かいふう

近未来への展望や、如何に。

ある時代

 

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日の丸

 

「時代劇」の定義、なるもの。総集編、もしくは「サザエさん」的、起承転結。

 

コロナ禍下。

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「昭和」に観た「里見八犬伝

江戸の治世は数百年。参勤交代で、外様雄藩を抑えつつ。その往復街道に、庶民は、天下泰平。寺子屋でレベルアップした知性は、伝奇ロマンを求めた。

それに応えて、幾多のタレントが現れた。武士になれぬ身には、若武者が誓いの集団。彼らの荒唐無稽でも、東奔西走。勧善懲悪の筋書き結末は。気は優しくて力持ち、大相撲の興行と共に、内戦ぼっ発の不安より、如何ばかり大衆娯楽の良俗であった事か。

次代を担う青少年たちに、夢や希望は要る。戦後のベビーブーム「団塊の世代」等に。他にこれと云って娯楽が無い、未来を抱かせるために。すぐれた熱狂する映画の数々を提供してくれた。

戦後映画界と歌舞伎との、コラボ。若手の継承者を配役に、シリーズもので、観客を動員せしめた。そのひとつが、「南総里見八犬伝」。終戦まで、後継者を温存してた。そう、慮ったかの、兄貴たち総勢。

 

「昭和」に観た「赤穂浪士

回想するに。映画製作会社の職業人。やはり、ターゲットは、同じ。少年が、青年になれば。武士道にも、及ぶ。各社、オールスターキャストとポスターにあった。当時、東映と松竹、そして大映。競作です。

電気が灯る、家族が集う居間。テレビが茶の間で、山鹿流陣太鼓を手にした長谷川一夫の、顔面のクローズアップ。これが、〆ですね。彼が若い時の、刃傷沙汰も知ってる故。時代劇スターだから、厚化粧で隠せたから。

 

「昭和」に観たであろう「憂国

低予算、高意識。25分程で、表現をするは、古典が形式、舞台が格式。軍人が個の象徴だから、完結させねばならぬ。

フィルムの長さで、決めるなら。

同じ25分程で、編集してみせた。「夜と霧」は、主題が全く違う。

劇映画故、個人的家庭的が許容される訳。

ノンフィクション、ドキュメンタリー映画は、そうはいかない。無名無数の人びとが、時代の不運。見も知らぬ他者の為か、身代わりになって、死に行くのだから。

 極私的と。全世界史的で、かつ極めてヨーロッパ的である事、において。

それは、神国日本と。数千年の欧州圏の歴史との、非常に大いなる相違。

国家神道と、イズムの派生は在っても信仰の自由は個人。

勿論、神違いなのである。この点は、強調し過ぎる事、能わず。

方や、能舞台。もう一方は、広大無辺の丸い地平線なのだから。

私は、未だに。コロンブスの卵、その正解が出せない。おそらく、その辺だろうに、輪郭の問題。あとは、業界の違いだろう。

 

「昭和」に観た「三島事件

 死生観だろうから。買って、未読は、失礼だから。一字違いの時代になって。あってはならない、余暇だと感ずいたら。その時代を思い出して、彼らを想って。その時代とは、何ぞや。

読む動機は、数ある。それさえ、促すのも記憶なら。従順にもなろう、異教徒であろうと。『輪廻転生』の現象を、然るべき身近で生で、見せられた者。

それをば、解毒する為に。還暦過ぎて、そりゃ気の毒でしょう。

瓜二つの者が家系で、隔世遺伝で現れても、有り得る。見せられた者だけが、驚愕し。そして尚、畏怖するか。本人の勝手だ。

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「平成」に観た「里見八犬伝

これは、リメーク。改号するは、英語でも通ずる訳でして。弓引く等身大ポスターのヒロインは。角川の御曹司がタイプで、その幸運でもデビューした、新進女優。

その絵、何処ぞで視た。東千代之介主演「椿説弓張月」の、パクリでしょう。

 いいよ、文句云いません。再映画化してくれたのだから。

共演者が、誰がどの役受けたか。おじさんになっても、興味はつきない。

「平成」に観たを回想した「佐倉宗吾」伝

嵐寛寿郎が演じた佐倉宗吾、名優が誉。新東宝が映画、モノクロ画面。

農民磔刑の同じ俳優さんが、明治天皇になっちゃったんだから。役者とは、凄い職業だ。総天然色、シネマスコープの技術革新あればこそ。

間に、「大正」という時代。あればこそ。

 

