かいふう

近未来への展望や、如何に。

ある日

戦後、二人目の大阿闍梨。系譜と、脈略。

1300年の歴史でも、そう。
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比叡山延暦寺 VS 高野山金峯山寺

この簡略図、異教徒が注釈するに、非常にわかりやすいでしょう。

ノンカトリック、と断った上で。わたしにとって、法王ヨハネ・パウロⅡ世が当時。

ハレー彗星がボクで。70年周期で、地球に接近し。また、次回は70年後故。

生きてはいない。そういう、「歴史が聖なる1回性」。一期一会。

この譬えは。2000年が、キリスト教会史。その巡り会い。

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ローマン・カソリックで、歴代が法王で、ボクが最も身近に感じた方。

同時代を、ある期間。重ねて、生きてましたから。

マザー・テレサも、並行してますけれど。

「ファテマ第三の秘密」からは、彼女は離れてある。

理由。それは、法王ヨハネ・パウロⅡ世が殉教で、消滅ならず。

今世紀に、未解決として。持ち越したが故。

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そういう譬えも。部外者だから、軽く云える事。無責任です。

そういう修行に、挑戦するも。先ず、決行する本人が意志でしょうから。

初めから、承知して。至らなかった場合。その為の帯刀。切腹、という言霊か。言葉も出てくる。

言霊為らずとも。世が戦国時代、武士が主君、国が為。いざ鎌倉で馳せ参じれば。

天与なるタレントが、僧職と悟った者が。本堂で、足軽にも為らず。祈祷三昧。

そりゃ、足利氏が、建武の中興以後。南北朝時代に至る、もわかるというもの。

非常なる、冒険。そう形容する、わたしの理性からすれば。併せて、非合理的だ。

云いたい放題。

武士以外が、帯刀を許されたというは。例えば、大相撲。横綱の土俵入り。太刀持ちを従えたは、時の権力者。将軍でさえ、力士の職業価値を評価したに他ならない。

気は優しくて、力持ち。善良たる者の、基本的要件、満たしてる。

食い扶持、石高。生活が、収入単位、まさに、俵。その俵を軽々持ち上げて。

米問屋は、「わたしの城下町」(^^♪、小柳ルミ子姉。お久ぶりで~す。

大八車で、町人が街中を、旗本が屋敷まで、納品するは、幕の内弁当未満が、力士のアルバイト代稼ぎ。あったかどうか。

ジョン・レノンがイマジン。」。これを、わたしが常套句にするも。

オリンピックが華、マラソン折り返し。暗殺された彼が、それ故。多くの音楽ファンに追慕追悼され。死後40年、彼らが集い、祈ったは、周知の事実。

皆さんが、以降。やれ、理不尽が難問。不条理が難題。それらに、その壁に、突き当たった際、自己が想像力を逞しくせんが為。枕詞に、使ってもよい訳でして。

そういう事は、遠慮せずとも、よい。

被害者本人が望まぬ不慮の死。為れば、彼らが自己犠牲に転化、もとへ展化。

プラスに、使おう。天使に成れずとも。

雑学が証明。雑煮が喰いたい。

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歴史上が、唯一無二の、登場人物。彼らをして。それが、異教徒、別人格を承知で。

いとも安易に比較、無責任に翻案せるは、叱責。批判されるかな。

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それで。日本仏教。これさえ、先と同様。わたしにとって、部外者に変わりはない。

わたしは、比喩で。然らば。弟子が、性格。キャラが問題で。

誰が、ヨハネ型。もう一人が、パウロ型。簡単に、分別するしかない。

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すると。どう見たって。アカデミックに、大伽藍に残って。後進が育成、教育に当たりしが、伝教大師最澄、その人である。

そこから、里へと下りて。庶民衆生に分け入り、御仏が教えを広く遍く流布したるは弘法大師空海、その人である。

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為らば。下記のごとき。理不尽が事件が、身近にあると。どうしても、距離ができてしまう。以後。対応が変化する。

