「真理は汝を自由にする。」
自由は、他(人)からの誤解や思惑からがんじがらめされないことである。
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(注)「卍固め」は、アントニオ・猪木に聞いてくれ。
たとえば。クリスチャンが、『四面楚歌』たる状況とは。折角、教わった故事だから。
隣人が、超大国のリアリズム。無神論国家。それもあって、使用させて頂く。
「孔子様」を隠れ蓑に。而して、その実体は。
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ある日、東から。大陸の考古学、彼らが来た。布教が為である。
何処の教会か、ご存知ですか。ならば、わかりやすい。
ある日、西から。地中海が半島、彼らが来た。布教が為である。
何処の教会か、ご存知ですか。ならば、わかりやすい。
ある日、南から。紅海が砂漠、彼らが来た。布教が為である。
何処の教会か、ご存知ですか。 ならば、わかりやすい。
そして、ある日、北から。黄海が半島、彼らが来た。布教が為である。
何処の教会か、ご存知ですか。ならば、わかりやすい。
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『ごめん、あ、そーか。』は、クリスチャンが許容の、ユーモア。
上記、『同意』のボタン押していただけないなら。このブログ、使用されません。
これも最近、コロナ禍は、細菌でないですから。ウイルスですから。
それでは、行きます。総集編。
誤解から解放されんが為、討論しましょう。
思惑から開放されんが為、議題を決めて、議論しましょう。
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彼らが、布教に来るは。キリスト教たる所以がベクトルだから。
避けるには、距離を一定に保つ。それしか、他ないでしょう。
三度まで、はカトリック教会に限ったことではないです。等しく扱うなら。それを、踏まえましょう。今どき、「踏み絵」など、あろうはずがない、のですから。
世紀末。新世紀が呼称、何の意味でしょうか。節目、でしょう。
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あろうはずない『暴論』には、反論です。当然でしょう。
同じ土俵に立つ、譬えなら。批判もあり、です。批評もありです。
いずれにせよ。抑止であり、防備なのです。
要件を、挙げます。相応しい教会に出会う。
消去法で、やっと辿り着いても。いいのでしょう。その方法は、その方のキャラクター。
直観ですぐ可能な方。うらやましがっては、ないですが。
私は、やっと辿り着いた口なので。いざ、討論も辞さない心算です。
私も、皆さんと同じ。コロナ禍下の渦中、にあります。
アーメン