かいふう

近未来への展望や、如何に。

国立ハンセン病資料館を訪ねる。

kaihuuinternet2008-11-29

数ヶ月前、どこかで知ったのだけれど、ハンセン病の方々の企画展が、今月末までの会期であることを、手帳に記していた。
それで、この日、小春日和ということで、久しぶりに外出した。
国立療養所多摩全生園は、東京多摩地区にある。以前車でその前の道路を何度か通ったことがある。記念碑もある公園で聞いて、既に全生園内に居るのを知る。それほど、緑の葉々の垣根に囲まれてはいるが、広い敷地だからか、業者か車の出入りもあるので、舗装道路が縦横に走っている。附近の住民の群れも見かけた。先ほど尋ねたベンチで腰掛けていた人も、園内に居住しているのとはとてもおもえない若い人であった。よもやその若い男は、あの往復に見た周囲の緑の葉々の垣根に載ってた白看板に黒字の看護師・看護士募集の、その職業の者ではないよな。こうおもう事自体、それは偏見と称する部類のものかも知れぬ。先日目出度く結婚した若い女優さんが、先年主演した劇映画も確か題材が、療養施設で働いた当時名看護婦の伝記ものであった。
受付のアンケートに記入したのは、閉館の1時間前である。館の外観の威容から、これで回り切れるかな。
常設展示を先ずこなそう。そして企画展示もある。
目まぐるしさに集中したのは、沖縄ひめゆり平和祈念資料館見学以来か。あの時はオプションで25分程しかなかった。それでも、最近の運動不足がたたってか、記憶する時間が遅れる。それでも、定刻になっても、館内には、幼児連れの若い父親やら、若い女の人たちが残っていて、熱気が感じられる。

展示のグラフには、先の大戦前後の罹患者の数の、増減の落差が一目でわかる。

終戦で、当時の敵国から特効薬が入って来たからだろう。
それでも、死亡の原因が、肺結核、腸内結核の多さにはおどろいた。腎炎も係わってある。
結核といえば、少年の時、誰から聞いたか今はもうそれすら忘れたが、この土地の近くの鉄道の駅名は、徒歩でその療養所があり、どちらが先に設置されたか。
両方共伝染病で、隔離収容されてある。医学に疎い子どもには恐ろしく、当時は下車無用の駅、という感覚で覚えたものだった。
小金井街道と呼ばれる南北に走るバス通りは、駅前では道幅が狭く、ラッシュ時の通勤電車の踏み切りでの交通渋滞など、運転手さんも神経使う、とおもう。それほど現在では繁華街ではある。それも、戦後数年して猛威を振るった結核と共に、近年激減して偏見から解かれたハンセン病。栄養失調から飽食の時代、医療行政の改編などが、おもわれる。
国立感染症研究所ハンセン病研究センターが隣接地に在る。
本年開催の医学夏期講座の案内によると、『世界保健機関(WHO)によると、2006年の年間新規患者数は約26万人であり、ハンセン病制圧にむけてわが国の積極的な国際的協力も求められております』とあるから、未だ油断は禁物だろう。
それに、結核も近年再び増加とのこと、侮れない。

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療養施設と呼ぶにほど遠い戦前、「らい予防法」廃止の最近まで、当時のモノクロ写真に残る収容者の方々、とそれに白衣で写っている看護側医療従事者の方々。
中には、劇映画「砂の器」の父子の白装束姿で観た、「南無大師遍照金剛」の筆跡ある着衣もある。
その背景に、幾多の戦争を透かし見る時、先人たちの困難と忍苦を認めざるを得ない。身が引き締まる。洗われるおもいだ。
そこには、国境を越えてさえ、清貧に耐えて、医薬品に窮し、それでも献身され格闘された方々の足跡が残る。
惰眠を貪っている者には、それこそ、いい薬を頂いた。点字を舌先で読むなんて。
この館名は、平成の、数年前リニューアルオープン、からである。
今回の企画展の冊子「ちぎられた心を抱いて -隔離の中で生きた子どもたち-」、時間がなく詳細に読めなかった作文集、帰り際無料だそうで、受け取り持ち帰った。それも、処方箋のひとつとして、耐える力をくれるだろう。

