「レネのセルフレポート」を視た。対拒食症
最近、久しぶりに投宿した、ホテルの部屋備え付けのTVで視聴。対コロナ禍下。
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カレン・カーペンターの拒食症は、兄とのコンビで、あれほど世界的に楽曲が売れたのだから。ファンの歓呼に応えるべく。先ず、全米のTVで。未だ、ブラウン管の時代。
あの表面から、放射能がは。手を近付けてみると、掌に感じる。その話ではなく。
画面が球形で、その分。スターが画面内で演奏するは、視聴するファンから視ると。太って視える訳です。それを、カレンは、既に承知していただろうが。
スマート、クレージーは、アメリカ人は、プラス志向。若いカレンも、細い我が身を、TVに映る自己を、常々鑑賞していたに違いない。
そのファン目線は、変換するに。太ってはならない、スマートでなければいけない。
そんなプレッシャーを、長期間。彼女が自己暗示で、課していたのではないか。
スターダム、イコール細身のカレン。それが、習慣常態化してしまった。
小柄な骨格にもかかわらず。女流ドラムス叩くは、目新しかったから、音感が入った、親しんだは、一目瞭然。
医療の専門家に非ず。でも、『暴飲暴食』の既往症を自覚する者にとって。ブラウン管TV画面が視聴者に、その錯覚を抱かせる機器。それは、知った。
広義の職業病。彼女の健康から、当人を乖離させた。
こんな意見は、芸能界部外者だから。云える無責任は小数です。
スター故の、世界を駆け回るスケジュールに追われる超多忙の彼ら。兄妹の気疲れもあったでしょうに。
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カーペンターズ。彼らの、家系の、キリスト教が、どのイズムか。知らないけれど。
最晩年の、彼女の選んだ楽曲。「アベマリア」♫を聴くに。
せめても。音楽の母、のひとり、になろう。そうありたい。と、聴こえなくもない。
否、そう聴きたい。
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レネの事例は、また違う。
北欧生まれ。生家は、プロテスタント、におもえる。
だけど。拒食症を背負ってからは。彼女の居間には、身近に陶製のマリア像が在る。
彼女が、晩年。自覚したは、カメラマンのタレント。
大石芳野が出て来た日本では。女流カメラマンは、とっくの昔に、当然。しかし、白夜、ツンドラ地帯を連想するは。とても、前例や下地が見つけにくい。つまり、女流カメラマンとして自立、食って行くには、かなりむずかしい。防寒着でマフラーで、どれ程の被写体が見つかるのだろうか。さもなくば、外国に出て行くしか他無い。
太陽光とて、緯度からするに。年間の放射量、短い夏。
医療、治療では。免疫、抗体は、罹患に被るけれど。
拒食症には、浮かばない。ある時期、思い込んでしまった。
何をどう誤解したのか。専門家に非ず。
浅薄だが。彼女は、40日の断食の彼を、模倣して、試みたのか。
それとも。食べて早く大人になるより。小食を習慣化、子供時間を延長。100歳までも生きようと。
もし、誰かが、彼女に。『お嬢さん、そこまでしなくていいんだよ。』『あなたは、肋骨から生まれたのだから。』
それで、彼女がその症状から。脱出できたのならば。憎まれ役を買ってでも、そう云う。
嫌、失礼した。幾代も来たなら。既に彼女も持ってるはず。ミドルネームを。
実家は、農業生産者。働き者の両親。食うには困らない。市場に出回る穀物は、価格相場の対象。在庫調整が、年度によっては収支に係わる。
TVを点ければ、眼に飛び込んで来る。地球上の各国の子供たち。彼らが、飢えで泣いている。そんな彼らと同じ歩調を取って。仲間意識を共有したかったのだろうか。
最低限。エネルギーを燃焼させて。その為のカロリーをば確保して。ならば、食べなきゃならない。そういう風に創られている我が身を、整えなければ。生物が個体を維持するだけの栄養。要る。
その為には。夢みたり、想ったり。希望を抱いて、いいのだから。
レネの晩年は、ギリシャに在った。
ゲーテと同じ。彼も、スランプに陥り。イタリア旅行で、ルネッサンスに触れ。
帰国しても、ライバル意識燃やして。
彼女が、エーゲ海。地中海へ出たのも、正解だったのだろう。あの陽光は、北欧とは違う。
巡り合わせなのか。避難民が、上陸で。その幼児たちを、撮ることになる。
その写真は、モノクロなんだけど。被写体が、子供たちが皆老けてるんですよ。
それは、幼年にして。かくも困難な逃避行。その運命を、荒波を潜り抜け来た。
レネの率直な共感だろうから。すぐ、カメラを向けたのだろう。
生き延びた者の秘かな誇示が出てる。
そして、「セルフレポート」だ。何もない部屋。正面壁に十字架。
木製でも、金属でもない。壁面に書いたようだ。
祈ってる訳でもない。
そこまで撮るか。
いや、死すべき時を察知。だから、それを撮って。残して行ってくれたんだ、と思う。
