かいふう

近未来への展望や、如何に。

それでも、エピローグ。TV鑑賞三昧。

kaihuuinternet2008-02-22

NHK総合「迷宮美術館 ロートレック
彼の全作品といってもいい、一同に会して、この国で絵画展が今開催されている。
こんな機会、もう二度と来ないだろう。
それで、行けないだろうから、TVで間に合わせることにした。
ポスターとしての性格が強いから、市井の人びとに、一見して強く印象を与えようという作風なんだろう。
ドガも、ああまで同じ対象群を描写する作品を連作されては、比較されるから、妙な気分だったに違いない。

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ポスターの舞台になったムーランルージュは、モンマルトルにあるそうな。
劇映画「赤い風車」は、主演ホセ・フェラーの名演で、少年時事故で身長が発育不全になったロートレックを、あれどのように細工したのか、連れ立って歩くシーン、カメラは彼目線の高さのローアングルで、石畳を歩く彼の顔を撮っていた。後年「シラノ・ド・ベルジュラック」でのフェラーを観て、なんだこの俳優、ちゃんと普通の身長じゃないか、と演技を回想したほどである。それで、この監督も気になって、調べたら、なんと劇映画「天地創造」を撮ったジョン・ヒューストンであった。そして、その音楽作曲が黛敏郎さんであった。
彼の司会する「題名のない音楽界」もよく聴いたが、発言から右寄りな人とはわかっていました。三島由紀夫さんとも仕事したのでしょうから。
ロートレックという、貴族の家に生まれながら、不運にも身体が不自由になり、しかしそのタレントを開花させた生涯は、彼を取り巻いた庶民らと共に、社会保障とか福祉を考えさせてくれたんだ、とおもっている。
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お気づきでしょうか。小津安二郎 のローアングルは、その視点が、演ずる俳優陣への敬愛が感じられる、ように観得ました。
だから、ここに揚げた、お気に入り、の楊枝の三人。対する山中貞雄監督の視点が、やや低位置からのカメラ、気持ち見上げていませんか。
それは媚びてる目線ではなく、演技するリアリズムを体現する俳優さんにお願いして居る、椅子に座って声掛けるスタッフ側の気持ちです。それを代弁してる目線でしょう。スター扱いしてます。弁えてます。それさえも、すばらしいタレントだと、感じる次第です。
銀幕の片目片手の虚構のヒーローは、現実の観客に、今のような不況を乗り切る覚悟を、比喩として、再提示してくれるかも知れません。そういう評論をしても、耐えうる名画ですよ。
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NHK総合「プレミアム10 日米スーパーシニア親善野球」を視聴した。
高齢者同志の野球大会が、ハワイで開催をみた。それも、もはや現代史の範疇かも知れぬ、60数年前の敵同士の、退役軍人たちの、親善ソフトボール大会なのである。
やはり、お互い、失くした戦友たちはいるのだから、わだかまりや傷がなかろうはずがない。それでも、野球に興じて、青空の下、ルールを守ってのフェアプレーで長寿の汗を流せば、後は清々しさの中に、握手して別れる気持ちが生まれる。
日本からの訪問チームは、ユニホームの胸に「オーバー ザ レインボー」とチーム名を入れて、敗れはしたが、現地慰霊碑を合同で礼拝した時、背景の海と空に、虹が架かった光景には、偶然か、奇跡か、視聴するこちらも眼を丸くした。
合同で訪ねたのは、今も海底に眠る戦艦アリゾナの記念館もそうなのだが、それらシーンを数見ると、やはり、戦争体験者たちの親善交流、通訳を挟んでの事とはいえ、会話して、理解を深めた彼らを観て、年代の違う自分も、気が休まるのである。許す、という語句を聴いた。和解したのだろう。その安心感が、多分、TVを視聴したであろう同年代の人たちをも、鎮めたであろう。
自分たちも、ならば、次ぐ時代の為すべきは、アジアの新興国を共に平和に歩む施策をおもうのかな、と。
BGMとして流された「オーバー ザ レインボー」♪もよかった。
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NHK教育にチャンネル変えたら、「朱雀家の滅亡」の舞台中継。佐久間良子さん、ともうひとり、麦わら帽を被って、顔が見えない。声から、「おはなはん」の主演女優と結婚した俳優さんかと、新聞見たら、中山仁さん。
この国のアニメ創世記の「白蛇伝」のヒロインの作画モデルが佐久間さんと知ってるから、その台詞の切れの健在を聴きたくて、ついつい終わりまで観てしまう。
途中からだから、前半出演した、チャンバラ映画に天草四郎役で出て後、自宅窓から空中飛行して、奇跡的生還を果たした俳優さんの、批評された好演は見損じた。
原作が誰か承知してるので、作品として評価の高いそれを、その方より長生きした者が、戦無派として観るとどう受け取れるか、も手伝った。
同じ原作者が作品で主演した方が、天草四郎の生まれ変わりと最近バラエティ番組で告白したので、配役にも何かしら感ずる。
当然、自分も原城址ひとり旅しています。白い毛並みの生まれて少しの子犬たちが、近くの草むらの中捨てられていたのを、帰途少年に路上で告げたっけ。

