個人の信念・信条、社会・業界のモラル、そして国家のおける法の支配。
いや、だからこそ。法治国家であらねばならぬ故に。ねば、ネバ、納豆。もとへ。
憲法が基本。そこにある、諸々の自由。数えます。極時々。
日本国憲法。記載の諸々の自由。数えてみましょう。
そこのご老体も。指折り数えてでもいいから。
私的に。「良心の自由」、そして「信教の自由」。今もって、難解なんです。
明日のジョー、もとへ。明日の今日ですから。
復讐、もとへ。復習してみます。
キルケゴールの実存主義は、わかりやすい。先駆者ですから、入門ですね。
彼がいう、三段階は、冒頭の移行経路に、添う。そして最終のそれに至って。
信仰の自由、が問われます。
日本国憲法にある、諸々の自由のひとつ。「信教の自由」にかさなります。
信仰の自由と、「信教の自由」の相違。それは、その教義が理解できたか。咀嚼して、頭脳が受けたか。
信ずるのですから。三日坊主であろうが。三日後に奇跡を見たいとか。
そんなもんではないはずです。
じっくり、これから先。何年、何十年も掛けて。シュールでもあります。
こういうたとえは、私は決して不遜とはおもいません。
どうたとえるかが、その人各自の、それこそ、キャラクターであり、パーソナリティだと、おもってますから。マスカラの有無は問わないのです。
本当に、教育はオソろしい。英語使ってしまった。