イエス
ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は、六百六十六である。
ヨハネの黙示録第一三章18
諸兄諸姉。今日の日付けから、連想したは、何?
【666】に、手鏡当てると。999が逆向きに映る。それも、知恵働かせてください。
もはや、前世紀だから言える。「代用書物」VS『虚構宗教』
2009年9月9日の方が、わかりやすかったのかも。
しかし、それは、2011年3月11日の、【東日本大震災】で、消えた。
その日から、列島全国で聞き聴こえたは。「復旧!復興!」の掛け声のみ、である!
それで、本日でいい。
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【邪険】に扱られると、もとへ。ジャンケンでもしてみよう。勝ったら、その分、扱った相手にペナルティー、10分間の抗議の権利。これさえ、三人のひとり、彼が参加して。一部始終、証人としてのレフリーが居るからである。
あの当時。未熟な学生の分際でありながら。「革命」と称して。【暴力】に走る、極めて短絡、不安定な輩どもが、徘徊した。
その間隙を抜けて。某半島上に『蜃気楼』を見て。【暴力】に走った無神論な輩どもに。
それに困惑と不安を隠せぬ、いわゆるノンポリの学生たちに。『虚構宗教』をば、勧誘する、地域偏向型布教する輩どもが、現れた。
その、それぞれに違和感を覚えた学生たちは、然らば。どう対処しただろうか。
まさに、『ジャンケン型』方策である。
【暴力】に抗して。かつ、地域偏向型『蜃気楼』など『白昼夢』を、断固見ない!!
【暴力】が破壊、その対象と周辺を認識把握して。それは誰かが言った、歴史、伝統、文化か。個人で検証されたし。
一方、同じ土俵の上に立って。
故に、『蜃気楼』など『白昼夢』の対戦相手に。真正面から、議論及び討論さえ辞さない旨、伝える訳だ。彼らが、キリスト教に則ってると言い張るなら。
我われも、キリスト教徒のひとり、となって。相見えようではないか。(その1)
「八紘一宇」なるもの。列島民族独自のそれであっても。
『蜃気楼』地域偏向型に相対するに。まさに、八分の一の方角。部分にしか該当せぬのであり。
十字架が、東西南北なら。更に二等分。
その輩どもの『蜃気楼』見る、某半島のみの『拡大解釈』は、変形「事大主義」に通ずるものでしかない。
その【半島エゴ】は、その組織、教祖死後。『虚構宗教』の【死に体】をば、引きずり。その【キムチ臭】は、組織解体、解散を知らず。
日本民族を、自ら鼻つまみさせ。我らの呼吸をも支障を来たし。嗅覚をも奪い。
我らの生活の質を貶め。やがて【亡国】へと誘うが如し。
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粋と、洒落との、その相違。
さて、では。「代用書物」とは、何か。
私個人の抵抗。少なくとも、当時その時。『虚構宗教』に対して。位置付けられるもの。
もう、時効というより。私費購入故、著作権云々も無いでしょう。
それは、「前衛映画理論と前衛芸術」という本。
私は、『虚栄』で終わらせたくない。『虚構宗教』と、その集団に抗するに。
その著作者は言った「シャレてるね。」
従いまして。粋と、洒落との、その相違。→ 粋と、シャレとの、その相違。
私は、真面目でしたよ。『被せキムチの蜃気楼』を看破しようと。
何せ。私が手にしたは。武器、すなわち剣ではなく。前衛映画理論なんですから。