彼女が真ん中で左右に両親。この取材チームは、それも正面から収めた。
欧米人。即ち私の主観によるは。クリスチャンは、我が子と言えども、新しい別個の人格、と認識するらしい。親子三人を並べて、その案は誰から出たかは知らずとも。
愛娘が、拒食症。そうなっても、両親は変わらず愛情を注ぎ。娘もそれを十分感じている。女医らしき医療従事者も患者に寄り添っている。
それでも、拒食症は去らない。
私は書くけど。キャリアある専門医は承知してる。例えば、全身火傷の重体者が、生還率は。何%の皮膚損傷までなら。移植までして、生存するか。横浜米機墜落事故、港が見える丘公園、フランス山「愛の母子像」。参照されたし。
拒食症の担当専門医、よう知らん。数科になるにせよ。ある領域から外れたら、もう回復不可能。そういう線引き、ない訳がなかろう。
しかし、例外もあるのだよ。それを、奇跡と呼ぼうが、呼ぶまいが。
そんな芸術的美的なんちゃらカンタラ、不用。要は、治癒回復か、否か。それのみ。
それで。レネの場合。
皆知った。思い知らされた。
それは、拒食症に敗れた者の写真ではなく、最期まで闘った者のそれです。
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今しがた。某サイトで、75年前の戦争で。日本の兵隊さんたちが、マーシャル群島で、飢えでガリガリの写真。見ました。
ほとんど、拒食症の身体と同じです。こちらは、戦争ですが。
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1977年に新潟市で横田めぐみさん=失踪当時(13)=が北朝鮮に拉致されてから43年となった15日、帰国を願う「忘れるな拉致 県民集会」が新潟市中央区の市民芸術文化会館で開かれた。母早紀江さん(84)は映像メッセージで、今年6月に87歳で他界した父滋さんの無念を思い「悔しかったと思う。政府は本気で行動してほしい」と求めた。
弟の哲也さん(52)や佐渡市の拉致被害者曽我ひとみさん(61)、拉致問題担当相を兼任する加藤勝信官房長官らが出席した。新潟日報社と県、新潟市が主催。新型コロナウイルス感染防止で入場者数を約200人に制限し、ネットで中継された。
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◎チャンス逃さず全力で取り組む
加藤勝信官房長官兼拉致問題担当相は「忘れるな拉致 県民集会」に出席し、拉致被害者や家族が高齢となる中、「一刻の猶予もないとの認識を深く刻み込んだ。(政府)認定の有無にかかわらず全ての拉致被害者の帰国実現に向け、あらゆるチャンスを逃すことなく全力で取り組む」と決意を語った。
加藤氏は「一日千秋の思いで帰国を望んでいる被害者、家族に対して忸怩(じくじ)たる思いで、申し訳ないと思っている」と述べた。
菅義偉首相が拉致問題を最重要課題に掲げていることに触れ、国際社会への働き掛けも積極的に行っているとした。「拉致問題は政府が主体的に取り組む問題だ。菅首相のもと、政府一丸となって取り組みを進める」と強調した。(新潟日報)
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横田めぐみさん(56)=拉致当時(13)=が北朝鮮に拉致されてから15日で43年となるのを前に、母の早紀江さん(84)が報道陣の取材に応じ、「これほどの時間が過ぎたのに再会がかなわない。本当にむなしい」と率直な思いを語った。前日の14日は今年6月に死去した父、滋さんの誕生日。めぐみさんが贈ったプレゼントのくしを見るたびに、言いようのない虚無感が募る。
局面の打開には「トップ同士の話し合いが一番大事」と、日朝首脳会談の早期実現を望む。そして、国民に対しては、「自分ごととして拉致を学び、思ってほしい」と呼びかける。 めぐみさんら被害者の帰国を祈り、キリスト教の支援者らが定期的に開いてきた集会は、今月で200回目を迎える。感謝の念は堪えないが、時間の流れも痛感している。(産経)
めぐみさんの父、滋さんが、めぐみさんの入学記念に撮影した写真で背景にした同中学の桜の木は、43年の年月がたち、朽ちかけている。当時の校舎も建て替えられた。年月の経過を痛感していた最中、今年6月に滋さんの訃報を聞いた。「本当に申し訳ない。早紀江さんには、必ず会わせたい」。池田さんは誓う。
平成19年ごろから、積極的に救出運動に参加している。横田夫妻の全国各地での講演に加え、同じく高齢の小学校時代の教諭、中林千代さん(92)が署名活動に立つ姿にも胸を打たれ、「自分もできることをやろう」と続けてきた。(産経)
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世代交代、を云うなら。離れても、いいはずだ。
それも、自由の内。
しかし、国外で、不自由を強いられている同朋。彼らが、そうあるならば。
それをば。国難と認めるならば。