かいふう

近未来への展望や、如何に。

昭和の日。

広田弘毅の伝記小説、城山三郎著「落日燃ゆ」の単行本、精読は果たしていない。彼がそう叫んだのは、極東軍事法廷で絞首刑の宣告を受けて後の日々においてであろうか。「マンザイ」だから、死にいく彼と生き残る天皇との間のそれ。では、重責を兼任した東条英機天皇との間のそれは。靖国神社合祀の件でも、それぞれのお孫さんの意見は分かれていたように聴きましたが。軍人たる方の方は、いわゆる十五年戦争の緒戦からの責任をも、身に余る信任を受けて、統帥権の誤解と称して自死に収斂させて、天皇家と切り離す覚悟を決めていたのではないか。こちらは「阿吽の呼吸」でしょうか。人材の登用の誤謬は、された側が同意で共に背負い込んでいけばよい、か。終戦間際の原爆投下の戦争責任は問われないにしても、では始めも現地軍部の独断暴発に端を発したならば、その辺は霧の中、でしょう。』
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『しかし、人は絶望したその対象の名を叫んで自死を選べるものでしょうか。三島さんは、己が文体を確立して、ライフワークを書き上げたんでしょう。建前に天皇をもってきた人です、なら、わかります。森田さんが現れて、三島さんを、でしょう。でも、建前、本音、と花びらをむしるように考えても、意味は無いのでしょう。
ある欧州の文豪という評価のある人の言に、『文学は成熟した自然。それをシンボルで表す』というのがあります。このあとさき、哲学は云々とあるんだけれど、ここでは省きます。
戦後の日本国憲法、それには、天皇は象徴、とありますね。明治の祖母に育てられた彼は、若くしての死、を意識した時、天皇家にある雅(みやび)の美学に重ねて、そこでなら死ねる、と覚悟を決めたのでしょう。それには、割腹だけで苦悶する醜態を、介錯する者が必要だった。首が見事に床に座る光景が、その美学が要る。それをする、という若者が、三島さんの前に現れてしまった。それで、象徴たる天皇に重ねるには、その名を叫ぶしかなかった。それでこそ、完遂される、と。陽明学の言行一致をしたんでしょう。
ソロバンの暗算で国際金融資本と太刀打ちするタレントを、文体を確立する程の作家活動をした、演劇活動もした三島さんに求めるのは、酷というものです。』

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戯曲も数あります。同じ作家でも、そうでしょう。三島さんの「わが友ヒットラー」は買いました。親の金で。でも、未だ読んでません。この国の本屋さんは、立ち読みを許してくれる。店員がハタキで来るまで、ねばって、それでも購買可否は問わない。
この題名は、だまされやすい。当時同盟国の総統を、その名を持ってきてるのだから。扉さえ開けてない人には、ここで誤解がすでに生じてしまう。自分だけか。
ここに登場するのは、ドイツ人たちであって、いわゆる軍閥、財閥。その癒着。戯曲は、特定の組織とか集団の内幕を、台詞であぶり出す作業かも。

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これは、ある想像です。
ある国で未曾有の国難があった。若い彼も、徴兵検査に呼ばれた。
それで彼は考えた。この才能は、戦場で散らすのは、嫌だ。何とか兵役を免れたい。一生一度の大芝居を打とう。当時未だ死病の結核罹患のそれを思いついた。犬死を拒み生きる本能でしょう。
で、前日から身体的にそう細工して、翌日検診で、対座した軍医の目を、咳込んで、目くらまし、九死に一生を得た。
国家の損失とは、国民一人ひとりが、己が才能を遺憾なく発揮し、開花させ得ないことに通ずる。同業者の云う『選ばれたることの不安と恍惚』。彼は大芝居によって、死を免れた。彼の前に並んで座した若者は、そうせずに、何処ぞ、輸送船にでも乗って、潜水艦にでも撃たれて、南海の藻屑と消えたのだ。あぁ、なんと、芝居のタレントに恵まれた者の、選ばれし者の、幸運よ。
で、彼の胸中にその後去来するは、開花させねば証できぬ己がタレント。そして、ギショウして戦友を裏切ったという訳の、良心への呵責。そして彼は『自分を呪って生きるのが好きだ』と公言せざるをえない彼の事情。集団徴兵検査のドサクサで、誰が、クサイ芝居を見破ったというのだ。専門家の当の軍医でさえ。
その後の彼の律儀と禁欲的鍛錬は、その件を覆い隠すほどのものだったのだろう。戦後の復興、天皇の全国行脚の行幸、焼け跡闇市ドサクサもそれを隠した。そして迎えたあの日、無私の「檄文」に、あの日前に座して、もうそれきり会えないで逝った、わが友、に応えたのだろう。彼も借りを返して、往ったんでしょう。