「平成」に見たであろう「朝日新聞社銃撃事件」

朝日新聞阪神支局襲撃事件。当日、当直であったか。若い記者小尻知博が被害で殉職された。

この事件、果たして。犯人は名のったごとく、本当に右翼か、疑わしい。

後年の、朝日新聞社本社築地に面会を介しての、発砲自決事件。過去の事件の真相も含めて。当時の当事者でもない、本社に乗り込んでの詰問は、日本全国に知らしめる魂胆無くば、叶わぬ事。左翼の諸氏の心胆寒からしめたは、必至。

実は、そこまでは私見の夢想、浅はかな見解で。

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彼には、為すべきその理由があった。野村秋介、還暦前の生涯。

「群青忌」もあるんですね。

 

平静になれず未読の「亡国のイージス

小渕恵三元首相が、官房長官時代。役職から、記者会見で。フラッシュ浴びる色紙を机上に。

「平静です。」

決めゼリフ、と云うよりか。駄ジャレしか言えないが。首相の器だと、後年理解した次第です。

かっての「憂国」は、その時代。「憂国忌」に名称を変えて。巷間に、毎年「勤労感謝の日」の前辺り。バス通りの歩道の並木、電柱にもあったか。見掛けたものだ。

それで。改元に及んで。新年号が開陳され、全国津々浦々広まって。

もはや「憂国忌」を見て、憂鬱になる日はないんだ。彼が英霊は、その方々の、ワン・ノブ・ゼムなんだ。英語は、ビジネス英語のみではない。用途は多様だ。

「昭和」という、戦争と激動が時代は終わっても。未だ未だ、続くのだから。

 

それで。時代が改まった以上。いや、以降。違う言葉で、形容されねばならない。

それが、見つけ出せなかった。

それが、見つかった。なる程、「亡国」か。

憂国」で思考停止してしまうのではなくて。そこで、終了してしまう訳ないのであって。国なるものは。ずーっと、存続していかねばならないものであって。

言霊を、その時代に相応しい、それを。追いかける類の事。

為らば、「亡国」を防ぐ対応を、用意しよう。準備する。

 

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「令和」に視る護衛艦の「空母か、空母化」

 護衛艦が名称は、日米安全保障条約。それが締結以降の、呼び名である。専守防衛自衛隊に相応しい。作戦行動が輪陣は、中央に空母、それを円形に囲む護衛艦体制。

大日本帝国海軍時代の、戦艦、巡洋艦、そして駆逐艦。それらは、旧時代のもはや代物。ジェット機の飛来に、大艦巨砲主義は無用。それも、時代劇。

巡航ミサイルに、艦影の雄姿は、高性能レーダー捕捉で、軍事衛星との連係プレーのピンポイント攻撃ならば。防弾ガラスの艦橋はあっても。その顔面は、まさに、対コロナ対策がごとき。マスクがレーダーの中枢だろう。あの、六角形かの、のっぺらぼう。

海軍史の軍縮条約に艦種の制限あり。戦艦を急遽改造の実績あれば、護衛艦の「空母化」は、お家芸の新機軸。

上杉鷹山の言霊が、聴こえる。「為せば、なる。」

「令和」に見るであろう「ステルス戦闘機」

 F35Bが、飛来した。場所は、宮崎である。中国海軍の空母が、沖縄海域に出没。示威行動、作戦を取っている。

それに対する、迅速かつ適切なリアクション。日米が同盟国としての、反応である。

仮想敵国であろうと。そういう意思表示は、即座に為さねばならぬ。彼らの、様子見だから。

何しろ、違うんだから。コンマ何秒の時代なんだから。

「令和」に見たであろう「コロナウイリス パンデミック

 

「令和」に見えるか 、『結』欠落。