かいふう

近未来への展望や、如何に。

「ヨハネの黙示録」は関係ない、が。

kaihuuinternet2007-02-04

長野県白馬(はくば)村のスキー場に、オーストラリアからのスキー客が急増している。ペンションなどを購入する外国人も目立ち始めた。

雪質の良さが口コミで広がり、オーストラリア人のスキー客でにぎわう北海道・ニセコ地区に続いて、人気スポットになりつつある。

白馬村観光局によると、昨シーズンの外国人の宿泊部屋数は延べ3万5000部屋。このうち半数を韓国人が占めるが、その前のシーズンにはほとんどいなかったオーストラリア人は2割に上った。「今シーズンはオーストラリア人がさらに増えたおかげで、外国人全体で4万部屋を超す勢い」と村の担当者は喜ぶ。

ニセコ地区にオーストラリア人が押し寄せているのに触発され、白馬東急ホテルなど地元の宿泊施設12軒は一昨年6月、「ニセコに続け」と外国人客を誘致する団体を結成。インターネットに英語で宿泊情報の掲載を始め、白馬村が知られるようになった。

オーストラリアでは国内の雪質が悪く、欧州や北米にスキーに出かける人が多かった。白馬村ニセコ地区は雪質が良い上に、オーストラリアとの時差がほとんどなく、欧米よりも近いことが人気の背景になっている。白馬村のホテル関係者は「白馬はニセコに比べてゲレンデのバリエーションがあり、東京観光もしやすい」と利点を強調する。

一方、JR白馬駅前の「さくら不動産」は、この1年で8物件をオーストラリアや米英などの外国人に仲介した。橋本旅人社長は「ペンション市場はずっと不況だったが、ようやく光が見えてきた」と歓迎する。

オーストラリア・シドニーの銀行員、ロブ・クリスデルさん(29)は昨年暮れ、八方尾根スキー場のふもとに、友人3人と購入した築27年の木造ペンションを改装した「Monkey Rider」をオープンした。

オーストラリアの格安航空会社が今春、シドニー―大阪間に路線を開設する予定で、低予算の旅行者向けに1泊3000円から提供している。クリスデルさんは「白馬は山並みがきれいで、これからブームになる。不動産は底値でいい買い物だった」と語る。

スノーボードを楽しみに来たシドニーの会社員ルーク・メースさん(27)は「ニセコはオーストラリア人が大勢いると聞いたので白馬に決めた。雪が素晴らしい」と話していた。(2007年2月4日読売新聞)
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海外旅行は、リスクがある。スキーするにも、雪質調べたり、リスクがある。それを承知で来る遠来の客を、むげに断る理由はない。歓迎である。地元の宿泊施設がインターネットに英語で宿泊情報の掲載、それを見て来るなら。
自分も今日、TVで洋画「マトリックス レボリューションズ」を観たぞ。こちらは、シドニーでロケしたらしいが。こちらの心臓発作のリスクははなはだ少ない。
淀川長治さんの『よい映画を観ましょう』には該当する。
クロード・ルルーシュ監督のオリンピック記録映画「白い恋人たち」には、選手目線の滑降するカメラに、ヌーベルヴァーグという呼び名を感じ入りました。

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かって、教育実習で来た女子学生さんのひとりの下宿に、級友数人と押しかけた事がある。いきなりの訪問に困惑しただろう彼女、
こちらの矢継ぎ早の質問に、「白馬岳」とか応えていたが、彼女その時すでに「ヨハネの黙示録」を読んでいたんではないか。帰り際駅前通りの寿司屋でご馳走になった、記憶がある。『江戸っ子だってねぇ、寿司食いねぇ』の心境、大変な出費であったろう、と今更ながらおもう。実習の項目を、こちらが勘違いしてのテンションであった。それ以来、名古屋の女の人は大事にされる、という思い込みは、今も健在である。
過大評価された幸運と、反対の運と、やれバイオリズムだどうのと凝った年頃も過ぎた今では、これも再掲かも。

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「エマオ」の時、若い園生と夜間園内から抜け出して、途中通り掛った軽トラック荷台に載せてもらい、駅前でパチンコした。
後年、養護学校卒業生の合同発表会で彼と偶然出くわし、寮から職場へ通う毎日だという喫茶店での会話後おだてられ、またパチンコで出費した。ワンパターンだと知ってたが。

