かいふう

近未来への展望や、如何に。

祝日

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日の丸

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サンマの資源管理の国際会議「北太平洋漁業委員会(NPFC)」の年次会合が23~25日、開催。

 

サンマの資源管理を話し合う国際会議「北太平洋漁業委員会(NPFC)」の年次会合が23~25日、開かれる。日本政府は記録的な不漁を受け、資源保護の徹底が急務と判断し、漁獲枠の削減を提案する。規制強化を嫌っていた中国や台湾も昨年は不漁に苦しんでおり、同意する可能性がある。ただ、その場合も資源回復につながるような実効性のある枠削減を実現できるかが課題となる。

水産庁によると、日本の水揚げ量は1958年の約58万トンをピークに減少傾向が続いている。全国さんま棒受網漁業協同組合(東京)の調べでは、2020年は前年比27%減の2万9566トンと過去最低を更新。海水温上昇に加え、サンマが日本近海に来遊する前に中台が公海で大量に先取りしていることが原因とされる。

NPFCは日中台や韓国、ロシアなど計8カ国・地域が加盟している。各国・地域の研究者が参加したNPFC科学委員会は今年1月、「サンマの資源量が悪化している」との見解で一致。このため、日本の交渉関係者は「総枠が現状維持となることは考えにくい」と、削減の方向で議論が進むとみている。19年の前回会合では初めて漁獲枠の導入で合意し、20年の上限は55万トンに決まった。内訳は、中台が主な漁場とする公海が33万トン、日ロの沿岸が22万トン。今回の会合で日本は21年について、両海域とも一定程度減らしたい考えだ。しかし、公海と沿岸の削減幅をめぐっては調整が難航する恐れもある。

一方、日本が目指す国・地域別枠の設定は次回以降に持ち越しとなりそうだ。会合は新型コロナウイルス感染拡大の影響でオンライン開催となり、「各国・地域の利害が絡む複雑な交渉ができない」(政府関係者)との見方が強い。(時事)

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誤解のあれこれ。

 

祝日」が今日は。この国、の事。故に。休日として、休ませてもらってるので。

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以前、ネット上で。「三島神社」という呼称、見掛けたので。

彼らに、そんなもの造ったって。決行した彼らは、喜びませんよ。それより、核心の理由をわかってらっしゃるなら。何故、受動的にあるのではなく。積極的に、「改憲」を声高に叫んで。

改憲』をば、「改憲」へと。国民的運動として、位置付け。具体的行動を起こさないのですか。

その様な口出しをした、記憶がある。

そしたら、後日。彼らが言の「三島神社」とは。国家神道、の系列で、その流れに在る、既存の神社。それこそ、JR三島駅、下車。その地域内の、歴史ある神社でありました。

私も単純ですから。靖国神社護国神社→「三島神社」というような、イメージ。

実際、皇統の南北朝論争にあるように。三島崇拝者の、あるいはファンの。もしくはシンパの。

彼らの「三島神社」が、現況。私の、靖国神社護国神社→「三島神社」イメージ。

それと、同等。もしくは同様。それは、存じませんが。

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 WIkipediaで、[時任検索]するに。

 

 上記でさえ、二社択一ですよ。

三島事件」からですから。そのペンネーム由来ですから。JR三島近辺でしょうから。

 「靖国神社」は、

主祭神 護国の英霊 246万6千余柱
社格 旧別格官幣社勅祭社

 

私も、大江志乃夫著「慰霊と招魂」(岩波新書)読んでますので。

共通項探すに。三嶋大社は、三島市、旧官幣大社名神大社伊豆国一宮。

すると、靖国神社護国神社は、該当。社格等も、旧官幣大社と、旧別格官幣社が共通項。つながってますな。

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ここからが、本日の本題です。

三島事件」 の決行者。彼らに対して、それを鎮魂せんとする者が、「三島神社」に出向いて、祈って。それで、宿題が解決する。と、思ってるのか。

北海道から、沖縄まで。全国津々浦々に在る「三島神社」。その最寄りの「三島神社」から、祈念を届かせるなら。「三島事件」なるものは、一件落着で、済ませるものなのか。

或る目的、目標を定めて。決起して、促したのであるからして。

少なくとも。その遺志を継いで。それをバトンタッチした。オリ・パラも近いし。

その自負を背負った意識を保持するなら。左様なら、次世代に為すべき事を。

熟知して、いずれ、為さねばならぬ。

時は、令和に改まった。そんな事は百も承知だ、そうだ。「昭和」は令和にあらず。

三島事件」は、昭和。彼らは、昭和の人。異存なかろう。

我われが、生存して、令和にあるなら。それが、或る宿題であろうと。新世紀の課題であろうと。解決に向けて歩き出さねば、先が見えん。

西洋から、バチカン市国の統領が、来日した。彼らも、「法王」を教皇に改めた。

キリスト教史におけるカトリック教会史。

カトリシズムに在るであろう。「聖人」、「福者」。そして「エクソシスト」等。

それらは、カトリック教会故、教会員信者に内包する意識。彼らが、誇示する2千年の教会史。それ故の、信仰上の位階であろう。培われた殉教者への記憶であり、追慕の想像。そして、対堕天使・悪魔施術と、おもわれるのである。