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某紙連載の「万葉集」選。「平成万葉集」募集が、締め切り日が翌日。
古(いにしえ)人のロマンチックは、いいんだ。後の戦国でさえ、わずか五十年と謡うなら、それでいい。
でも、戦後の昭和から、平成を古老で生きていくなら、リアリズムだろう。

どうせ選ばれぬ、とおもい、ここに載せる。

  故にもて 顔にケロイド 無かりしを
       さらに給(多摩)ふは 平和のひかり     豆人

                                                                                                                          • -

赤駒を山野にはがし捕りかにて多摩の横山徒歩ゆか遣らむ
(椋椅部荒虫妻:宇遅部黒女)

これも、防人の歌として載ってるのだけれど、未だ解説がない。 
彼の古(いにしえ)人におもいを馳せて、勝手な解釈してしまおう。
任地に赴く伴侶を、見送る。
赤駒とは、赤毛の馬なのか、それとも子馬なのか。1962年版、金田一両博士の古語辞典によると、「はが」は鳥を捕らえる装置。
野生の馬を捕らえて、どうせ遠い西の任地まで共に行きつけないのだからだろうか、身代わりに働かせる為か、主人は丘陵の稜線を歩いて旅立ちました。
飼育した馬を放ってまで、というは誤解、と改訂しました。

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某紙連載の「万葉集」選。2008年1月号、「平成万葉の旅 28」に、
上記に取り上げた歌が載った。
その訳によると、
赤駒を山野に放して捕まえ損ね、それで主人は歩いて旅立った。
見送った妻が馬を渡せずに、遠い旅路に旦那を出してしまった。
そういう感じらしい。

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ブログが某紙面を引用して、何か意見を添えるというは、云ってみれば、無料モニターみたいなもんでしょう。
偶然にしては出来過ぎていると感じても、誤訳を訂正してくれるのを兼ねて、
『デスク、これで行きましょう』っていうシーンも連想されない訳ではない。
当方、餞別代わり、と受け取った。
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PHP研究所発行の本を買った。世界史が、伝染病で変わった、という。著者が国立感染症研究所の方で、産業革命の過酷な労働による免疫力低下の結核第一次大戦時のあのスペイン風邪から、現在もアフリカとアジアではびこるマラリア。欧州を破壊したペストは、十字軍とモンゴル軍の両遠征。ルネサンスにも梅毒で、国王も病む。
アレキサンダー大王の遠征が風土病を各地に広げた。十字軍の遠征がヨーロッパ全土に広めたハンセン病コロンブスの一行の天然痘が、アメリカ大陸インディオのあっけない被征服の遠因まで。そしてそこから帰りが梅毒。
如何に伝染病で幾千万人が、戦争以外で命を落としたことか。
ハンセン病に尽くした聖女エリザベート、とその教会。
そして、ハンセン病者を治癒したキリストの奇跡。

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師走に入り、インフルエンザの予防接種に行った。もはや恒例です。
年金支給前に、くたばれぬ。
憲法改正」は視野から外せぬ。
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最近、この最上段の{グーグルの広告欄}に、訳の分からぬ、国籍取得の件が破廉恥にも顔出しているが、誰が日本円で外国籍を買う日本人が居るだろうか。
『キムチがかわいそう』
ハレンチ、と云っても、自国の拉致された同胞さえ未だ救出しようとする熱意を垣間見せない、韓半島のそれら輩には、通じないだろうな。呆れた。
ゆえに、この国の防人びとの意識が何処で線引きするか、考えた方がいい。