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それがどう考えても、あの時駅につづく坂道の大通り、商店街の寿司屋の暖簾は見た記憶はある。しかし、それをくぐったか、定かでない。学生身分の実習生が、遊びに来た4人分の生徒の寿司を注文するだろうか。彼女の部屋で出されたドライナツメ。初めて口にした。本棚の防虫剤の匂い。薬屋さんですか、と聞いた。かなり、お調子もんだ。この時の同行の親友が、彼女のギターを、高台の角部屋の開けた窓際で爪弾いた。あとの二人は女子生徒である。
後年、このうちのひとりが、二十歳の夜道にバス通りで、駐車した助手席から、待ってましたとばかり、蔑視する。あぁ、百人一首もした仲だったのに。そしてこの時の親友と、同じ年、ある映画を観た時斜め左前に腰掛けた女が連れ立って歩くのに、その映画を観ない、と答えるのである。嫉妬とシュール、が自分の青春というものだ。そして、車内からの女と、斜め左前に腰掛けた女とは、同じ名の親友なのだ。
自分の思い込みの、少年の場合、それは夢想という。では老人は、と問われたら、それは幻想、と答える。あとひとつは、ならば空想。すべてを妄想という範疇に括る。
排気ガス垂れ流す車から蔑視した者は、後日今度はフロントガラスが無いことをいいことに、すれ違いざま、マクベス夫人の台詞を吐きつけた。
この人が自分の通った教会で会わなかったことを、当然とおもう。
違う教会に通っているか、自分の関知するところでない。
人は、そうやって、その史実を確認し、別れる人を、別れるべき人を、承諾するのかも知れない。
また、観た映画を観ないと言った人も、その後ギターを爪弾いた親友と一緒になったか、それも自分の関知するところでない。
この人も自分の通った教会で会わなかったことを、当然とおもう。
おもえば、千載一遇の機会を与えられながら、性格の違い、家風の違い、ともにいかんともし難い。それは在るのである。
「否、否」を証して、その後何が残るというのだろう。あの日までは意識しなくとも、あの日から、まるで磁石が反発するように、離れて行く。引き合う相手でないことを、身体で感じてしまう。
親の恩義、とすり替えて装う。予感は、すでに後ろに去ってしまった。
新たな出会いを探そう。

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もうひとつ絡んでいる。あの下宿の数年間だ。その人は二十歳だったろう。サメ肌を抱えた少年が、初めて自分ひとりの部屋をあてがわれた。
大の字に寝転がっても未だ余りある広さである。縦フリルの真紅のブラウス、洋風の感じが、少年の両の眼をハート型に釘付けた。暗かろうが、陰気だろうが、それと係わり無く、そう存在する。母親は直観で、見た。いい姉貴が出来た、とおもった。
後日、姉貴の「ジャニーギター」♪のリクエストに応えられないタレントの無い少年は、この下宿を去る。この戦争未亡人とひとり娘。この勝気なベビーフェイスと、観た映画を観ないと言った人とは、同じ名である。期間限定の姉貴の親友が、ある映画を観た時斜め左前に腰掛けた女の姉ということになる。つまり、妹と同じ名から、親友になったやも知れぬ。
戦争未亡人が、ひとり娘を見る暗い少年を、見返した眼差しが、そう、
排気ガス垂れ流す車から蔑視した者、と同じ視線だった。つまり、戦争未亡人のひとり娘と、駐車した助手席から蔑視した者とは、同じ名である。ややこしいが、そういう事だ。
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ぼくの、ベスト10に入れます。「忘れられた人々」、シュールリアリズムで、身体の不自由な人々を、撮りました。
彼も、カトリック教会の腐敗を描くのですが、それは彼自身がカトリック教徒で、だからこそ、それが許せなくて、らしいです。
南米では、夭折した、ルイス・ブニュエル賞を得たブラジルのグラウベル・ローシャ監督「黒い神と白い悪魔」。単純な自分には、教会のそれと天使の衣を着た暴虐の左翼、に翻弄される貧しい民衆、そう解釈しました。「黒いオルフェ」も入れます。残り3です。
ブニュエルは、「欲望」の監督の作風を、インタビューで『ナッシング』と答えてました。同業ライバルですから。でも、それを引いても、自分はブニュエルを取りました。青少年が時代に観るは、かなり誘惑的でもありますが。信ずる教会を、それも巨大な組織を批判するには、相当の力量と画風がないと。だから、青少年が時代には、お薦めできかねます。倒される危険があるでしょう。円熟した選ばれたタレントだからこそ可能を、未熟な若者が、批評してやろう、などと挑んで観ても。
だから、どうしてもなら、若く亡くなった、グラウベル・ローシャ監督「黒い神と白い悪魔」の方が断然得だ。南米人の体質というか、気性というか。激しく、熱い。

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「遥か群衆を離れて」は、主演俳優が、確かアラン・ベイツ、二枚目だ。むしろ女優さんが主人公のような。場所が、東欧だから、彼のトルストイ似の白髭の、ロシア正教会の雰囲気の老人とか、その娘とかがアラン・ベイツに絡む。彼が、牢屋に囚われ、その石牢が、部屋ごと水牢に化す、徐々に首まで水位が上がってくるシーン。在らぬ嫌疑の投獄とはいえ、幻想シーンにせよ、フィルムに残るは、演じる俳優の生身。ゲーテか誰か、作家が云ってたけれど、そこが文芸と、演劇の明確な相違。監督が別称映画作家でも、シュールの心算でも、その出演俳優にとっては当にリアリズムの体当たり演技。数十秒のわずかのカットに、そんな労力を費やすなんて。映像のシュールはなんと手間暇掛けることか。