かいふう

近未来への展望や、如何に。

ある時代

 

李登輝氏、死去。

「教養人で、強い意志を持ったリーダーという強い印象を受けた。こういう立派な人が台湾にいるのだなと強く感じた」 【写真】台湾高速鉄道の車両  JR東海名誉会長の葛西敬之氏は李登輝の人格に間近に接した一人だ。  台湾北部の台北と南部の高雄を結ぶ台湾高速鉄道は日本の新幹線技術を海外で初めて採用した「台湾新幹線」として知られる。建設計画が進んでいた1999年12月、李氏は当時JR東海社長だった葛西氏と台北の総統公邸で面会し、日本の技術導入の可能性を探った。  約3カ月前の9月には、台湾中部でマグニチュード(M)7・6規模の大地震が発生していた。李氏はこの震災前から、阪神・淡路大震災時の危機管理が注目された日本の新幹線技術を支持。日本の企業連合による台湾の高速鉄道会社との優先交渉権獲得に道筋をつけた。  日本の企業連合と高速鉄道会社は李氏の総統退任後の2000年12月に正式契約を締結。07年の開業にこぎつけた。葛西氏は「(李氏は)命がけで台湾の民主制を引っ張ってきた人。台湾の政治家の中で圧倒的で突出した巨人だ」と、存在の大きさをしのぶ。  李氏は04年12月から翌年1月にかけて日本を訪れた際、東海道新幹線に乗車している。  当時JR東海会長に就任していた葛西氏は、台湾で日本の新幹線技術が採用されたからには、李氏に東海道新幹線を実際に体験してもらいたいと考え、李氏を日本に迎えるために奔走した。葛西氏は新幹線に乗車した李氏の様子について、「非常に喜んでいただいた」と振り返る。  葛西氏は31日「台湾新幹線李登輝元総統の決断で実現し、今や台湾経済に不可欠な背骨として機能している」とたたえ、「心よりご冥福をお祈り申し上げます」などとするコメントを発表した。  震災という不幸な出来事と技術力が深めた李氏と日本の絆で実現した台湾高速鉄道は、これからも日本と台湾の協力関係の象徴であり続ける。(岡田美月)(産経)

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李登輝元総統、沖縄に来日。2018.6.23

沖縄県訪問のため22日に来日した台湾の李登輝元総統(95)は23日、糸満市のホテルで講演し、「日中間における尖閣諸島南シナ海の問題など、絶えず周辺国家との緊張状態を作り出し、潜在的な軍事衝突の可能性を生み出している」として中国の強硬な海洋進出を批判した。李氏がここまで踏み込んで中国の覇権的な動きを日本での講演で指摘したのは異例だ。
李氏はまた、民主主義と自由を共有する日本と台湾が、「中国の覇権的な膨張を押さえ込みつつ、平和的な発展を促すため協力関係をより一層強化すべきだ」と強調。「朝鮮半島の情勢とアジアの平和は日本の関与なくして実現することはかなり難しい」と述べ、日本に対し強いリーダーシップを発揮するよう求めた。
糸満市で24日に行われる第二次大戦で犠牲になった台湾出身の戦没者慰霊祭に出席する李氏は、講演の途中で涙声になりながら「われわれの生きる平和で安定した環境は決して当然のごとく与えられたものではない」とも述べた。中国当局は李氏の慰霊祭出席に対し、「植民地統治への美化だ」などと反発している。
慰霊祭では李氏が揮毫した「為国作見證(公のために尽くす)」と記された石碑が除幕される。
23日に行われた沖縄全戦没者追悼式に出席した安倍晋三首相と旧知の李氏が接触するのではないかとの観測もあったが、李氏の側近は同日、「接触は一切なかった」と否定。糸満市で両氏は“ニアミス”しただけとなった。(河崎真澄)

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日本統治時代に南部台南市烏山頭ダム建設に貢献した日本人技師、八田與一氏。以前居住したぼろアパートの大家さん、戦時中台湾で仕事していた。

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