かいふう

近未来への展望や、如何に。

主日

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エス

「すると今度は、赤い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、人人が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、また、大きなつるぎを与えられた。」

                            ヨハネの黙示録第六章4

 ▢▢▢VS◇◇◇

この構図は、物事の発端から。類推するに、とても解りやすい。

それで、では何を提示して。

今回は、「歴史はくり返す」派VS「くり返さない」派、を取り上げる事とします。

毎度、私は私的な卑近な例しか、思い浮かばないので。そうさせてください。

数十年たったでしょか。A教会か、B教会か。その選択を迫られた時がありました。

生死、未来に係わる。とても大事な節目です。

それは、集会に参加して。ある年月経た訳ですから。個人差があるにせよ。いずれ或る儀式を経て。正会員になる、は当然でも必然でもどちらでもいいのですが。

別に初めから、二また掛けて居た訳ではない。偶然、自宅近くに、ある日発見した。

B教会は、片道5分。土地勘もある。勧誘のチラシさえ、配布しやすい。合理的にも、答えは決まりました。長期に通うに、容易。

A教会は、小学生時代から、ひとりでも自転車で行った公立公園がある、閑静で、戦後からの歴史もある、とても家族的な雰囲気。しかし、通うに遠い。私鉄の主要駅の開かずの踏切で、街道名のある路線バスも走る十字路交差点の信号で。往復の時間と料金も無視できぬ。長期に通うに、片道数キロでは。路面凍結もある。

クリスチャンになる。それが、主旨ですから。

それで、A教会で、私より後に来た、求道者の若い人に、ある日聞きました。

私は、歴史はくり返す、と言った。若い人は、くり返さない、と返事した。

くり返さない、は理想であって。私が感じたは、その若い人との年齢差であって

【戦中派】の体験は、「戦無派」にはわからない。

30年経って、『戦無々派』には同様、「戦無派」にはわからない。世代交代、する。

ある意味、諦念でもありますし。いや、「実存」で抵抗してるんです

私も、「歴史はくり返さない」派で居たかった。こりゃ、愚痴だね。

けど、世の【理不尽】や【不条理】に直面したり。たとえ間接的でも遭遇したりすれば

世俗にまみれて。それでも、その日まで。

ここで、終わらすと。『ダテや酔狂で生きて来た』と見られますので。もう少し

共産主義無神論、なんですよ。日本人は、共産主義にピント合わせちゃうから。政教分離で、先祖代々のブディズムの墓あるから。イザッて時は、そこへの非常階段あるから。

しかし、欧米人は違う。その先祖代々が、何百年も。例えば、クリスチャンの家系だったら。無神論、に対するアレルギーというか。トラウマですか。尋常じゃない

だって、彼らが日常、常識。神への信仰。それ、頭から、否定してるんだから

恐怖、不安ですよ。

それで、先程の話へもどります。

再掲。一党独裁共産主義国家。彼らが、少数民族へ何やってます。無神論と表立って言わんけど。

私は、「歴史はくり返す」派のひとり、として。自己弁護します。

時空間を越えて。国名違えど。形態を変えて。やってるじゃないか。【テロリズム】。