かいふう

近未来への展望や、如何に。

ある邂逅

我が思索道程

ニーチェ、代々ブディズムの家で育った者故。西洋の彼の「神は死んだ」、遺言は。その後出た【ナチズム】の抬頭を、あたかも予言したかのごとく。墓の下に休む祖国の哲学者。それを、悪魔の化身者どもは、利用した。あの日の、ジプシーの、国会議事堂放火事件共産主義者故の無神論か。ゲーリングの『閣下、云々』、それにヨイショされたヒットラーの返答。この二人の『台詞』から。彼らの権力欲と誇大妄想から。【滅亡】への序曲が始まった。ワグナーへの心酔も相まって。

サルトル、誰もが受賞し得ない「ノーベル文学賞を蹴ってまで。何故、無神論を公言するまでなったのか。インドシナで、日本が敗戦で撤退後。再進駐した母国仏軍

その行為を。サルトルは許せなかった、のだと思う。諸外国の手前。難関のインテリをトップで出れば。そのプライドもあり。インタビューも多数あるだろ。

仏教徒が大多数を占める、戦後日本でも、反動から。かっての反同盟国の文化。劇映画、シャンソン等音楽、絵画、小説。そして語学、民間外交よろしく。

キルケゴール、「単独者」を起点とするは。思索が個人の自由から、発想する故。まさに入門として、わかりやすい。

ブディズムをば離れて。背水の陣で臨めば。ニーチェから、有神論者キルケゴールへ軸足を移す。それが可能になる。

ハイデガーか、ヤスパースか。【ナチズム】の抬頭、その広義の犠牲者に、ハイデガーが存在する。「存在と時間」、私は読んでないが。それが評価高いのは、軟禁監視された本人が。彼の家族や友人知人も含めて。

自伝的私小説が、ある国で伝統文化内許容されるがごとく

だから、無神論になったのだ。ぞんざいな存在に扱われた、回答とも。

いいかい。ならされた、のではない。彼は、『神は不在だった、とも。居留守を使った、とも。』、おそらく、言ってないだろう。

時系列からしても。キルケゴールは、入門である。彼も、当時のデンマークの教会に対して、果敢に孤独で闘ったのではあるが。【ナチズム】を知らぬ。知らずに済んだ

ヴィクトール・E・フランクル著「夜と霧」は、重い。