「7 求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
8 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。」
マタイによる福音書第七章7~8
_______________________________________________________________________
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ある日、東から。大海が大陸の考古学、彼らが来た。布教が為である。
再掲するが。受洗が水槽まで、見て。終わりの日、机上がオレンジジュースのガラスコップ。数十分、言われるまま祈って。眼を開けたら、飲料が置いてあった。
呑まずに、会堂を去り。さて、何故オレンジなのか。自宅にて、調べるに。
先の戦争にて。オレンジビーチなる地名。米軍の上陸地点で、南海の孤島、激戦地。
父親が地元招集の連隊。それが、大陸より、転戦しての守備部隊。玉砕が島。
では、何故私がいるか。それは父親が、その連隊から離れて。終戦間近の皇居防備に回されたからに、他ならず。
この、奇遇。わからない。わかったは、若き宣教師彼らが。そこまで、資料データを以てして。
その教会自体も、歴史がある。
----------------------------------------------------------------------------------------
ある日、西から。地中海が半島。彼らが来た。布教が為である。
高校の「世界史」教科書には、載ってる。その授業と、並行して。当時ブームが、「愛と死をみつめて」。その中、「禁じられた遊び」のテーマ曲。それで、その仏映画がTVで放映された。主人公が少年、祈る台詞は、カトリック。
しかし、私から。その教会出向いた記憶無し。いや、いや。長崎は別だ。浦上、そして大浦天主堂は、訪ねた。
--------------------------------------------------------------------------------------
ある日、南から。紅海が砂漠、彼らが来た。布教が為である。
その教会は、10代終わりに、中年が会員と直に話した。ギデオン協会の、翻訳本を贈呈されたかな。
しかし、イエスが名は、聞かず。
故に、要らぬ空想抱いてしまう。10年程、通ったら。ある週、建物二階に呼ばれ。さあ、ここには、イエス様います。
おいおい。今日まで、如何ほどが、イエスが名で祈って。戦争、戦争で死んでいったか。その犠牲者数、どうするのかね。イエスが名で、殉教したんだろう。
20世紀。そして、迎えた新世紀。それでも、イエスが名を出し惜しみするのか。
私には、安全地帯を、ウロウロしてる、『リクリエーション』。それしか見えんのよ。
--------------------------------------------------------------------------------------
そして、ある日、北から。黄海が半島、彼らが来た。布教が為である。
あるエピソードを述べる。若者が、ある数日間の講習に参加した。カンズメで、参加者もかなりの数。彼らが教義に則って。終了後、帰宅できぬ者は、泊まってていい。
それで、私も、そのひとりになった。
しかし、その夜。私は抜け出した。本能的とは、云わんだろう。直観的、というべき。
隣のマンションかにあった、四人乗りかの白い箱型ブランコ。それにひとり乗って、揺れていた。その目は、今しがたまで居た講習会場が建物。それを、凝視して。探っている。確かに、部外者。
神秘主義を、鬼子母神。雑司ヶ谷の方。勧誘が方も、責任上、共に歩いた。記憶あり。
護国寺も近い。さあ、誰が呼んだか。
関東は、首都圏。環八附近が協会建物。排ガス公害に耐えかねてか。トンズラした。
ああやって、教祖が正体バレるまで、全国転々とするのかね。
教祖は死んだ。
『被せキムチの蜃気楼、虚構の協会』は、解散した。と、思いしが。
名前を変えて、未だやってるそうだ。キムチ族。
臭い芝居は止めろ。白昼夢見るな。
それを、止めんから。我われは、何度も云う。
リアクションで、鼻を抓む。その片手があれば。乳母車も車椅子も押せる。
盲人が手引きで、寄り添う。手話まででなくとも。ジェスチャーで、耳や口が不自由な障がい者を助ける。
この国の社会福祉の邪魔だけはせんでくれな。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私は、事実と真実、に拘るから。
そして、世代と年代にも拘る故。
その辺りから、解説する、事にする。何故なら、私事だから。
本日は、従いまして。先週の解説、という回答です。
甚だ主観ですが。私は、その日から、逃れられない。
その日とは、被爆日です。二度ありましたから。そして、終戦記念日です。
時系列ならば。被爆体験を二度味わって、敗戦を自覚。熟慮の後、終戦を受諾した。
まさに、国難ですね。否、否、私には、国難であったろう。寧ろ、両親が国難であった。
その厳然たる事実は、両親。そして、その戦時、及び戦時下を生きた同朋国民に感謝せざるを得ません。
それで、その原因理由を、個人で追っかける訳ですが。その結論、至って。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
歴史を始めるなら。その日から。従いまして、その日が起点です。
その日は被爆日です。そこから、この国が運命、国民が歴史が変わったのですから。
----------------------------------------------------------------------
浅薄放浪の果て。迎えた日があれば。最後に叩いた門。
そこに至り、未だ棄教が記憶なかりせば。
それで行くしか、他見当たりませぬ。
アーメン