Wikipediaを、[時任検索]すると。
「三島事件」で、載ってた。事件の表題、何に落ち着くのか。
これが、最も差し障りがない。というコンセンサスか。
この、インターネット時代の21世紀国際図書館。書き込み、上書き、そして添削消去。何でもあり、の規則。了解故。業界の方、知友の者、有識者。ネット辞典として、相応しい、上書き添削合戦の末。落ち着く処にそうなって。
苔の生すまで。
記述する、に参加するを、決めたは。理由も、動機も様々であって。事件なら、尚の事、当時の行為者に、誹謗中傷の類、他意無かりせば。
書き込んで、掲載可の者と。それを読む者に。判別されるくらい。
それで、私は、勿論。読者のみ、しか選べない。
それさえ、既知はもうよい。新なネタが、書き込まれてないか。事件に、新説等、学説は期待しない。
この検索。記憶では、あの日から、「クリスマス」の間だったから。50年記念とは失礼だろうし。節目で呼称しても。「三島事件」
調べるに。ひとつ、合点が行った点が見つかった。明治の初代山形県令三島通庸、現在の県知事。彼の次男の養子先、妻の姉の子は三島由紀夫。
故に、師匠から賜ったペンネーム。霊峰富士を仰ぐ、JR駅名。それだけの謂われではなく。もうひとつ、訳あり。だった訳です。
この、回りくどいもの云い。ご容赦願いたい。神社は、基督教の神にあらず。
彼が葬儀は築地本願寺。昭和の人は、阪神淡路も東日本大震災も知らぬ存ぜぬ。
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同じ故人の著作にしても。読む個人の使い勝手で。それも、自由。
積読だけの購入なら。空虚で、虚栄なだけ。読者が、時代としての「昭和」。それを理解するが為、西方浄土ならぬ、西日でこげ茶の表題箱入り巻束を。再発見したならば。
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対コロナ禍下。