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このブログの管理人は、そんな金があったら、ベトナム旅行に行きたいところが、
ベトナムの目の不自由な人に何かできないか、と考えてしまう。
お門違いは、半島違い。インドシナだ。ベトナム戦争は無かった、とでも云いたいのか。
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加えて、例外はあるものです。その映画の主人公に、重ねる時がありますね。そういえば、この主人公も、そう利用しました。もう、どんな死に方したのか、記憶から消えましたが。
同様の出会いがあって、ぼくはピエールだな。彼の状態がわかるような気になりました。時々偏頭痛します。原因は、おそらく、あの時の後遺症でしょう。そこの脳細胞が死滅してしまったのかも。気化したガスを、タンク内から吸い込むんではなかった。他人の指示でも、先輩の彼を責める訳に行かぬ。もう時効でしょう。
シベールの日曜日」のピエールはフランス人なんでしょう。なんで、ドイツの俳優が演じるんだ。回想の木の元の少女はベトナムの少女で、それを撃つパイロットのピエールは、アメリカ人ではないはずだ。
しかし、そこは、かって仏領インドシナでもあった。観客は、国籍が絡まって、いやだからこそ、寓話として、すんなり受け入れざるを得なかった。モノクロが威力を発揮した。髪の色、目の色、を消して。真っ白な気持ちで観た、のだとおもう。
もうひとつの「父の不在」とは、戦争をしでかす人びと、それを制止しようとしない、マルグリット・デュラスのシナリオ、アンリ・コルビが初監督「かくも長き不在」の「父」ではないのか。
こちらの父とは、いわゆる神で、戦争の間、神はヨーロッパに居なかった。何処かに隠れていたか、留守にしたんだ。
二つの不在を重ねたんでしょ、とインタビューで問うても、答えんだろな。
主演女優は「第三の男」のアリダ・ヴァリ、カンヌのグランプリ、だそうです。これらを加えて、洋画ベスト5とします。
シベールの日曜日」、この映画監督が、ならば、カトリックか、知らんが。出演者全員クリスチャンと違うか。すると、クリスチャンたちが作った作品に、魅せられたことになる。この結論に、どう答える。

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オーソン・ウェルズを答えなかったら、モグリでしょうね。
市民ケーン」を観ずして、映画を語るなかれ。
最近も、BSかで、「黒い罠」を放映するそうですよ。
あと、「第三の男」。それに、「審判」。
彼の映画を観られて、幸運でした。なれそうに無い、と気付かせてくれましたから。
監督になりたい、と想わせるには、二つある、と思う。
あの監督の弟子になりたい。あの俳優を監督したい。
どちらも、何になりたいか、は同じなんだろうけれど。
進学の受験科目に、その記憶に年月をなまじ浪費してしまい、本来のタレントを発揮することを停滞、もしくは見失うならば、それは彼本人にも、そして社会にとっも不幸な事でしょうが。
でも、現場の下積み、それに、タレント認められるまで耐える、という勇気も要ります。集団芸術ですから。

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皇太子さまは5日、ベトナム公式訪問を前に東宮仮御所で記者会見された。会見のやりとりは以下の通り。

――(宮内記者会代表質問)昨年、日本との外交関係樹立35周年を迎えたベトナム国へ訪問するに当たっての抱負をお聞かせください。初めての社会主義国のご訪問となりますが、ベトナムにどのような印象をお持ちでしょうか。ベトナムには大規模な内陸水路網があり、ベトナムを含め中国やタイ、ラオスの国境などアジア各国を流れるメコン川の視察も日程に組み込まれています。水問題についても関心を深められる日程と拝察しますが、視察先への期待や興味もお聞かせください。

ご回答
 昨年、外交関係樹立35周年を迎えたことを記念し、ベトナム国からのご招待により、このたび初めてベトナム国を訪問できますことを大変うれしく思っております。ご招待いただいたベトナム国に対して心からお礼を申し上げたいと思います。

 日本とベトナムとの関係は、現在あらゆる分野で緊密化していると聞いており、私の訪問が両国及び両国民の友好親善の一層の促進に貢献できるようであれば幸いです。また、今回のベトナム訪問は、私にとってメコン地域への初めての公式訪問となることから、同地域の日本にとっての重要性を実感し、同地域と日本とのさらなる関係強化を図っていくためにも今回の訪問が意義深いものとなることを希望しています。メコン地域への訪問としては、以前にタイ国を訪問したことがあります。その折、飛行機が今回訪問する予定のベトナム中部の町ダナン市の上空を飛行したことをよく覚えています。

