この国は、どうなるのだろう。
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「歴史は繰り返さない。」派から、「歴史は繰り返す。」派へ。
「単に。by軸足の違い。」キーワード
メッセージ。医療と、福祉。
福祉的観点から。ほとんど、トレンド。復習が、再掲.。
信教が自由は、その教義に依る。信仰とは違う。
従って、その教義が信じられないなら。離れれば、いい。
相対的に。それへの不要な浪費。福祉的に、マイナスならば。
御免だよね。
距離置くべきだろう。
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「気を付け!!」 「休め。」
よく、思い出す。義務教育、小・中学校での、朝礼が校庭での。
全校生徒、全員集合。マイク、あったか。忘れた。
小学校、の朝礼。「歯磨き体操」があって。若い新任が男子教師が、台上から。両手
に、大きな全入れ歯を片手に。もう一方に、模造歯ブラシ。BGMは、あったか。忘れた。
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これは、非常にありがたいことで。たとえ、下校後。五円玉握りしめ、駄菓子屋の店頭に立とうと、なかろうと。
習慣は、第二の天性。諺は、生きている。森は、生きている。
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その当時。母と、ある日。ある宗教法人が、病院経営で。その施設に、共に出向いた。
その時。電車しか、他交通機関が無い。それで、駅前から、改札口。その広場に出る手前。一本の大きな銀杏が樹があった。
それを背に、二人の白い服に、カーキ色が軍帽を被った。傷痍軍人が横並びに立って。
ひとりは、アコーディオンを抱え、弾き奏で。隣が戦友は、首から募金箱を下げている。母に促されて、銀貨を受け取り。歩きながら、通り過ぎる際。その募金箱に、硬貨を入れた。
駄菓子の五円玉でないから。硬貨の色が違う。十円玉でもなかったような。
今も、その両貨共、健在ではある。
アコーディオン♫の音色は、既に聴こえてあった。
なので、上手いな。なのに、隣が戦友は、片脇に松葉杖。硬貨を箱に入れる時。
背丈が小さい我は、箱にピントを合わせ。歩きつつ、タイミングを見計らう訳でした。
そして、箱に手を伸ばして。
その視界に入れたは、彼が膝から下。脇で抱えた杖が足下。
足が無い。
ほんの一瞬。
何見たんだろう。噂で聞いたり。映画館がモノクロ画面の中、視た記憶はあっただろう。
しかし、生で。ねえ~んだよ。
母親は、気付いても。硬貨を渡すばかりで。他何も云わんかった。
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そういう経験もあって。体験は、軸足が無い人。
我は、軸足が使える。
それで。やれ、ノンカソリックだから。軸足がどうの。
やれ、信教が自由は、その教義に依る。信仰とは違う。
依って立つ、基盤が違い。それを証明、公言するに、容易いが為。
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特定が臭いの『虚構が宗教』、それとの、峻別に。使用することにした、次第。
外来種は、この国が福祉的に、マイナス。それでしかないのだろう。
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外来種は、教祖は死んだ。
我らが主、キリストでない限り。「歴史は繰り返す。」でしか他無い。
これが、回答であろう。
いいかい。私は、決して、解答とは言っていない。
それは、わたしも、クリスチャンが端くれ。しかも、私が洗礼名まで、公言したのだから。
これは、老人が、適年齢だと、承知してる。