かいふう

近未来への展望や、如何に。

ある時代

カンヌ国際映画祭、主演作「PLAN75」。

イタリアの映画祭で「生涯功労賞」、受賞。

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修学旅行は、南紀白浜。浜辺で拾ったは、さくら貝

倍賞千恵子「さくら貝の歌」♫は、よく聴いた。

その宿泊先で、自由時間か。見晴らしがいい、海風が入る角部屋が、焦げ茶が板張りのラウンジ。新婚さんらしきカップルも見かけた。ラッパの音が、入って来た。誰か、下方で吹いている。「白い渚のブルース」♫、ニニ・ロッソ

トランペットが、独奏。それを、独りで聴いた訳です。

練習なんだろうな。旅館が、宴会場で披露するのかな。

それとも、何れ。プロが為の修業なのか。わたしと同じ年代なのか。

将来、ホラは吹きたくない。でも、ラッパも吹けない。木口小平は、何処で戦死したか。

早朝か、夕暮れか。何故か、浜辺にいて、幾つか拾って、持ち帰った。

帰宅後、木製が机の引き出しにしまって。同じ年、「サウンド オブ  ミュージック」♫のレコード購入。「エーデルワイス」♫も覚えた。

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山田洋次監督が「家族」を観た。「青春の門筑豊編」と、どちらが先か。

九州が炭抗、その失業者が。就職に、本州を飛び越えて。北海道へ行くかね。

1970年製作だから。わたしが、酪農バイトの後年。

だって。あり得ない話ではないが。炭坑夫が、あのだだっ広い地平線が、緑が草原。

牧草刈って、搾乳して。乳牛相手で、早朝起きて。全然違う。

鉱業、地下にもぐって、落盤で酸欠。そういう事故は無いにせよ。

わたしの様に、奇跡体験はせずとも。

なにか、脚本に、その家族が到着地。無理があるんでは。

それで観て。転職先が目的もあるんだろうけど。そしたら、監督が実家、鉄道マン。

これが作品は、JR推薦か。客車車内、国内移民する。途中経由地。地方地域が、住民との、乗り合わせた数々が市井の庶民。彼らとの、袖ふれ合いも多少の縁。それが脚本。

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今回。イタリアの映画祭、「生涯功労賞」受賞が、対象。倍賞千恵子さんが、主演作のひとつ。それに、これが選ばれてある。それが喜ばしい。

寅さんシリーズの、妹役さくらも当然。

そして最新作が主演、評価されての、受賞。劇中、彼女がキャリアの独唱も、余す事無く。

松本清張原作、「霧の旗」も、好演。

「下町の太陽」♫の歌唱は、関東は、首都圏。そのイメージ変えましたね。

爽やかに、歌ってました。新人登場が印象強く。

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「PLAN75」は、早川千絵監督が、脚本も、兼ねている。

この作品は、前回が、「大阪万博」を製作した、多才な、そして善良な官僚。

堺屋太一、彼が命名団塊の世代。昨今、ほぼ全員が、現役引退。

彼ら、大凡500万人は、老後。如何に行くべきか。

この「PLAN75」は、啓蒙してるのか。対象者側から、観るなら。

かなり厳しい、切実な問題提起では、あります。

監督彼女は、それを、理不尽。そう、キーワードを提示してる訳です。

世代が、違う。内憂、なんだろうな。

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ならば、外患は。不条理。

それに、何を想像するか。各自、自由ですけれど。

襟に輝く「ブルーリボンバッチ」。

既に、喫緊がそれ、でしょうよ。即ち「拉致事件」。

 

 

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きみがさくら、ぼくもサクラ ♪   ~K嬢に捧ぐ~  詞曲:ピーマン

1.花びら舞い込む机から 素知らぬ振りして窓の外
  それでも匂うきみの香が
  ぼくの呼吸(いき)を追いつめて
  時は空しく過ぎて きみはもう還らない ♪
  時は空しく過ぎて きみはもう還らない ♪

2.校舎のスロープ靴音が だんだん離れるキャンパスで
  コートは風と足速に 
  影だけ残して月明かり
  影を踏めばよかった バス停までも追いかけて ♪
  時は空しく過ぎて きみはもう帰らない ♪

3.朝露零れる葉影から 雌鹿が遠くで啼いたのか
  きみが倒れし比叡山
  ぼくは呼吸(いき)を止めたまま
  時は空しく過ぎて きみはもう返せない ♪
  時よ空しく過ぎて きみはもう返せない ♪

4.雑踏逃れて湯煙を 石山巡って老神へ
  闇を走って赤城山
  残る面影母盲女
  時は空しく過ぎて きみをもう映せない ♪
  時は空しく過ぎて きみをもう映せない ♪

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事件は、高野山も、比叡山も、まだ世界遺産になる前の時だ。
仏師を目指す若い学生が、ひとり比叡山へ向かった。
そして、その山麓で野宿するホームレスに襲われ、死んだ。
記事を読んで、何故彼女は比叡山を選んだのだろう、とおもった。
加害者に同じ質問をぶつけても、詮無いこと故。
被害者側のそれを調べるしかない。そこ以外を選べば、事件はなかったはずだ。
老神を目指したのは、自分の意識であり、決断である。
クリスチャン故、老いても神、なのである。地図には、石山神社という弘法大師所縁の地があり、それも寄って、山越えした。
だから、それ以前に、彼女の事件を知っていて、高野山空海さん、それ所縁の石山、という理由付けができる。彼女の死の比叡山系列を、意識して避けたのである。
もう、比叡山にはおそらく行かない。
彼女も、自分が教室から見た桜が舞い散るを、おそらく見たはずだ。
接点があるとすれば、それだけだ。