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4という数字が好きなのも、その何分の一は、天草四郎時貞、かも知れません。
あの大島渚監督で、大川橋蔵主演で、大川博製作「天草四郎時貞」。観てませんが、農民達と並んで中央に立つポスターは、憶えてます。
原城跡、彼の彫像見上げて、数万人集めた時の恍惚と不安、使命感。で、その何倍もの軍勢に囲まれての籠城の現実、血の海、若い者が、どう心の動揺を隠し、皆を激励したか。
敵の大将だかも、討ち死にしてますからね。その近くは、草原でした。
つい最近、その製作者の墓前に参りましたら、墓石隣の墓碑には、数々の名画を、なんてないですよ。球団経営の手腕しか載せてない。どっちがメインか、新諸国物語等、熱狂した少年たちは、どこに行ったのでしょう。
美輪明宏さんのカリスマは、彼がかって云ってた『四郎の生まれ変わり』も本当に聞こえる、現役の活躍ぶり、ですね。頭から、つま先まで、文化してしまう彼の努力に、感嘆してしまいます。
史実上の悲劇的死の人物を思うのは、宗教的にならざるを得ない。
その若さを悼む故か、その信仰の激しさに揺らされるのか。

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少ない登場人物。出征した息子が、英霊となった、その電報を燃やして後、その生母たる女が当家たる主人に、亡き前妻の後の内縁の使用人から、結婚をせまるまで、対立の台詞が、身分の違いと、敗戦の時代背景に、交錯する。
それにしても、最終シーン。弁財天だかの社から、姪が火の鳥の化身みたいに現れて、当家主人に詰問するくだりは、漫画家のタレント無く来た自分からは、自称クリスチャンからは、飾り衣装に刺激されても、庶民に、滅びの美の象徴として伝わったかどうか。
やはり、関西、藤山寛美さんの舞台とは、確かに題材が違うな。
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『水さかずき』の意味が、解せませんでしたね、少年の頃は。
『若い兵隊さんたちは、これから飛行機で往くのに、何故』
『酔っぱらってちゃ、命中しないからか』
『命中しないと、犬死だからか』
『犬死だと、英霊になれないからか』
『英霊になれないと、靖国で会えないからか』
靖国で会えないと、さみしいからか』
『さみしいとは、半世紀分、生きるのを諦めたからか』
 ならば、せめて、酒粕でも飲んで、その頃の少年が、
 彼らのことをば、半世紀分、記憶に留め様。
 飛ばずに済んだ還暦は、「飛騨のどぶ」も一本、いいかも。

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どうしてか、「オデッサ階段」を思い出してました。
それは、ここでも取り上げた、エイゼンシュタイン監督「戦艦ポチョムキン」の中の、石像の獅子の、モンタージュですね。
「眠る獅子」、銃声に「目を覚ます獅子」、そして「咆哮する獅子」でした。
それで、能を熟知していた三島さんなら、「序・破・急」かも知れませんが。

