かいふう

近未来への展望や、如何に。

ユダヤ人人権団体の「サイモン・ウィーゼンタール・センター」の要請。

【ロサンゼルス=古沢由紀子】ユダヤ人人権団体の「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部・米ロサンゼルス)は21日、徳間書店の新刊書「ユダヤキリスト教『世界支配』のカラクリ」について、「反ユダヤ主義をあおる内容だ」として、同書の販売を取りやめるよう要請したことを明らかにした。

同書の広告を掲載した朝日新聞社に対しても、「広告掲載の経緯を調査してほしい」と求めたという。

同書は、米誌フォーブスの元アジア太平洋支局長ベンジャミン・フルフォード氏と、ニーチェ研究家の適菜収氏の共著で、今月発刊された。サイモン・ウィーゼンタール・センターは反ユダヤ的な著作物などの監視活動で知られている。

徳間書店は、「現段階では、コメントできない。申し入れの内容を確認したうえで、対応を検討することになるだろう」と話している。(読売)
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自分の教育実習の内容は、ニーチェであった。『神は死んだ』という彼の言は、第二次世界大戦当時の枢軸国、日独伊三国同盟からして、単純にして、耳障りがよかった。「ツァラトゥストラはかく語りき」にシュトラウスが曲を付け、そのメロディ♪が勇壮にして天体的響きがあったためかも知れない。その曲を生んだ原作詩という感覚で、そう言い切る豪胆さに、孤独と対峙する哲学者の猛々しさに惹かれたのかも知れない。
でも、そう大言壮語した彼は、それ故、{超人}たる自分を保持しなくてはならぬ。そして、老いるのに抗してそうすれば、ある日プッツンするだろう。精神を病んで、そこを終の棲家とする。
少年時、モノクロ14インチTVで観た「スーパーマン」は、少年の夢をこわしたくなかったのだろう、老いる前に死す。
少年を前にそうコウギした者もまた、『神は死んだ』という概念から逃れられなかった。そういう事件が起きた時に、それはある形を取ったのだろう。
で、その時比較させたキルケゴールに向かって、更には平衡を保つしかなかったのであろう。
だから、公言することの恐さは、つくづく思い知った。祈って、そうするのでなければ、もはや耐えられない。
「蒙古襲来」で世界史に開眼したとしても、それだけではすべてが見えて来ないのである。ある時から、ユダヤ人を意識し出した。
それは、善意とか悪意とかでなく、世界史を動かして来た、その事に由来するらしい。
ナチスの迫害での、ダビデの星を胸につけた老婆の顔は、そのカット写真は、そう、マザー・テレサと重なって視える。
マザー・テレサが迫害を受けたのではなく、それに等しい境遇の貧民の中に身を投じて、それを敢えて引き受けたからであろう。
この、敢えて、を自らの意志とするものは何か。
自分はカトリックでもない、いわば部外者であるが、自称する以上、それが何かは、誰も見ていないところで公言するしかないであろう。