かいふう

近未来への展望や、如何に。

「なんでも番外編」.その1♪

kaihuuinternet2006-07-15

「浜辺の歌」は、作曲した成田為三(なりた・ためぞう)(1893〜1945)が、東京音楽学校(現東京芸術大)の同窓の女性に贈った恋歌だった。女性の養子で声楽家鈴木義弘さん(70)(東京都武蔵野市)が15日、高校時代を過ごした宮崎市で開かれた演奏会でこの秘話を公表し、「浜辺の歌」を歌い上げた。

成田は秋田県出身。山田耕筰に師事するなどし、数多くの作品を残した。

「浜辺の歌」を贈られたのは、鈴木さんの養母で東京出身の矢田部正子さん(1900〜89、旧姓倉辻)。正子さんは、声楽家で元東京芸術大名誉教授の矢田部勁吉(けいきち)さん(1896〜1980)と結婚したが、子供がなく、勁吉さんの教え子だった鈴木さんを養子に迎えた。

鈴木さんが正子さんから秘話を聞いたのは、勁吉さんが亡くなった翌年ごろ。「私の死後、曲に込められた事実が明らかになればと思う」と語ったという。夫にも話さない事実だった。

それによると、1916年(大正5年)ごろ、東京音楽学校でピアノを専攻していた正子さんあてに、成田から郵便が届いた。中には手書きの楽譜(歌詞つき)があり、「いとしの正子にささぐ」と記されていた。それが「浜辺の歌」だった。

そのとき、勁吉さんと婚約していた正子さんは、「私には決まった人がいます」と手紙を添えて楽譜を送り返したという。

やがて、周囲の勧めで世に出た「浜辺の歌」は、広く歌われるようになった。

正子さんの死去から17年。鈴木さんは「成田さんも奥さんも亡くなられた。今なら公にしてもいいと考えました」という。

鈴木さんは15日の演奏会のアンコールで秘話を紹介。「母はよく『成田さんに気の毒なことをした。この歌を歌う時は、成田さんの心情を考え、おろそかにしないでほしい』と言っていました」と話した。

続いて、ピアノ伴奏で「浜辺の歌」がホールに響き、最後は聴衆も参加する合唱になった。(2006年7月16日読売新聞)
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この歌、某TV局で今月頻繁に流している。飽きの来ない名曲だ。学校の混声合唱でもよく歌った記憶あるでしょう。
それは、歌曲に限ったことではないが、それでこの国に生まれたことを誇りにおもうなら、当に国民的歌曲という証明になろう。
年代を超えて、それこそ自然にメロディが現場を誘う。
それにしても、恋って、すばらしい力なんですね。