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カリフォルニア州知事は、かっての主演SF映画で「アイ ル ビィ バック」と。と言っても、こちらは、含みを持たせています。
脚本家は、「アイ シャル」もしくは「アイ ウィル」、そのどちらでも解釈が利くように「アイ ル」と書いているのです。「アイ ウィル」なら単純未来形ですが、「アイ シャル」なら意志未来形ですね。
もし、徴兵検査の場で、ほとんど全てといっていい他の若者が単純未来形であったにもかかわらず、彼三島ひとりが意志未来形を行使したならば。
三島さんに畏れを持つだろう。その意志未来形を、その決行日より、折り返してなお余る年月幾星霜よく持続せしめた、その事を。
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平成になって、たとえ正月の一般参賀であろうと、皇居において、三島爺の白髪万歳姿を見た者は誰ひとり居無い。
彼の磁場は、市ヶ谷でなければならず、届かす言霊は雅の美学を継承する皇居でなければならなかった。
躊躇逡巡した三島が、それさえ振り切って、極東軍事裁判の現場での敢えての極私的決起は、檄文によって、幾多の英霊たちの隊列に融合組み込まれ、悠久の大義に原隊復帰し、徴兵検査のあの日のそれでもの良心の呵責を消去せしめ、ハレの日としたのである。

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鉢巻姿で拳を握り締めた、そのモノクロ映像を見た若者には、彼の表情が、ハレの日、に見えたのである。

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これをもって、白髪は司馬さんが美しい、とします。

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Wikipedia より引用
劇作家でもある三島由紀夫は、1955年4月に『教育・笛』の書評で田中を、岸田国士の最も本当の意味での継承者と述べた。

長崎の原爆を扱った『マリアの首』(1959年)で岸田演劇賞および芸術選奨文部大臣賞受賞。

ここでも、三島さんの透徹した目線は、先んじてますね。

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三島由紀夫さんの二つの戯曲をセットにした出版社から、最新刊で、「三島由紀夫司馬遼太郎」という本が出た。
その新聞広告の見出しに、三島さんのその日に、司馬さんが激烈な批評を書いた、とある。対立構図、とも載せているから、やはり、その辺が、購入したい、ところだ。
檄文垂れ幕の現場で、彼の言葉は、『命以上のものを見せてやる』、そして屋内で『天皇陛下万歳 !』。
付いて行けないな、行かなくていいんだな、とおもった。
[聖書]に逃げ込んだ。ホトボリ(余熱)が冷めるまで。
こちとらは、次の世すなわち{平成}まで、生きなくちゃ、とおもった。
そして、当時の官房長官が記者会見で、「平成」を宣言し、やっと次の世に至ったのである。国際化の波は押し寄せる。三島さんの求心力だけでは庶民大衆は生きてはいけない、時代の到来でもあった訳だろう。この訳、というは、世代交代という節目に、なお特定の対称に言霊を発することが可か否かの、その問い掛け、問題提示でもあるような。

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三島由紀夫司馬遼太郎」、副題が、「美しい日本をめぐる」激突。

昭和21年生まれですから、思想史家であるという著者も、戦中派でない、と述べてます。
でも購入者私は、個人的に、三島=昭和と司馬=平成まで、で括っちゃってますから。
リーダーズ・ダイジェスト読んだ感覚を思い出しました。講義を聴講する学生にもわかるように、入門には向いてますね。
思想史家だけあって、この国の歴史に出た人物たちを、系譜の線上で捉えて、それが当たっているなら、重宝でわかりやすい。
もうひとつ、これはどうしても、金払ってもとおもったのが、私の誤解を氷解させるべく、その資料が載せてあったからです。
徴兵検査のその日の三島さんの事を、父親が後の著作で記述していることです。知人の家から、息子共々会場へ行ったのですから、そこには、用意周到な検査当人の芝居企ても意志も感じられない、ということです。
私は、「仮面の告白」も「英霊の声(むずかしい方の字が出ません)」も未読です。
ですから、ご尊父と後輩の研究者による資料でしか、推測できません。
その日の三島さんに作為の芝居無く、検診軍医の誤診、という意見に相なります。このことは、お詫びして、訂正させてください。

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Wikipediaに、
磯田光一。『殉教の美学』冬樹社、1964 三島由紀夫論、増補版を3度刊行。
なんか、これ。古いダンボールのどれか、を開けてみれば、奥底から顔出すかも。元取り主義なら、見つけたら、どうしよう。
司馬遼太郎は、ちゃんと、「平成」を見届けてくれた訳ですよね。
それで、この狭い日本列島、地上げ、それに絡む暴力団。それらに対して健筆を振るってくれた。
また、訳、という言葉に執着しちゃうのですが。

