かいふう

近未来への展望や、如何に。

「憲法第11条、及び第25条」から、するに。

kaihuuinternet2009-08-06

河村官房長官が6日午前の記者会見で読み上げた原爆症に関する談話は次の通り。

原爆症認定を巡る集団訴訟では、8月3日の熊本地裁判決を含め、19度にわたって国の原爆症認定行政について厳しい司法判断が示されたことについて、国としてはこれを厳粛に受け止め、この間、裁判が長期化し、被爆者の高齢化、病気の深刻化などによる被爆者の方々の筆舌に尽くしがたい苦しみや、集団訴訟に込められた原告の皆さんの心情に思いを致して、これを陳謝する。

この視点を踏まえ、このたび集団訴訟の早期解決を図るように決した。政府としては、これまで拡大してきた原爆症の認定基準に基づいて、現在待っておられる被爆者の方々が一人でも多く迅速に認定されるよう努力するとともに、唯一の被爆国として原子爆弾の惨禍が再び繰り返されることのないように、核兵器の廃絶にむけて主導的役割を果たし、恒久平和の実現を世界に向けて訴え続けていく決意を表明する。(2009年8月6日読売)
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広島は6日、64回目の原爆忌を迎えた。麻生首相は同日、広島市内で、原爆症認定集団訴訟の全面解決に向け、全員を対象とする救済策を盛り込んだ確認書に調印した。

一方、広島市中区平和記念公園では、平和記念式典(原爆死没者慰霊式、平和祈念式)が行われ、市民ら約5万人が参列した。

今年4月、オバマ米大統領が「核兵器のない世界」を提唱しており、秋葉忠利市長は平和宣言で、オバマ大統領への支持を表明し、核兵器廃絶について「Yes,we can.(絶対にできる)」と呼びかけた。

救済策は、1審で敗訴した人も含めて救済するもので、2003年以降、全国17地裁に提訴された原告306人の同訴訟はこれで決着する。

確認書は、〈1〉1審で原告が勝訴した場合、国は控訴せず判決を確定させる。8月3日の熊本地裁判決についても控訴しない〈2〉係争中の訴訟は1審判決を待つ〈3〉議員立法基金を設け、問題の解決に活用する〈4〉厚生労働相日本原水爆被害者団体協議会(被団協)・原告・弁護団は定期協議の場を設け、訴訟で争う必要のないよう定期協議を通じて解決を図る〈5〉原告団集団訴訟終結させる――という内容だ。原告とともに厚生労働省と交渉してきた被団協も調印した。

首相は続いて行われた被爆者との意見交換で、「原告の方々がご高齢になっておられること、長きにわたり訴訟に携わったことなどにかんがみ、早期に救済する新たな方針を決断した。異例の対応だが、国の控訴を取り下げる」と述べた。
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原爆症の認定をめぐる集団訴訟が、政治判断によって、終結することになった。

広島原爆忌の6日、麻生首相は原告の全員を救済する方針を表明し、被爆者団体の代表らとともに確認書に署名した。

1審で原告が勝訴すれば、国は控訴せず判決を受け入れる。敗訴原告も、議員立法基金を設けて救済を図る。今後は訴訟で争う必要が生じないように、国と被爆者団体などの定期協議の場で解決を図る――との内容だ。

被爆者の高齢化が進み、平均年齢が75歳を超えていることを考えれば、いつまでも司法の場で争い続けるべきではない。妥当な決断と言えるだろう。

救済策には民主党も一定の評価を示している。協力して議員立法などの具体化を急ぐべきだ。

国が原爆症と認定しなかったことを不服とする被爆者約300人が全国で起こした訴訟は、19回の判決が出ており、大半の原告が勝訴している。

これまで国は1審で敗訴しても控訴し、2審の判断が出るまでは争ってきた。今回の合意により、高裁で係争中の訴訟はすべて取り下げられる。まだ地裁段階の訴訟は判決を求めるものの、結果によらず原告は救済される。

厚生労働省法務省などは、裁判所も原爆症と認めなかった人まで救済対象とすることに難色を示したが、議員立法という形で乗り越えることになった。

原爆症認定訴訟に決着をつけないまま衆院選に臨めば逆風がより強まる、との政治的思惑が政府・与党にはあったにせよ、思い切った方針転換である。被爆者団体の代表も「何十歩も前進した」と歓迎している。

ただし、これで原爆症認定問題が全面的に解決した、とは言い切れない。

今回の救済策は、係争中の原告だけが対象だ。原爆症認定の申請をして国の審査を待っている人は7000人以上いる。今後さらに増えるだろう。認定されなかった人が新たな訴訟を起こす可能性は残っている。

