かいふう

近未来への展望や、如何に。

それでもエピ。「SAPIO」を読む。

kaihuuinternet2008-03-22

「日本の税金」の特集で買ったが、小林よしのりさんの連載「ゴーマニズム宣言」の、今号が「ヤスパースの『戦争の罪』の分類」ということで載せていたので、それについて。
東京裁判の判事に列席したインドのパール判事の、「パール判決書」を小林さんが読んで、その訳文のひどさに、それに係わる某氏らサヨクに、いつものように、『ごーまん かまして よかですか?』と、額に十字路浮かばせて、イカっている。自称クリスチャンには、そう見える。
それで、ヤスパースを引用している。
通訳者とか、翻訳家として生業を立てている方々が、如何にご苦労されるかは、昔々、サイマル出版「人間のための鏡」で読んだ中の著者のある定義によって、承知した。所詮異国語、辞書で引いても、訳語は数載る。どれを選択して、どう文脈を持たせるか。同時通訳なんて、かなり疲れる労働でしょうに。
いわゆるニュアンスでしょうか。
だから、ここで小林さんがイカっているのは、先ずその訳文のひどさと、そしてそれをいいように解釈した某氏らサヨク、であろう。

同時代、同国の、しかも同じ哲学を生業とする学者で、対比されたヤスパース
ハイデガーは、ナチス側に「存在と時間」して在ったんでしょう。
カール・ヤスパースは、「戦争の罪を問う」で、4つに区分した、という。
「刑法上の罪」、「政治上の罪」、「道徳上の罪」、そして「形而上的な罪」
これ以上は、営業妨害に抵触のおそれあり、でなし。
キルケゴールに拘ってから、その後継者たらんとしたカール・ヤスパースに親しみを持ったんだが、高校の参考書には、ハイデガーの分が多い。運良く連合軍に早く救出された方より、ナチス終戦まで拘束された、だからこそ無神論的言辞を残した方を、後輩たちは肩持つのだろう。そういう状況下、ならばこそ、だと。
相手は悪霊に支配された輩ども。その事の真実を語って偽りない、と。

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以前、同じ連載で、高野山に泊まりの取材をした号も読んだ。地図入りのわかりやすい登山案内図も載って、絵心のある人には、有料の話も来るんだ、と。
そして最近某紙で読んだ、そこの高僧の方の談話記事。それに載っていた地図で、自分のイメージより内陸部で、奈良県西部に隣接する地域と、やっと特定できた。もっと奈良県南部と隣とおもっていた。熊野古道といっしょくたにしていた。

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先日、某紙に、「声援 復興めざして」に、観世清和さんのインタビューが載ってました。
阪神大震災の日、神戸にいたそうです。
そして、東日本大震災時には、都内から、大阪。そして翌日、能の「熊野」を舞ったそうです。
能楽は鎮魂の芸術です。と言ってます。

「熊野」は、作品が二つあります。

もはや、平成でも伝説の方の作品「熊野」の、あれは、文語体なんですね。「いる」のそれが、ソフト変換できずに、あきらめました。
でも、それでも、拉致された誰かの為に、それを上演されたし、とは考えません。
彼の伝説を確認したとしても、その作品が、その作者の知らない年号に改まってのある未解決事件の為に役立つか、それは別問題だからです。
文語体での表現のモデルとしての対象は、推察が許されるなら、すでに彼と同じ墓地に眠る、かっての肉親だからです。
作品の普遍性は、その歴史性を帯びた文体によって、それを選択した意図的思惟により、限定されもするのでしょう。
昭和の人の、そういう作品を、海峡を隔ててある、政治的外交的な事案もしくは事件に、上演で利用することも、暗示を与えることも、あってはならない、と判断します。