かいふう

近未来への展望や、如何に。

ある戦争未亡人.その2

戦争未亡人が家主の棟に下宿する、その確率は。
平成になって、もうすぐ昔々を経る現在では、おそらく探すことさえしないだろう。
おそらく、その人も、ひとり娘を抱えて、日本遺族会に、その会員になっていただろう。下宿する、被扶養者たる少年には、そんなこと告げやしない。
空いてる部屋で、半人前の男子でも、番犬飼うより、兄弟を知らずに来たひとり娘の為には、防犯上もまし、と判断で、話し合って、決めたのだろう。
母親は、すでにそれが優先する。それが、本能なのか、母性の勘なのか、少年は知らん。
ひとり娘はすでに二十歳の妙齢で青春の只中。少年は、未だ思春期の只中。この年齢差は、大きい。
それでも、受験から解放され四季が過ぎれば、学友も出来、彼らを呼んで二階から、物音がしたら階段越しに、どんな美人かと皆に見せたがる。
ある日、玄関開けて、黒い革靴が左右あるを見て、嫉妬より諦めを決める。
ある日、隣駅近くの踏み切りで、向こうから帰宅する母娘を自転車上から、互いに声掛けずにすれ違う。少年は、そのふたりの顔の並んだ表情を、こぐ自転車より速く読み取ろうとする。母子共微笑らしきで、少年も満足する。
更に四季が過ぎて少年は、姉貴と弟は擬似殻なんだ、と思い込む。
ある朝なんぞ階段上から、出掛けようとする玄関の彼女から「あら、早いわね」といなされ、遠回りするその団子に結い上げた黒髪を、階段のちいさな窓から見送る。
そうだ、初年度北海道旅行土産にくれたのは、トラピスチヌ修道院のバター飴だったっけ。

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最近TV放送で、徳山の動物園、マレー熊のツヨシが、檻に付けてくれる餌など、取る直前に同室のメス熊に横取りされて、両手で頭抱えるポーズ、わかるな。
後日熊のツヨシは、別の伴侶を迎えたそうだ。
自分が二十歳、北海道バイトでは、就労先の家族と摩周湖弟子屈の温泉、そして熊園で見たのは羆と月の輪熊だったろう。
トラピストさえ帰りに寄らなんだ。

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この戦争未亡人の判断は、概ね正しかった。
ひとり娘と、同じ棟に住む、同世代の同性も下宿させていたから。
少年の部屋が、始めから、同世代の同性のそれであれば、話は変わっていたかも知れない。しかし、空いてる部屋の方が広く、防犯上男が入るべきだったのだろう。
ある日、玄関開けて、二階階段への廊下に上がった途端、面前の和風ガラス戸をいきなり開けて、また閉めたは、かの姉貴様だ。
若い娘がひとり留守番、誰かと開けたら、二階の思春期中の半人前の下宿人。
そりゃ、ドンピシャ、だよね。
先日は折角ひとり、ペギー・リーの「ジャニーギター」♪レコード掛けて、婉曲に階下から呼び掛けてくれたのに。でも、弾けないんだ。ギターで曲弾けないんだよ。あれは、呼んだ親友が自分のギターで弾いたんだよ。
この件で、女系の館から、家出する。浪人中になったら、またドンピシャ何度も、耐えられない。
しかし、姉貴様はすでに青春の只中だ。就職決めて度胸付いたのだろう。空港近くの社員寮から『時々帰ってくるわ』だと。

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少年側に、運悪いというか、未熟というか、人様に云えない事があった。
それがあって、後日その棟を出たか、追い出されたか、の遠因のひとつかも知れぬ。
人様に云える事は、母親の方が、畳を変えて、と言ったことだ。鮫肌で入居して、よく油汗の垢をばら撒いて、それが畳にこびり付いたからだろう。出る時、それらをふき取っては来たが。ロマンスも何もあったもんじゃない。

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ひとり娘さんは、男勝りの勝気な性格。ぐるっと、ひと回りして、子連れで歩くを、すれ違った。
何故彼女は、すれ違う時その子をコート内に隠したんだろう。彼女の向かう先に、かなりの距離があるが、古風な木造りの尖塔もある川沿いの教会。でも、そこに通ってる風に見えない。こっちも通ってないから、わからぬ。
そういえば、別の日、違う生活道路で、乳母車押してた。自分の後を、押しながら歩いてたようだ。
乳母車の中の子と、コート内に隠した子が、同じ子か知らぬ。
母から、子どもはふたり、と聞いた。

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戦争未亡人として、そのひとりとして、その母親はとても強い人だった、とおもう。嫁ぎ先の家としては、最高の嫁であったろう。

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さて、ここからが、違う。
その戦争未亡人が、ある日、老いたがゆえか、いかがわしいまるで女郎屋の女将のような笑いをこれ聞こえよがしに発する戦争未亡人、になってしまった。それからだ。
そんないかがわしい笑い声など、誰も聞きたくもなかろう。こちらの被害者意識が強いだけか。

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峻別を、言う。
自分は、意識して、戦争未亡人の墓に行ったことがない。
差別ではない。いち度として、女郎屋の女将のような笑いをしなかった戦争未亡人の墓に行ったことがない、のだから、ましてや、いかがわしいまるで女郎屋の女将のような笑いをこれ聞こえよがしに発した戦争未亡人、そのような者の墓に詣でる理由も義務も無いのだ、と。
戦争未亡人が、意識して、いかがわしいまるで女郎屋の女将のような笑いをこれ聞こえよがしに発した戦争未亡人になった、その対象が、自分であったならば。
否、それは、自分がその下宿を離れて後、番犬を飼ってまで、家を守り、ひとり娘が大空で事故死殉職するその確率を耐え抜き、無事孫たちの顔を夫の墓前に報告した、その安堵と解放感からの哄笑であったやも知れぬ。
偏狭な解釈は、戦争を知らぬ者の為せる業。
もう止めよう。おそらく借り貸しは、無いのだから。
自分のその戦争も終わったのだろう。