この私見及び陳述は、結果。同時、記述者の実存の在り方を、規定してしまう。

止むを得まい。

再度言う。ノンカトリックは、アンチカトリックではない。

流石に、数千年の教会史に対するに。謙虚をば学んだ。

 

しかし、彼、彼女。彼らの神との出会い。それは、本来他人の預かり知らぬ領域である。

極論。本人以外、皆他人。親子でさえ。兄弟姉妹ある家庭に生まれてさえ。親戚でさえ。そして、出会えた親友でさえ。

誰ひとりわかってくれない。

皮肉や冷淡ではなく。だから、それでも。神だけは。

そんなパターンは。孤独である各自個人の在り方は。

 

 世界史における国史

範疇というか。意識が、違う。

この国では。「二十歳」、「還暦」。お祝い事として、受け継がれて来た。

それらを経験、体験して。どうにかたどり着いた、至った者は。

それらさえ、知らず至らずに行った彼らを追慕追悼すれば。自ずと、見えてくるものがある。

彼らも居たのだから。

否、彼らは居たのだから。

 

本日は、この国の祝日故、日本国民の意識が高揚、陳述するに至った。本居宣長さん、これでいいかな。賀茂真淵さんもご一緒で。

国難】を云うも。果たして、[ヨハネの黙示録]にみる、神の国到来。

 

法治国家の、その国固有独自の、それなのか。

それは峻別して、考えるだけの複座は、備わっていよう。

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*付録

国民的作家と呼ばれる理由。

 

坂の上の雲」は、「明治」を描写している。私は、NHKのテレビ放送で、視聴して、原作は読んでない。従って、映像を介して。優秀なテレビマンが、その最新技術と、タレントある出演者の名演によって。「明治」という時代を、垣間見ただけである。

 

ある国民的作家が、上梓した「国民的作品」は、創作した作家の主観やら意図、思想、良心の自由を、必然。反映してしまう。

 

坂の上の雲」の原作者。彼の主観やら意図、思想、良心の自由。それらは、然らば、何処にあるか。彼のペンネームは、私淑する、大陸古代の大作家に由来する。

なので。その4千年の歴史なるもの。自ら頂戴した手前。その大陸思想に感化されるは、至極当然。

 「司馬史観」なるもの。誰が何時献上したか、知らずとも。連載物の新聞小説にせよ。出版者か、編集者か。お互いが、プラスの。それもまたビジネス。

歴史小説も、勿論。『虚構』が許される訳だろう。ノンフィクションじゃないから。

シェフが味付けが、甘辛も、濃い味も。彼の意のまま。自由業の醍醐味だわさ。

 

故に。遅れて来た小国日本が、超大国露国を、打ち破った爽快、自由闊達な明るさを。敢えて、そう描写した。これは、読者を掴まえたら、手放さない。文筆業の手練手管は、サービス精神共に。

文学は芸術。美が含有は根底。時代の先人を、そのように、活写。

彼の脳裏にも、被爆都市の影。国民を鼓舞し、再起させんが為。有りますよね。

多数の読者を獲得したから。

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「昭和」の作家が、先の【国難】から、国民的作品を提示して。人気と評価を得たように。

もうひとりの「昭和」の作家が、次世代の【国難】を看破した。これだって、有り得る。

すると。次世代の【国難】を看破した 、彼の作品は。令和を迎えて。

今読まれるべき示唆を。読者は、発見するやも知れぬ。

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結果として。国民的作家、その名を指折り挙げたいが。

三人は、少し知った。戦後、その著作の数々、映画化されて。映画界に貢献され。

幾多の若い俳優タレント輩出に、間接でも支援された。吉川英治「新平家物語」、「宮本武蔵」。

おわかりだろうか。闇雲ではない。この国の、数ある国難。その時代背景を、意識しての創作活動。その選択である。源平合戦関ヶ原の戦。それらに真っ向挑んだ吉川の忍耐力と作家の資質を、読者はよく歓迎したのである。

戦時中は、報道班員として、隣大陸へ渡洋。日中戦争とも呼称されたは、「三国志」執筆に止揚し得た。これも、快挙であろう。

静寂の奥多摩、彼の記念館の旧宅は、庭に巨木が佇立。複数の梅園に囲まれ。

家族が企業梅羊かんは、地元メーカー、もとへ。銘菓になった。

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