幼い時に太陽の下で遊べなかった、と云った弟さん。
やはり、母でなく、兄は祖母に育てられた、その事でしょうか。

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追補させてください。
後日、もう少し詳しく読みました。購入した本「三島由紀夫司馬遼太郎」、をですよ。
仮面の告白」の著作者の文章表現、『出たらめ』を確認しました。やはり、皆無ではなかった。
四捨五入、でしょうか。
もっとも簡単な語彙を相対させれば。それが、この事例に譬えとして許されるなら、
軍医の過失六、故意の被検査者四。
それで、すり抜けた。
もう数日で、11月25日です。しかも、40年目。
それ以降は、もう決して彼の事を、こちらからどうこう云いたくは無いです。少ないながらの認識と理解でしか持ち合わせていませんから。

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それにしても、40年経ても、次から次と、彼のその当時の周辺から、それも彼と同業の文章表現をもって、プロ、アマチュアを問わず、逸話の数々が出るのは、もはや『伝説』なんでしょう。
それは、まさに、司馬遼太郎が評価と合致する賑わいではないですか。
司馬遼太郎が、三島由紀夫の文才を稀有だと、賞賛したことです。
しかし、思想的には、峻別している、らしい。
朱子学と、陽明学を。そして、ああいう結末へとさそった陽明学を、哲学ではなく、宗教だと解釈している、らしい。
ですから、今後、私は、かような現象を、『三島伝説』と呼称して、距離を置くことにしましょう。

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果たして、三島さんの最期、ふと脳裡をかすめたのは、西郷どんの「敬天愛人」か、夏目先輩の「則天去私」か、どちらだったのでしょう。
どちらもなかった?

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最近、夢を見ました。後で、フロイド派の分析は、中途で止めましたが。

薄暗い中、一軒の屋敷前に佇んでいます。
葉垣の郵便ポストとおぼしき辺りのやや上、白粉の厚化粧の女の生首が、眼を開けて、誘っているかのよう。
木戸を開けるでもなく、中に入ると、スーっと二階へ、エレベーター無しで、身体が上がった。
別の女が左側に居て、それに反撥するように、右下を後方まで見遣ると、階下に外を、アベックが庭奥へと消えた。
そういうところなんだな、と。だけれど、連れが居ないから、先程の女が顔を出したのだな、と。
拒否したのだろう。
空は皆花で覆われている。そこに、移されたようだ。
その花というは、樹木の先に咲く花で、たとえば桜のような花弁の形らしい。なんか、鬱陶しい。空が見えない。
樹木とその花びらが、空を隠してしまっている。湿度が多い。
すると、前面、葉の垣の向こうを、右手から、馬車が向かってきて、右折。すなわち、目の前を、なおも引く馬の両耳だけを葉の垣の向こうに、過ぎていく。引かれる荷台は、屋根付のそれで、花馬車なんだなぁ。乗ってるのは、やはり白粉の厚化粧の女の生首だけ、しか確認できぬ。
変わらず、空が見えない湿気充満の花の樹木だけの内だ。
ここは、妖しい、そういう空が見えない女と過ごすだけの中なのだ。
濡れようか。そういう癒しがあったって、いいんだろう。
で、自分は何様のつもり。
戦いでひとり、迷い込んだ密林。だったら、やはり将官クラス。
部下を探して、暗い奥。疲れたんだから、それ位許してくれるっぺ。
いや、違う。将官クラスになれる訳ないって。
だから、夢。

それで、醒めた。

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三島文学は、青春文学なんでしょう。「潮騒」、そして遺作のうちの「春の雪」。何故、分冊のひとつ、「春の雪」だけが度々映像化されて、他はされないのか。
そのロマンチシズム、青年は、知れば素通りは、むずかしい。
「ロマンチックは病気、クラシックは健康」は、ゲーテ箴言

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異教徒は、感謝祭を意識するだけです。
あの日逃げ込んだ、[聖書]を生活の基本として。

