「E」まで、あるいは「ラーストクリスマス」(^^♪をもう一度。その1
私の「お気に入り」のキーワード、「意識」と「記憶」でもって。
それを、残しておこう。
10代初め、黒い詰襟での初年度。教育実習生のひとりから、声掛けられ。後日その方の下宿先まで、クラスメイト3人と共に、押しかけた事があった。
某女子大の地方出身組のひとりで。当日、近隣の目黒不動尊やら案内されて。彼女の2階か3階での角部屋で窓ガラス開けて。親友は、彼女のギターを弾いたりした。他の二人は女子で、同じ商店街の子と、その駅の北に住む、親友と同じ小学校出身の子だった。
そのお姉さんから、「有意義」と、「白馬岳」を聞いた。
[聖書]の最後。[ヨハネの黙示録]を知るに及んで。その中に登場する4頭の馬、の比喩を理解するに至って。彼女の故郷近く、地図上の白馬。しかし、その回答は、私の、相手構わずの押しかけ訪問。その厚かましさ。無恥を許容する年上の二十歳過ぎの大人。
その対応であっただろう。
当時の、大都会下宿の学生時代。すでに、信者か否か。「白馬岳」が揶揄か。知らん。そのお姉さんが、後年プロになったか。それも知らん。
知覧は行ったけど。「私が来たのは、罪びとを招く為である。・・」
原城址にも寄った。帰途、周辺の草むらに、数匹の白い犬が捨てられていた。『西九天草数犬発見伝』か。馬琴師匠によろしく。駅近く、それを少年に伝えた。
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「天草四郎時貞」、このポスターを見た。カラー、東映時代劇。大川博製作、主演大川橋蔵、監督大島渚。時貞中心に、左右に鍬だ鋤だを手にして。天草の怒る農民が総勢並んでいる。
大島渚は、当時ヌーベルバーグの旗手のひとりとして、松竹が売り出した新進気鋭。その彼を招へいして、ライバル大映の市川雷蔵VS大川橋蔵で、大川博が賭けた作品。
映画館で貼ってある、呼び込みスチール写真。と、ポスターの大判。
徳川幕府の、重大な農民蜂起事件。これを撮るんですから。主演スターから、端役まで。京都太秦周辺、熱気むんむんだったでしょう。興行的に、コケたとしても。
映画史に残る。大川博と思しき墓を見つけ、顕彰碑読んだら、球団の活躍のみで。