かいふう

近未来への展望や、如何に。

主日

 

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エス

再三再四、を使うにせよ。

 

再掲。以前、共産主義無神論、という構図を、掲載した。

クリスチャンになって、長いので。共産主義ピントを合わせて置けば。

無神論は、視界に入らずとも、よい。しかも、先祖代々、基督教からすれば、異教徒の家系。礼拝時合掌は、手首からつま先、失礼。指先まで、ペタとくっつける祈り方。

ここで、慣習と、習慣の相違。述べません。辞書引けよ。

それで、無神論ピントをば、ずらせ。しかも、その国が、1党独裁国家。非民主的構造の不備を未だ囲って在るなら。

それは、紛れも無く。クリスチャンから見れば。かなり恐い事なんですよ。

しかも、その外套そのものを隠れ蓑に纏って。

応接室まで入れてもらって。そこで、両開きにされて。

観てしまったは、中華思想。では、手遅れだと、思うのです。

うちの娘の肉マン食っただろう。あらぬ嫌疑、人海戦術あり、でしょう。

何も、その国の常套手段だとまで、云ってません。

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劇映画「人間の条件」

 

老婆にもらった饅頭を手に、ひとり大陸の荒野を彷徨い、梶は歩く。

それでも帰国を信じて、地平線へと疲労困憊で歩く。

やがて夜の闇に、降り積もる雪に土饅頭の墓標。 終

                      劇映画「人間の条件」

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治外法権あるにせよ。その公使館から一歩も出られぬ状況にされて。脱出不可能、自死へと追い込まれた事例。過去にも、報道で流れました。

喉元過ぎれば熱さを忘れる。この故事は、万国共有して構いません。

レジスタンスのそれと、同様でしょう。

烏龍茶をビジネスで購入して、家庭の巣ごもりで飲むと訳違う。

それで、サンドウィッチ食べる。そのレベルじゃないって。

三度と云えば。もう、その回数。盲点突かれて来てますから。因みに、マスカラ付けてません。

御免よ。入門で、再度。キルケゴールを登場させる。彼の実存三段階。

美的、倫理的、そして宗教的。とても、わかりやすい。

青少年が夢みる、社会で気配り、そして天国に入りたい。

その三段跳び、過ぎました。

それでも、クタばる前日まで。更に生きる。クルスちゃんでしょうに。

ふて腐れて生きる、は為りませぬ。不穏暗たんに、抗しましょう。

祈ってるだけでは、足りぬ場合もあるのです。

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信者の拠り所、教会でさえも。お上の指令で。撤去せざるを得ない。そんな情景見たくもない。でも、眼前で、昨日まであった教会がキャタピラーショベルで取り壊し。

何に、更に、希望を見出しますか。

追い出されたは、止むを得ずと。ならば、それを。

脱出したんだ。新たな挑戦の前座だ。しばらく座して休んで。

足元に、スタートの白い石灰の線を見たならば。未だ、到達すべきゴールがあるんだ。

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その跡形も無くなった教会で、教わった最終章。

それが、眼前に浮かんで来てる。

それを見届けるまでは。

 

アーメン

 

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謹賀新年。JR東日本の記念年に便乗して、久方振りに旅に出た昨年。恩師の故郷を、高齢にして初めて訪ね、かつある使命感をも抱き、遠出した。それで、山形から。
米沢駅降りて、バスロータリーの停車場の長方形の時刻表を、やや腰をかがめて見てたら。突然若い女子高生らしき娘が、私の左頬に彼女の右頬を寄せて来た。触れはしない。それにドギマギしながら。見ている表を指して。右と左の路線循環を指先で円を描いて見せた。次の瞬間、若い娘の熱い血潮の頬は、もう爺さんの正面向いた視覚から、外れていた。
若い娘の好奇心だろうが。歓迎されてると、爺は思った。
初めての泊まりは、山形市内。駅から徒歩のホテル。指定の部屋は、窓の下にバス通りの向こう沿い。体育館と校舎、ミッションの高校である。その隣並びが市立の中学校らしい。
翌朝、カーテンを開け、祈った後。窓開けて、見下ろしたら、自分の高校生時代を想い出した。早く来た、あの男子は、僕じゃないか。
その部屋には、ホテル側の配慮なのか、偶然なのか。
形故、様々な形容を、日本という名詞に冠して、数えてみるべきなのか。

 2018.1.1

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 上記掲載の、「億劫な細道」.その1

 それをヒットすると。インターネット上のフラッシュバック、すなわちシュールが再現されるのだけれど。

掲載写真の、「我妻榮記念館」。館内展示に、色紙が一枚。それには、岸信介、我妻榮、平岡梓。彼らの連名を見て取れる。語学のクラスメートであった。

後年。三島由紀夫ペンネーム、誕生の謂われは。何も、特定個人ひとりが師匠であった訳ではなく。従って、最終決定までの期間、伊豆は修善寺で会合を持った有志同人が、勇躍ひとりで参加した作家志望の若き文学青年に。意気投合、授けたが回答。

その当時、Wikipedia等、あろうはず無く。温泉投宿の旅に、明治元勲の紳士録等持参、これも無かったであろう。

すると。当初の、日本晴れの富士山。それを見上げる、東海道は、湯治客も修善寺へと通う宿場町三島。先輩諸氏が、日本一の作家タレント、もとへ。足らんと命名も頷ける。

ならば、更に。それを、明治新政府の殊勲者のひとり、薩長同盟島津藩士。初代山形県令、三島通庸。その家系を辿り、三島由紀夫に、手繰り寄せたは。

これは、嬉しい誤算。決して、男女の、美しい誤解。それではありませぬな。

そして。それをば、導いたは。クリスチャンとしての、恩師の生誕地への、還暦過ぎの孤老ひとり旅。何ともはや、哄笑でご座りまする。

この上は。恩師の「ない袖は振れない。」、会長の「ビシビシ鍛えてやる。」

それらを肝腎要とし。地の塩舐めながら、抗して行きましょうや。