叩き切ってくれ。』が、館内の闇に響いて。
高倉健が文化勲章受賞。それは、どの作品をもってしてか。数えるに。
「八甲田山」、新人時の「大いなる驀進」、「幸せの黄色いハンカチ」、そして「飢餓海峡」の新米デカ役。
10代後半、自転車通学で。当時、ルター神学校の塀外の路上、彼とすれ違った。
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「知の巨人」とは、読売巨人軍がホームグラウンド、「東京ドーム」がJR水道橋駅下車。北上して、春日町交差点。
そうだ。既に、彼が居宅。「ネコ」ビルは、母校近辺界隈。ガン公表後でも、歩いていける距離が、附属病院は心強い。ビル名は、夏目漱石がお気に入りか。マスコミ対応用か。
私も、当時就業先現場。ドームがバス通り挟んで、近い。
帰宅して、翌朝早くトンボ返り。それが不可能で、〇〇インに予約。その並びにある牛丼店に入ろうとした時。彼が、出て来た。
イヤな予感はあった。遭ったら、私の正体、看破されちゃう。田中角栄を追い詰めた鋭い眼光、ならば。
「ノモンハン事件」で出征、幸運に帰還した彼と。同様に、大陸から重荷のリュックで生還を果たした橘少年。執筆動機は、十分あります。
予感は、当たった。彼の、リアクションは、極まともでした。
観ちゃいられねー、って感じ。片手で、片目覆ってましたね。彼のリアクションと、それへの私のイメージが、合致。ということは、私のイマジネーションが健在。
私の襟が、「ブルーリボン」付けてたか。記憶がない。
しかし、着けてたら。彼のあのリアクションは、解せない。となる訳です。
「知の巨人」が賛辞は、生前の彼に届いていた訳ですから。
彼の書斎が山のような本の中。受ける側になった彼の、白い歯が少し見える写真。
本の中だけに、本懐でしょう。