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戦時における、科学者たる軍医と、合否検査に来た若者の決死の虚構の美学の、対決は、演劇の勝ち、ってとこですか。
両者の互いの一瞥は、医者の判断ミス、すなわち誤診によって、軍配が、この若者の場合は、生への切符を手にした訳です。
もっとも、その誤診を誘発せしめたのは、国の命令で受診はしたものの、その若者のほとんど確信犯と形容していい、迫真の演技ではありました。その負い目は、彼にしかわからぬものでしょう。
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作品なら、総合芸術である劇映画で、ベストなんとかは、それでいい。しかし、では俳優となると、どうなんでしょう。
やはり、迫真の演技から、その演じた歴史上の人物に興味を抱かせてくれ、後日その歴史上の人物を調べ、暖め、そして後年その地を訪ねよう、とまで、思い込ませる。そんな芸道を見せてくれた、そんな強烈な印象を残した、俳優でしょう。
嵐寛寿郎さんは、明治天皇にはじまり、二宮忠八、そして佐倉宗吾。影響受けました。後年テレビでもいい味出してました。
長谷川一夫さんは、ワン・ショットが決まります。イチジクの葉陰から追っ手をうかがう木曽義仲、「地獄門」の武者、そしてNHK大河「赤穂浪士」の討入り大石内蔵助が陣太鼓を打ち鳴らす間際月を仰ぐ。改名前の顔の刃傷沙汰知ってるので、万感迫りました。みんなカラーで、残ってます。美男ですから。

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あの、最近連日ニュースを提供してる、NHKで「武蔵」に主演し、映画「出口のない海」で主演し、海外公演で舞台「勧進帳」で富樫を演じた、梨園のエース、市川海老蔵さん。
これから、法治国家のしくみを、痛く知るだろうが。それとは別に、今回の事件、どうぞ、NHKで「赤穂浪士」に大石内蔵助で主演し、山鹿流陣太鼓を鳴らし月を見上げた名優長谷川一夫の顔、を観てもらいたい。カラー「月形半平太」と同「義仲と五人の女」、そして「銭形平次」で魅せ続けた、かって刃傷沙汰で俳優の命の顔を損ねた役者が、よみがえって幾星霜、テレビで茶の間の皆に、討ち入る大石内蔵助の顔、のクローズアップを見せた、その役者魂を。
赤穂浪士」のビデオ、探してでも。その片頬の残る痺れ、負ったのは、誰の責任かを。

NHK大河では、長谷川一夫主演「赤穂浪士」、対公家の武家の論功行賞の足利「太平記」、世界史の国難の「時宗」、そして東北藤原氏の「炎立つ」が、ベスト3プラス1。東西南北というか、4という数字が好きです。出てる俳優さんたちも、残る仕事してますよね。学生ならば、試験の合間に、視聴しても、プラス間違い無し。
歴史上の人物ならば、職業として、彼らを血肉化出来る役者を、演じる名誉も、後世誇れもしよう。

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市川雷蔵さんは、作品数といい、役柄数といい、文芸作品の名作も。
夢を見させてくれたのは、辰巳柳太郎さんが弟子大友柳太朗さんが丹下左膳快傑黒頭巾、そして「梟の城」の伊賀の重蔵。
歌人でもあった、とは知りませんでした。ご指摘の立ち回りの見事さ、セリフの切れのいまひとつ。師匠より先、はないだろうが、同感です。
そして、仲代達矢さん。名監督で観ても、あれもこれも、また、また主役だ。それに塾長。
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おまけです。グリコです。1969年7月号「シナリオ」掲載に、『人斬り』が、書棚に見つけました。橋本忍脚本はどういうものか、ざーっと読んでみた。稀代の名脚本とは、どんなものか。監督が、様々なイメージを喚起させる、そんな脚色って。40年前の代物でっせ。
昭和の観客が、観たのだ。衣食住足りた、昭和後半の平和にたどり着いて、やっと、明治維新の夜明け前の血塗られた白刃と暗殺の混沌に、作者も、映画作りに参加した人々も、そして観客も。
昭和に観た『時代劇』は、そのリアリズムは、果たして平成の若者に、ならば、どう受け入れられ、共感を呼ぶ力を温存しているであろうか。この現況の平成不況に。
この後、三島さんの白刃の死に。
そして、たしかその後の「白い巨塔」主演田宮二郎の猟銃の死に。
{M資金}なるものの欺瞞を見破れなかったか、元ミスター日本の弾丸死に、むしろ恐怖を覚えた。それは、三島さんの予言的語彙、無機質で、経済観念ばかりがまかり通る、時代の延長線上に。
同じ号に、新藤兼人脚本の「鬼の棲む館」が載ってます。勝新太郎高峰秀子新珠三千代佐藤慶共演です。監督三隅研次、撮影宮川一夫。原作谷崎潤一郎、製作永田雅一。豪勢だな。
観客がお金を使って映画館に足を運ぶ、循環する、時だった。
勝新さんでひとつ、は「座頭一」シリーズ。
それが平成では、金髪ヘアでタップダンスするたけしさんが継承、ですから。時代劇も、時代が代われば、リアリズムから、エンターテイナーになるんだ。いいんでしょ、そういうタレントを増えたんですから。タレントを生かすのが芸能界でしょうから。
その時代に輩出するタレントの層と質が勝るんです。
それにしてもマスコミが騒ぐ、百年に一度の不況、こちらは、まことにだんだん接近中のようで。恐くなってます。