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三島由紀夫の母堂さんが「ちっとも変わってないわね」と発した対象が、先日彼女を、まるでヤジ馬が、馬頭観音を見たかのように注視した、そのリベンジだとしたら、彼女のご子息の遺作を、折角買ったのだから、読んで理解してね、という響きに、聞こえなくも無い。学生ならば、仏教概論で同室聴講するだけでなく、作品を読了してから、来なさい、とも聞こえる。どうせ親の金から、スネかじっただけの、無駄遣い扱い。真剣でなくとも、真摯でない。
その一言。僕に向けられてのそれならば、異教徒と言えども、生きてる内に、せめて遺作を読んで、その生母の愛する子息の真意を、問うのが、対象者の礼儀かも知れない。
その母と、ご子息は、同じ墓地の同じ墓石に在るのだろうか。
それを確かめるより、ご子息の小説を読むべきなのだろう。
果たせるかな。読ばずんば、不徳か。

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木々高太郎さんの言葉に、ひとつだけ、記憶があります。
『文学は復讐である』。まさか、ラジオで聴いても、復習と解釈する者はいないでしょう。
彼は、医者であり、作家だった訳で、どっちに軸足置いてたか、定かではありませんが。二足の草鞋、は森鴎外以降の、この国の、私小説よりか薄い、暗黙の許容であったのかも知れません。
それで、この『復讐』は、『もしもし、語弊さん』のそれらしく、
読んでませんが、井川比佐志も主演した「箱男」の線でいくと、いわゆる『リベンジ』で、文芸という美的表現で、いくらでも、対象を膨らますこと可、あるいは皮肉ることも可。
それらが出来る者の、抵抗もしくはカウンターパンチ、と受け取りました。
あくまで、前向き、余芸でも。
若き美学に殉ずるのではなく、老いと闘うには、医療が係わる以上、二足の草鞋を履いて、老いるを往った作家の言もまた、吟味するに値するのではないでしょうか。

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文芸、は美学の対象、なんでしょうね。
文芸評論家は、虚構の美、の小説を、同じ文字にて評する。
映画評論家も、虚構の美を含む劇映画を、脚本を有するそれを、それでも文字にて評する。
それが、哲学者は、虚構の美をば、ロゴスで、そんなものは、『美しい虚構』に過ぎない。『自然の模倣』に過ぎない。と、突っぱねる。
ヘーゲルの歴史哲学は、対戦争に、抗して使えるが。
『自然の模倣』に過ぎない。やれ書斎だ、アトリエだ、映画館だ、劇場だ。そこに、籠もってすることは、『第二の自然』で、自然そのものではない。創造主、云々。
チャーチルは、断崖等からの風景画写生を、当時からある、与野党の議会討論、ディベートのストレス解消でしょうがねぇ。
ま、だからこそ、『第二の自然』でも、それを創作できる作家は、評価されるんでしょうが。
美的創作が出来ないのが、哲学でしょうか。
だから、耽美主義などと、いうのは、哲学では範疇外なんでしょう。
映画言語は、監督業の視覚的言語なんですよね。確かに、働いているのは、いや働かせているのは、理性なんだろう。
『事務的、嫌ね』の実業に対して、『美を楽しませる』虚業がある。タイプなんだけど、ね。
読者、観客を楽しませる仕事は、虚業、を突かれると。
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先日参加した、長崎からの青少年メッセンジャーの方々の歓迎会、の際もらってきた、地元の方々の戦争体験記録集、を夜間読んだ。
その中に、俘虜生活された兵士の方が、貨車でシベリア送りの際に、日本軍医の検診に、とっさに「肺浸潤」(結核)と答え、シベリア送りを免れた、エピソードを載せていた。
あれっ、どっかの誰かと似ているな、と。
似非、という形容は、合わないだろう。
生死の分かれ目、ではある。
長崎からの歓迎会でも、会場で、被爆都市から、生き延びて、現在同じ自治体で暮らす被爆者の数名も、体験談を語り、場内は緊張と沈黙につつまれた。
戦後66年経て、なお彼らは語るのだ。
とって代われない痛恨の極み、非情な体験をば。

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仏教の『輪廻転生』は、わかりません。後にも先にも、ひとり、しかない自己を、それが、後年誰かになんて。でも、それは、異教徒が百年とか千年単位で考えてないから、と言われれば、返答に窮します。
先日、奇妙な感覚を持ちました。左後方に誰かを感じたのです。それは異教徒の方で、昭和の人でしたので、彼が出るはずがない、何ももっと出る相手がいるだろう、が実感でした。
かように、こういう感覚は、意識できる生きてる個体が、それ故、彼を思うから、出るのであって。