かいふう

近未来への展望や、如何に。

主日

f:id:kaihuuinternet:20190623060804j:plain

エス

 最後の自問自答。

『君が聞いたは、神の声なのか。被爆者のそれなのか。』

「彼らが、生きたくても、々。生きたくても、々、々、々、々、々、々、生きたくても。それが適わなかった。」

「それは、事実だし。医学的見解でもある。美学のなんちゃら。そんな発想は皆無だろうよ。お呼びでない。」

「それで、私はその時。すなわち、かっての被爆者が被災地。そこへ、入市した時。」

「多くの、来訪旅行者彼らと共に。まるで何かに取りつかれたごとく。皆無言で、公園内の諸施設をば、巡回して歩いた。」

「おそらくは。誰ひとりとして。脳内で記憶する初めての作業に、戸惑いや散乱があったろう。」

「首から下は無傷で。何処にもケロイドを負ってなくとも。思考する脳が、数十年前の極非日常へ帰した。」

「死にたくても。そうしない彼が居て。来て。」

「死にたくても、々。死にたくても、々、々、々、々、々、々、死にたくても。」

「死ねない。」

「理由はともあれ。」「その場所を、来訪旅行者。巡回して歩いた。のだから。」

「変わるのは、本人。彼しか他いない。居る訳がない。のだから。」

「それだから、決断。そこをくぐり抜けて来たのだから。通過したのだから。後は決意。」

「それが神の声なのか。本当に聞こえたのか。果たして、被爆者のそれなのか、聴いたのか。」

「神がそこに居ますれば。被爆者と共に居ますれば。」

 

祈りの次に 添えればいい

アーメン