そうしないために、国と被爆者団体などが定期協議の場で解決を図ることになったが、具体論は衆院選後の政権に委ねられた。

審査の枠組みを見直し、現在より幅広く、迅速に原爆症を認定していくとしても、新たなルール作りは簡単ではない。政権の枠組みがどうなろうとも、超党派で取り組むべき重要課題となる。(2009年8月7日読売・社説)
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ここ数日の、マスコミ報道の中に、当時当日、国民学校の朝礼の時間、校庭で被爆した生徒の生存者らしい人が、その体感を、『いきなり溶鉱炉に投げ込まれた』と証言していたが、数千度の熱線と爆風は、如何に人知を超えた空恐ろしいものか。
想像だにしないし、そうできない。
だから、たかが60年やそこらで、忘れる訳にはいけんのだ。
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広島で被爆した少年を主人公にした漫画「はだしのゲン」の英訳版「BAREFOOT GEN」の全巻完成を記念した出版激励会「世界へ飛びたて はだしのゲン」が26日、広島市内で開かれた。

作者の中沢啓治さん(70)や、英訳を手がけた金沢市市民グループ「プロジェクト・ゲン」のメンバーらが出席し、核兵器廃絶に向けたメッセージを発信した。

プロジェクト代表の浅妻南海江さん(66)(金沢市長坂)は「ゲンの物語に耳を傾ける若者が多くなればなるほど、核廃絶への希望が高まる」とあいさつ。中沢さんは「全米の市民、子どもたちに読んでもらい、戦争と核兵器がいかに許せないものか分かってほしい」と英訳版への期待を寄せた。

会には、プロジェクトのメンバーのほか、母国語訳に取り組む外国の翻訳家ら、約100人が出席。完成した英訳版はオバマ米大統領に贈る予定で、「広島への訪問を歓迎します」と記した色紙に全員が署名した。

1970年代に4巻まで英訳したメンバーで、今回も校正などを担当したアラン・グリースンさん(57)(東京都杉並区)は「英訳がいまだに全巻出版されていないことを、アメリカ人として恥ずかしく思っていた。責任を果たせてほっとしている」と話していた。

英訳版は第8巻までが既刊で、完結編の9、10巻は、10月に米サンフランシスコの「ラストガスプ社」から出版される。(2009年7月27日 読売)
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2009年夏、欧州の某映画祭、それが何処かもう記憶ない。多分、カンヌでしょう? 受賞の名誉賞に、アラン・レネの名を見つけた。

そういえば、去年の夏か、彼の「広島、わが愛」(日本題名「二十四時間の情事」)が上映され、この国の若い観客が集った。主演女優さんが当時撮ったモノクロ写真集も出たらしい。この日本題名には、日本の映画人の意地がある。
とてもじゃないが、被爆者の気持ち、からフランス題名は遊離している感覚をぬぐい切れないからだろう。違和感は厳格に存在するからだ。広義でのレジスタンス、カウンターカルチャー。映画人も、題名を考える人も、兵隊で出征しようがしまいが、戦争を生き抜き、終戦を迎え、そして再び、窓の外に祖国の廃墟と瓦礫を見つつ、映画に復職して、このわずかばかり前は敵国だった国の、被爆地現地ロケの作品を、国内配給する訳だから。
ここにも、翻訳の苦悩があるように見える。素直に直訳、あいならん。ケロイドと死の放射能、その中で、異国の女と、何だって。
だから、その日本題名で決めるしか、なかったんだろう。

名誉賞受賞の評価は、この監督がドキュメンタリー映画「夜と霧」をも撮った人だからではないか。独裁者とその取り巻き連の暴虐が痕跡、アウシュビッツ強制収容所の殺風景。そして同時期の広島のドームのハゲ頭。感受性豊かな女優を、夏の情緒の浴衣姿で、その背後に被爆のドームのハゲ頭。このワンカットに、彼は拘ったのではないか。

当時敵国の同盟国の廃墟と被爆の実相。ヒロインをして、涙を流させたかった、はどうか。俳優さんの領分だからね。でも、あのワンカット、どうしても涙で潤む眼、は欲しいよね。それで残ってる。

この監督に、名誉賞を授けた、会の、そして市民としての良識を、安堵の気持ちで知る。

さて、独裁者の系譜なるもの、知りたくもない。しかし、見渡してみよう。ピントがどこに合うか。ならば、誰がそうなのか。

劇映画からもドキュメンタリー映画からも学んだ。

欧州の市民から、その良識をも教わった。

ならば、次に、我われがすべき事とは。

貴方にも、それぐらいの映像は有るだろう。
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「 Habit is second nature.」こちらは、時々思い出します。
老人を受け入れる定めの者にとって、かなり利用価値ある。
彼三島さんは、独裁者という怪物、とレジスタンスする習慣を、どうして持ち得なかったのでしょう。
喜劇の王様、はそれをしました。資質の問題でしょうか。
スタンスがあり過ぎたのでしょうか。
何が、いや、誰が介在し、他の誰がそうしえなかった。
小説の一節は、主人公に云わせてるんだから、という逃げ、はありますよね。
昭和の人、を自ら決めた人に、その後の改まった、彼の知らぬ「平成」という年号の世に、海外の独裁者と闘う術を、教えを乞う、のが誤りです。