「3[8 わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、
39 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。」
ローマ人への手紙第八章38~39
「3 あなたがたは知らないのか、わたしたちは御使をさえさばく者である。ましてこの世の事件などは、いうまでもないではないか。」
コリント人への第一の手紙第六章3
『お戯れでないよ!』幻聴か。もしくは、『戯共天使連』という在り方。
私は、主日を、戯言の為に、使用しようとは、おもわない。
しかし、私は。何度も始めから、言っている。
クリスチャンの端くれ、であると。
マッテヤであると。
その在るべき形。イメージは、円卓会議で向かい合って座っているのではなくて。
Aさんが、Zさんの隣。それではなくて。
では。クリスチャンの端くれであるマッテヤ。彼は、どの辺に居るか。
天使と戯れてあるなら。会話して居るなら。日毎の祈りをば、欠かした記憶が無いなら。
【堕天使】や【悪魔】。その誘惑から逃れられる。そんな受動的、かつ消極的態度では。
それで、私としては。実存と、アリバイ。この二つを。使用させてもらうこと。
議論して。決着に、「あなたとは、実存が。(ちがう)」
これで、終了したい。
もうひとつ、アリバイ。これは、相手の『夢想』や『空想』、果ては『妄想』の類。
それらを一掃するに、使用する。際限ない奴らの【負の想像】から、脱出する。
個人として。夢想や空想を、否定するものではありません。
私が実存において。すでに、「二十歳」や「還暦」を過ぎて。とっくに、卒業したからです。
しかし。『妄想』の類は、危険です。
いい分別盛りが。「無理心中はならぬ。盲信はならぬ。」ですよ。
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それで。もう、『戯共天使連』という在り方。その殻を破って。
二人の祈り、を訪ねて。それを見つけて。
参加して。共に、来るべき【国難】に備えなければならない。
いや、もう目前に来てるのでは。
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会長からの「ビシビシ鍛えてやる。」
主任牧師からの「ない袖は振れない。」
それらに通じるものと。おもっている。
彼らと、キャラが違うが故。こればかりは、明白。
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毎年。恒例。新しい手帳を購入すると。
先ずは。『13日の金曜日』、今年は、何回あるかな。これが、楽しみ になっています。
本年は、もう一回あります。
たわいない事ですよ。しかし、異教徒からすれば、主が死んだ日。
しかし、信者からすれば。「グッド フライディ」。その日までは。と、こうなります。云わば、その日まで持ち堪えた信者故の、ご褒美。
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皆さん。そこで、ふたりが集まって。[聖書]をひも解き。
21世紀を迎えて。20年経過して。
暗雲立ち込め、恐怖を覚えたなら。ひとりの老人でも、呼んでください。
条件付きで、彼は参加するやも。知れません。
そして、そのひとりの老人が。かく言う、私であっても。
アーメン