「しかし、口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである。というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくるのであって、」
マタイによる福音書第十五章18~19
此度の、コロナウイルス感染拡大。
これ以前。街中の雑踏を歩くと。すれ違いざま。「汚い」という、言葉を聴く時があった。
誰に向けられたか。面識無く。うつむいて歩く、が多いので。ボクに向けられてか、と思ったりもする。何故か。ああ、その時は、ある会合に出向いて。主催者側のPRもあってか。その目立つカラー印刷の紙袋を持ってた。それが、その女には、見識不能な業界、に映ったのだろう。
その言葉を発した者が、若い女の声か。
私を特定して云ったのなら。面識無いのだから。どの口で云うのか。何様なのか。
マッテヤの洗礼名に、女はいない。マティアの彼女か。異教徒か。
「汚い」という言葉、で済むなら。落語のオチ、にも使えない。
それを発する方が、よりまとも、だと思ってるなら。世間はそれ程単純ではなかろう。
若い女の声なら。『未熟』と、聴き流しもしよう。
「オルレアンの少女」の後継者とでも、おもってるのか。
「アリの街のマリア」の路線でも、前方に見てるのか。
ああ、少し、イタリア半島に、拘り過ぎた。
故に、面識のある無しを、要件の一つ、に据えた。それに、無いのだから、貸借も無しでしょう。ただの、通りすがり。
でなければ。異教徒の可否を問わずとも。『怪談ごっこ』の『ムジナ女』同様。そう扱う、事にしよう。
アーメン