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お叱りを受けるかも知れませんが、なんで、高峰秀子が、二葉亭四迷原作を出演せにゃならんのか。先般の、森鴎外原作の日本髪、があったものですから。
林芙美子記念館の門前で、後から来た業界らしき男の人が中に消えて行くのを、見送った。その経緯からか。
浮雲」のスチル写真、本人が選んだのですから、価値あり、ですね。
ウィキペディアで調べたら、大人の映画ですね。
こういう難役を、監督のたっての依頼で、引き受けたのですね。
何でも、時代背景で許容する、なんて、子どもの意見なんだけれど。そういう若輩者でも、観客のひとりになることは許される訳でして。観た、という記憶は、 逃避行の二人が温泉の湯船にある、と終盤の船上の二人、です。動いている彼らを覚えているので、スチルでない、それを確かに観たのでしょう。
少年には、彼らは夫婦なのか、駆け落ちの恋人同士なのか、その辺が定かでありませんでした。大人の複雑な事情など、後の時代の話でしたから。
浦山桐郎監督の「キューポラのある街」とか「非行少女」の方が、わかりやすい。
成瀬巳喜男のそういう資質を、映画界はよく引き出し得たのでしょうか。
文芸作品、芸術なるものは、この作品のように、名女流脚本家と名女優の板挟み、で苦労する監督という職業に、たとえば責任の所在、などという分野違いのロゴスをもっては、回答は無いんでしょう。
脚本家は、『ここまできたこの女には、ここでこれだけ言わせたいのよ』だろうし、女優は、『セリフが多すぎて、感情がついていかない』とNGの不安に顔面ひきつらせた、かも。
所謂、堕ちていく男女の会話、でしょう。
職業としての、脚本家、監督、そして女優、なんだもの。
皆で、その暗黒の地底に、突き進んでいく、リアリズムと格闘、の業務なんだもの。
それは、リスク取る作品です。大人の熟練したプロでさえ、その総合芸術故の、持分と業を、知ったんでしょうか。
それとも、原作者の小説、に及ばずとたとえば諦念に達したのでしょうか。

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1952年制作の日本映画、であることに、「原爆の子」の歴史的評価、価値が揺るぎ無い。ロケの現場は、その廃墟そのままではないですか。同時代に、被爆の惨状を知らない、終戦復興の同様の各国に、知らしめた、その意義は真に多大だと。
「黒い雨」のセット、出演の小沢昭一が被災者とウロウロするシーン。橋下を通るのは、狭い限られたセット空間を、巧く撮っている、という感覚を捨て切れない。
勿論、戦後それだけの年月を隔てているからこそ、興味も興行も製作に重ねたのでしょうが。
これは、僻みでもありますが、およそ映画と音楽と文学も、そこに爆弾が投下されない、平和ありき、という前提があればこその、文化です。
それは、個人の資質の問題であり、平和的努力とは為す者か否かが問われる問題。

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俳優小沢昭一が、80歳を越えて逝った。ハーモニカ♪も演奏した。ラジオで長寿番組も続けた。地方へ取材もし、著作も表した。 その彼が、テレビ出演時、田んぼで腰曲げて田植えする農家の人びとを、旅の車窓から見ると、おもわず手を合わせてしまう、と話していた。それぞれ、違う職業。