かいふう

近未来への展望や、如何に。

ある映画監督の死.その1/「ぼくの映画史」.その4

「果てしなき欲望」、「人間蒸発」、そして「黒い雨」の今村昌平監督が訃報。数少ない高名な某映画祭での2度の受賞、やはりそのタレントの評価は、映画史に残るものだろう。とにかく、タフでエネルギッシュな作品群。自分には決して作れないし、参加できない、故に観てしまう。脂ぎっていて、消化不良を起こしかねない。助監督時代の僚友、浦山桐郎監督の作風の方が、自分の体質には合う。
「人間蒸発」は、素人を採用してのドキュメンタリー・タッチの作品で実験的であった。女主人公がラスト、ほんとに女優を演じる域まで育ってしまう、それを追うカメラワークが斬新だった。
まさか、{拉致事件}を意識してた訳ではないでしょう。
だが、浦山監督の「キューポラのある街」は名子役市川好朗も得て、在日北朝鮮帰還の船のシーンを活写していた。その観客のひとり、が後年ブルーリボンを付けていても、なんら不思議では無かろう。主人公ジュンだったっけ、原作小説から抜け出て、横田めぐみという実在の拉致された少女、として現出し、未解決事件の主人公として、この国民観客の想う映像に留まっているのである。
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それから「黒い雨」なんですね。
被爆した市民。軽症とおもわれた人々が、逃げ惑う訳ですから、集団の移動のロングショット。そして時には、彼らの内の何人かの苦痛と不安のクローズアップ。何れにせよ、そこには、いわゆる今村組のベテランも含めたキャストが結集しなければ、作品は出来ません。同業の監督、時折の会合で、互いに探りを入れたり、じゃあ誰が何時、井伏鱒二の原作を、映画化するんだ出来るんだ。
にあんちゃん」での実績もある。
そして、若い感性の歌謡アイドルを起用、彼女の黒髪が櫛で抜け落ちるシーンで、モノクロ画面と題名を象徴的に表し得た。
この作品が為、とまで援護しませんが、この作品を世に問うたことで、それを為し得たことで、国民的というか、評価が到達した、とおもいました。
再度、山本喜久男さんも言っていた『比較映画学』で、となると、
製作ほぼ同時期のアメリカ映画「ブラックレイン」でしょう。
ハリウッドで、移民も含めた数々の逸材を生み出したお国柄。
松田優作の遺作でもある「ブラックレイン」は、日本のヤクザの話ですからね。明らかな、カウンターカルチャーでしょう。
>『うなぎ』がカンヌでパルムドールを取れた大きな要因は、
実は、日本人なら、まさに「黒い雨」で受賞、なんだろうけれど。
フランスは違う。アメリカをも意識している。
それで、『うなぎ』まで受賞が延びた、のでしょう。
ミスコンとまで比較しないが、その時の審査員の好みにも依る、にせよ。
監督という極めてタフなリスクな仕事が認められて、受賞したこと、それ自体変わりは無いのですが。
「黒い雨」は、新藤兼人木下恵介、に続く三番目の被爆映画になったのでした。