「ノーモア ヒロシマ!!」の日。
この国は、どうなるのだろう。
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廿日市で海風(うみかぜ)受ければ♪ 詞曲:ピーマン
1.ぼくはSL広場に居た きみは未だ居なかったんだね
あれから路面に乗り それから広島へ行った
資料館の拡大鏡から 眼を外して見たは 折りたたんだハンカチ
頭はパンクしそう 肘付き椅子に両肩G へたり込んだ
窓ガラス越しのドームと燃える火 さえぎった夕立に引かれてなら
旅行のジャージで 少女たち蜘蛛の巣散らした 置き忘れたハンカチ きみだったのかしら
それはたとえば 廿日市で海風(うみかぜ)受ければ たとえ秋でなくとも 誰でもきみを思い出すだろう♪
そうでなければ 白髪が生きるより 黒髪の少女が容易いを 誰も承知しはしない♪
2.ぼくは安芸宮島を観た きみはもう廿日市っ子ね
あれから東京へ帰り 見知らぬ十字架探した
満ち潮の大鳥居から 眼を凝らして見たは 廿日市の港
日向薬師登り 岩階段両脚NG 座り込んだ
極楽寺のキャンプファイヤー 暮れ入る夕陽に照らされても
青春が始まり 少女たちはしゃぎ回る 眺めたんだ港 きみだったのかしら
それをたとえて 廿日間の長凪続けば きみが思い出をして 誰に言伝することやら♪
そうでなくとも 白髪は去りもする 少女の血はなお赤い 誰も承知しはしない♪
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2004年10月5日。某高校2年生、事件死。17歳。
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さくら隊を、知っていますか。
戦中時、慰問の移動劇団に所属しての、広島巡業。
「さくら隊」編成については。どういう経路で、軍が命令で。
最終的に、誰と誰が、選抜されるのか。
その間、志願しての、結果なのか。経緯は、知りません。
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国民的作家の吉川英治は、報道班員として、大陸へ、体験がある。
「ブルースの女王」の淡谷のり子さんも、外地へ行ったかしら。
彼女が、何度もの、逸話。基地慰問で、舞台で唄っていたら。
丸坊主が若い隊員、聴衆が最後方に、やって来て。途中で、頭下げて消えた。後で、聞いたら。特攻隊員で、出撃した。
小津安二郎監督が、数回、予備役で。中国大陸へ、招集され。運良く撮影所に戻ったが。僚友山中貞雄監督は帰還せず。
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山本薩夫監督の撮影所に、許可で行った時。女優園井恵子さんの事、聞こうとおもったけれど。不可能でした。彼の思想、信条にも影響したのでしょう。
最近、阪妻主演が「無法松の一生」の、ヒロイン役で、スチール写真。視た。
やはり、被爆で失うは。
彼女が記念碑、在ります。
同じ、タカラジェンヌでも。乙羽信子さんは、「原爆の子」以降、近代映協へ参加されました。
彼女が主演、「裸の島」が作品、モスクワ映画祭で、グランプリ。共産主義国家にとっては、瀬戸内海が小島の、糞尿担いでの炎天下の野良仕事。資本主義国家も貧しい、と逆宣伝効果。
それは、対岸に。被爆都市広島を抱えての、戦後。それを、リアリズムで描いたのであって。いささか、趣が異なる。
「裸の十九歳」で、連続射殺魔が母親役。難役こなして。
名女優杉村春子とも、晩年共演を果たし。戦後日本映画史に残した足跡。誠に、敬愛に値します。
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故に。解せません。
隣半島のおばさん、顔にケロイド無いこと、いいことに。
臭い芝居にしか、見えんのですよ。
「キムチ臭」でしょうが。
紛れもない『キムチ族』でしょうが。
厚顔無恥とは申しません。
しかし、被爆者が背負った、運命。
その痛み、辛さ、そして悲哀。それで、のたうちまわった話。
聞いてませんね。
もう、しませんか。『厚顔キムチ』さん。
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偏見でも、何でも無い。
楔打ち込む、発言するような婆さん。
被爆地には、来られません。
本人が、正体バレるからでしょう。
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被爆者が、霊が。拒みますよ。
所詮、「キムチ半島」からの発言。