 ベトナムといいますと、戦争による痛手と長年にわたる困難な時代を乗り越え、国民一人一人が国づくりに努力され、近年、目覚ましい発展を遂げている活力に満ちた力強い国という印象があります。またベトナムの方は向上心が高く、勤勉であるとの評判も耳にします。食糧の自給率は100%を超え、石油・天然ガスなどの豊富な天然資源にも恵まれています。日本とベトナムはコメを主食とし、はしを使い、漢字を取り入れる等の共通の文化や歴史を持っており、親しみやすさを覚えます。

 ベトナムと日本との間には、近年の関係発展だけでなく長い交流の歴史があります。古くは古今集に歌が残されている阿倍仲麻呂ベトナムを訪れていますし、16世紀から17世紀にかけて朱印船貿易の時代に最盛期を迎え、数多くの我が国の商人が訪れ、当時、東西交易の拠点として栄えた中部の港町ホイアンには日本人町がつくられ、北部のフォーヒエンも交易港として栄えていました。我が国よりは銅や銅銭が主に輸出され、ベトナムからは生糸、沈香(じんこう)、砂糖、陶磁などが主に輸出されていたようです。今回の訪問でそのホイアンを訪問し、当時の日本人町や交易品の出土品などを見ることを今から楽しみにしています。

 また中部の古都フエを訪れる際には、フエ音楽院でベトナムの伝統音楽ニャーニャックの演奏を聴く機会があるというふうに聞いています。日本の雅楽ベトナムのニャーニャックは同じ漢字表記をし、日本の雅楽の中には8世紀にベトナム中部にあった林邑(りんゆう)国の僧侶によって伝えられた舞楽があり、林邑楽として現在も皇室に伝わっていることからも日本とベトナムのえにしを感じます。

 現在の日本とベトナムの両国関係は、「アジアの平和と繁栄のための戦略的パートナーシップ」を構築していくことに合意するほどに緊密になり、一昨年にはチェット国家主席国賓として来日されました。両国間で経済連携協定も合意され、今後、経済関係はますます発展することが見込まれます。毎年約40万人の日本人がベトナムを訪れ、3万人以上のベトナムの方が我が国を訪問し、大変身近な国になっているとうかがっています。

 このような中で昨年、両国は外交関係樹立35周年を迎えました。9月には、これを記念してベトナムフェスティバルが催され、私も開会式に出席する機会を得ました。このフェスティバルには15万人もの人々が集まり、私はそこに集う両国の人々の熱気と活気を強く感じました。このような両国の関係をさらに強化し、信頼と友好の絆(きずな)を確かなものとしていくためには、特に若い世代の活躍が大切であると考えます。今回の訪問では、ハノイではグエン・ディン・チェウ小中学校を、フエではフエ音楽院を、ホーチミン市では日本・ベトナム人材協力センターを訪問することとしておりまして、また日本人学校の訪問やベトナムで活躍されている青年海外協力隊のみなさんとお会いすることも予定されております。両国の若者たちの活動を目にし、話をうかがうことを楽しみにしております。

 今回の訪問では、日本とのゆかりが深い場所や文化、ベトナムの美しい自然を視察させていただくとともにチェット国家主席への表敬やゾアン国家副主席、各地方政府の長との会見、日頃から両国の友好関係の構築に貢献されているベトナムの方々や在留邦人の方々とお会いする機会が予定されています。そのような貴重な機会を通じ、両国の友好関係の一層の緊密化に貢献できればうれしく思います。

 またそれとともに私自身、ベトナムの国と人々への理解を深めていきたいと思っております。メコン川については、今回、間近で見るのは初めてですが、私の個人的な研究テーマである水や水運の観点を含めてメコン川についてこの機会にいろいろと知りたいと思います。私は一昨年、国連事務総長からの要請を受け、国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁に就任いたしました。メコン川は中国、ミャンマーラオス、タイ、カンボジアベトナムを流れる国際河川です。メコン川流域では豊かな自然に育まれた農作物を中心とする流域国間の交流が盛んであり、その過程で水利用や水運に関する国際協力の枠組みが形成されていると聞いております。訪問するベトナムメコン川の最下流に位置し、メコン川によって形成された下流の肥沃なデルタ地域は、世界有数の穀倉地域であり、ベトナムの経済を支えている一方で時には洪水による被害に悩まされてきたと聞いています。このようなアジアの大河の状況を直接見ることができる機会を楽しみにしております。

