海の日。この国が祭日。海風印種人、ゴールの石灰を踏む。
この国は、どうなるのだろう。
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本日が祭日とは。忘れていました。
昨日は、すると。マラソンに譬えれば。スタジアムに戻って来た。
そんな感慨でしょうか。
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どんなBGMが、聴きたいか。浮かんで来るか。
日本海溝に、光無く、音なく。沈んでいく。真っ平御免。
「誰もいない海」(^^♪ 21世紀以降、NHK紅白。
「トワエモア」がハモる。
「空よ」(^^♪ から、札幌冬季五輪のテーマ曲♫
「空よ」がヒットして。私鉄沿線が某駅の上りホームで、屋根無しの車両前部のベンチ。ビートルズカットの芥川さん、見掛けた。
中学のクラスメートに、相方の彼女が同姓の女生徒。故に、彼がベンチに座る理由がわかった。
歌唱する歌手が、著作権者に、カバーしたい。許可があっての、CD製作でしょうから。
紅白歌合戦、オンエアなら。その歳ごとに。JASRACに、NHKが、支払うんでしょうな。
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「浜辺の歌」は、作曲した成田為三(なりた・ためぞう)(1893〜1945)が、東京音楽学校(現東京芸術大)の同窓の女性に贈った恋歌だった。女性の養子で声楽家の鈴木義弘さん(70)(東京都武蔵野市)が15日、高校時代を過ごした宮崎市で開かれた演奏会でこの秘話を公表し、「浜辺の歌」を歌い上げた。
成田は秋田県出身。山田耕筰に師事するなどし、数多くの作品を残した。
「浜辺の歌」を贈られたのは、鈴木さんの養母で東京出身の矢田部正子さん(1900〜89、旧姓倉辻)。正子さんは、声楽家で元東京芸術大名誉教授の矢田部勁吉(けいきち)さん(1896〜1980)と結婚したが、子供がなく、勁吉さんの教え子だった鈴木さんを養子に迎えた。
鈴木さんが正子さんから秘話を聞いたのは、勁吉さんが亡くなった翌年ごろ。「私の死後、曲に込められた事実が明らかになればと思う」と語ったという。夫にも話さない事実だった。
それによると、1916年(大正5年)ごろ、東京音楽学校でピアノを専攻していた正子さんあてに、成田から郵便が届いた。中には手書きの楽譜(歌詞つき)があり、「いとしの正子にささぐ」と記されていた。それが「浜辺の歌」だった。
そのとき、勁吉さんと婚約していた正子さんは、「私には決まった人がいます」と手紙を添えて楽譜を送り返したという。
やがて、周囲の勧めで世に出た「浜辺の歌」は、広く歌われるようになった。
正子さんの死去から17年。鈴木さんは「成田さんも奥さんも亡くなられた。今なら公にしてもいいと考えました」という。
鈴木さんは15日の演奏会のアンコールで秘話を紹介。「母はよく『成田さんに気の毒なことをした。この歌を歌う時は、成田さんの心情を考え、おろそかにしないでほしい』と言っていました」と話した。
続いて、ピアノ伴奏で「浜辺の歌」がホールに響き、最後は聴衆も参加する合唱になった。(2006年7月16日読売新聞)
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この歌、某TV局で今月頻繁に流している。飽きの来ない名曲だ。学校の混声合唱でもよく歌った記憶あるでしょう。
それは、歌曲に限ったことではないが、それでこの国に生まれたことを誇りにおもうなら、当に国民的歌曲という証明になろう。
年代を超えて、それこそ自然にメロディが現場を誘う。
それにしても、恋って、すばらしい力なんですね。
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東日本大震災。3.11以降。
「つくもホタル」、即ち。九十九蛍が、その生息を。確認していない。
先ず、被災者が優先、当然であろうや。
九十九里浜の海岸線。当時の森田県知事の誘致、要請で。2020年オリ・パラリンピックが、サーフィン競技の会場になった。
その彼も、勇退され。県庁舎、登庁が最後の日。如何にも、芸能界出身が。送別式で顕著ではあった。
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就職活動で、福島第一原発が被爆の、復旧作業員が、治療の収容病院。それらしきに、執拗に、履歴書を送付。面接まで、至った経緯もあった。
であるからして。その建物周辺が、土地勘ある。
就業先現場周辺に、転居が為のアパート探すは。基本の行為です。もしもに備えて。
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浜辺が、地引網。季節が風物誌。遠浅が、イシモチ等釣りが醍醐味であろうと。
押し寄せたTsunami。内陸へと、田んぼ畦道。引き潮で、木造家屋は損壊。外洋に持って行かれ。塩水被ったであろう田畑。九十九蛍も、死滅を免れなかったのではないか。
納涼に、「つくもホタル」が飛び交う。とんと、聞いてない。
先ず、被災民。復興は、福島県だけのそれではありません。
「ふるさと納税」が為されても、です。