縁ねぇ。

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一人目の大阿闍梨酒井雄哉

千日回峰行を、二回満行。彼が、時代背景は昭和、戦中戦後だから。

わたしも、その修行。NHKで、取材撮影。テレビで観た。

斯くもタフなのは。軍国主義で、鍛えられてきた。

比叡山天台宗にとって。彼がごとき超人的高僧が、出現。

クリスチャンが発言とて。中興なのか、先ずは安泰。

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二人目の大阿闍梨。塩沼亮潤。

千日回峰行を、満行。彼が発言によると。役行者から話すから。修験道による、国家神道に近い。なので、比叡山から、離れて。奈良は吉野山

塩沼師は、仙台出身だから。19歳で得度、出家は、遠く故郷を離れて。

彼が住職の、慈眼寺。この寺院名。わたしも、かなり、以前追っかけました。

宗門違いでも、同名が寺院名、在るんです。慈眼寺のそれは、禅宗にもあります。

それで、言わせてください。

塩沼師が、禅宗の僧侶から、出版の助言をいただいたそうです。

その真意は。わたしが、非仏門だから、言えることですが。

滅多に出ない、傑出した僧が。その体験を、出版で拡散は。宗門は違っても。

同じ仏教徒他山の石。十分、参考になる。ちゃんと、代価を支払って買うのだから。

禅宗は、只管打坐。南無も無ければ。座禅を組んで、ひたすら。

福井県が豪雪と氷点下。永平寺の雲水入門が、定番。

大阿闍梨が苦行、そこまでやるか。それより、玄関の三度の禅問答。

それで。ただ今が、国難。この国も、何度かありましたけど。

鎌倉といえば、「蒙古襲来」でしょうから。

時の執権、北条時宗。彼が、菩提寺禅宗。弱冠だけど、攻めて来る敵が、武士道、その情け、あったもんじゃない。

先程と、つながるのだけど。戦って、行軍もある。指揮官大将以下主たる武将。

彼等は、馬上にある。而して、他ほとんど足軽。走るんでしょう。それも、重たい武具背負って。糧食が栄養もさることながら。

脚部の疲労、半端じゃないよね。馬上から見る、部下将兵が、何里走ったか。

疲労困憊してる風。腰下ろして、少休止。座禅が姿勢、そうでしょう。

酷使が足、楽にせよ。テレビで観る、シーンが多いから。そのイメージ、消えない。

 

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冒頭が、系譜と、脈略。それに従えば。

大阿闍梨は、千年が古都。関西は、京都・奈良圏。1300年持ち出したは、奈良を含めての事。

それで、鎌倉新仏教、とは一線を画している。此度の話題には、脈略無し。

大阿闍梨塩沼亮潤氏、本人が発言です。彼が主旨は、奈良は高野山系です。

端的に、その満行をもって。彼が故郷に、「慈眼寺」新装開山したと、自己紹介です。

寛容に疎い、わたしは、ここで。系譜ある彼らを、VS扱いして、載せた訳です。

別に。寛容が、仏教の専売特許でもあるまいに。

現に彼が。里に下りての、布教活動。仙台って、「独眼竜政宗」ではないけれど。

カトリック教会史における、重要な布教拠点でしょう。

故に、わたしは。自称、ノンカトリックにして、非仏教徒

そこから視点で観てるんですね。

新任大阿闍梨、塩沼亮潤。彼が、企業研修やら、諸団体からのオファー。

住職着任から、大伽藍が境内。財政面での重責、自らの「四苦八苦」。

「99人がどうの。1%をこうの。」 クリスチャンなら、ピンとくるでしょ。

講演会が終了時の、応答。「人生は、地獄です。」 あっけらかん、と云った。

その言葉、ユーモアとして、わたしは受け止めました。

説得して、なんぼ。信徒を新規獲得して、実績。加持祈祷も、真言密教故。

生死の境まで、命懸けで体験して。その記憶を忘れずして、やっと務まる。

彼が視界には。おそらく、有るでしょう。

先の、3.11。東日本大震災未だ、飢えた家庭もある。余震もある。

そして、列島を周回する、「ウクライナ侵攻」した国。

内憂外患

同朋として。抵抗する同志として。

 

グリコじゃないけど。オマケ。

下記。「常套句」は、都内「江東区」ではない。

 

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きみがさくら、ぼくもサクラ ♪   ~K嬢に捧ぐ~  詞曲:ピーマン

1.花びら舞い込む机から 素知らぬ振りして窓の外
  それでも匂うきみの香が
  ぼくの呼吸(いき)を追いつめて
  時は空しく過ぎて きみはもう還らない ♪
  時は空しく過ぎて きみはもう還らない ♪

2.校舎のスロープ靴音が だんだん離れるキャンパスで
  コートは風と足速に 
  影だけ残して月明かり
  影を踏めばよかった バス停までも追いかけて ♪
  時は空しく過ぎて きみはもう帰らない ♪

3.朝露零れる葉影から 雌鹿が遠くで啼いたのか
  きみが倒れし比叡山
  ぼくは呼吸(いき)を止めたまま
  時は空しく過ぎて きみはもう返せない ♪
  時よ空しく過ぎて きみはもう返せない ♪

4.雑踏逃れて湯煙を 石山巡って老神へ
  闇を走って赤城山
  残る面影母盲女
  時は空しく過ぎて きみをもう映せない ♪
  時は空しく過ぎて きみをもう映せない ♪

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廿日市で海風(うみかぜ)受ければ♪      詞曲:ピーマン

1.ぼくはSL広場に居た  きみは未だ居なかったんだね
  あれから路面に乗り  それから広島へ行った
  資料館の拡大鏡から  眼を外して見たは   折りたたんだハンカチ
  頭はパンクしそう   肘付き椅子に両肩G  へたり込んだ
  窓ガラス越しのドームと燃える火   さえぎった夕立に引かれてなら
  旅行のジャージで  少女たち蜘蛛の巣散らした 置き忘れたハンカチ きみだったのかしら

  それはたとえば 廿日市で海風(うみかぜ)受ければ たとえ秋でなくとも 誰でもきみを思い出すだろう♪
    そうでなければ    白髪が生きるより    黒髪の少女が容易いを  誰も承知しはしない♪

 

2.ぼくは安芸宮島を観た   きみはもう廿日市っ子ね  
  あれから東京へ帰り  見知らぬ十字架探した
  満ち潮の大鳥居から  眼を凝らして見たは  廿日市の港 
        日向薬師登り   岩階段両脚NG  座り込んだ
  極楽寺キャンプファイヤー   暮れ入る夕陽に照らされても
  青春が始まり   少女たちはしゃぎ回る  眺めたんだ港  きみだったのかしら

  それをたとえて 廿日間の長凪続けば  きみが思い出をして  誰に言伝することやら♪
  そうでなくとも    白髪は去りもする    少女の血はなお赤い  誰も承知しはしない♪