 また本年は日本とメコン地域の国々との交流年ということで、日本とメコン地域との関係を強化するために様々な交流行事が行われると聞いています。このような特別な年にベトナムを訪問し、メコン川を実際に視察できることをうれしく思います。

――今回のベトナム訪問について、妃殿下が同行されるか検討が続けられたとのことですが、同行されないことになりました。ご体調を考慮してのことと思いますが、最終的にどのような判断だったのか、今後の両殿下での外国訪問実現への見通しを含め、殿下のお考えをお聞かせください。

ご回答
 今回、ベトナム国からご招待いただいたことを雅子も大変ありがたく思っており、お伺いできないことを本人はもとより私も残念に思っております。外国訪問は日本と諸外国との相互理解と友好親善を増進する上でも大切なものであると考えておりますが、同時に雅子は依然として病気治療中であり、外国訪問については移動距離、訪問期間、訪問中の行事などの観点から慎重な判断をする必要があります。

 今回の訪問についても、お医者さまとも相談のうえで総合的に判断して私一人で訪問することといたしました。お招きいただいたベトナム国の方々のご厚意にお応えできないことを申し訳なく思っておりますが、ご理解いただきたく思います。

 今後の外国訪問についてはケース・バイ・ケースで、お医者さまと相談しつつ判断することになろうかと思います。基本的には前からお話ししているように外国訪問は我が国と諸外国との友好親善を増進するうえでもよい機会であり、今後とも大切にしていきたいと考えております。

 いずれにしましても雅子としては少しでも多くの公務ができるように頑張っておりますので、長い目で温かく見守ってくださるようお願いいたします。

――(在日外国報道協会代表質問)今回のベトナム訪問は昨年6月のブラジル訪問以来、4か国目の海外ご訪問となります。殿下のご関心の高い分野である水の問題を抱えるベトナム訪問も、殿下が以前からおっしゃっています公務の見直しに向けての何かしらの手がかりになりますでしょうか。天皇陛下と雅子妃殿下もストレスによってご病気をなされたようですが、新しい皇室・公務のあり方についてのお悩みも、お心のご負担になっているということはおありでしょうか。

ご回答
 水の問題はいまや世界が直面している地球温暖化を含む環境問題や資源問題の重要な課題の一つとなっており、個人的に大きな関心を寄せています。また国連事務総長からの要請を受け、国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁に就任しており、国際会議への出席などを通じて水の問題の重要性を広く皆さんに知っていただきたいと思っています。今回視察するメコン川は、この地域の主要な国際河川であり、その視察を通じて私の研究をさらに深めることができ、それが公務を果たす上でいくらかでも役立つことができればと思っております。(2009年2月5日読売)

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ベトナム訪問中の殿下は、小学校で目の不自由な生徒たちと集会を持たれた。そこでは、長くボランティア活動をされてきたベトナム特任親善大使の杉良太郎さんも居られた。
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オリバー・ストーン監督『プラトーン』は観ました。何より、兵士としてベトナム戦実体験者ですからね。
小林正樹監督「人間の条件(条には人偏が付く)」は、小林監督自身の実体験もあるでしょうが、原作もありました。
それで、『ウォール街』も観ました。『サンサルバドル』も。
日本国は、あの時以降、直接戦争をして来なかったので、そういう感覚の間隙を埋めるべく、学生のごとく、テレビで視聴したのでした。
ストーン監督の家庭も、父親が仕事を知り、ニューヨークでの映画を撮った経緯もわかった。
だから、同監督の、両極端の作品を観れば、その時代を理解するに、とても、入門として、いいと。
兵役を通過して来た者、として、USAは、その国民は、見る目が違うのでしょう。超大国の自負も含めて。
兵役免除は、外国へのミッションか、限られていますよね。現在も、それが生きているか、知らぬが。
そして、そのミッションとは、当然、建国以来の、大統領の宣誓式で一目瞭然。キリスト教のミッションです。