かいふう

近未来への展望や、如何に。

ポスター三昧、もとへ。ポスター三枚。少なくとも、そのひとつは、係わっている。

イエス

半世紀前、宛ても無く。自宅から、下宿まで衣類を持って帰る途中。映画ポスターを見つけた。「死ぬにはまだ早い」。一瞥して、その場に釘付けになった。ある期間、幾度も往復した路すがら。何故、今回は、見てしまったのか。見つける事が出来たのか。邦画だし、記載の主演の若手俳優の名も知っていたから。しかし、偶然にしては、見た少年の心中を、射貫いている。まるで、私の為に、秘かに用意して。待ってましたとばかり。眼前に貼ってあったのだ。少年故、そのまま率直に受け止めた。未来への扉を、押し開けてくれたようなものだ。
学生時代。狭い下宿に、若い売り出し中新人女優の全身の「育ちざかり」を壁に貼った。学校正門前での販売を偶然通りががって。私も若いという確認が為。
そして、「二十四時間の情事ヒロシマ、モナムール)」。生で見ようがない。何処かで、見たのだ。気に食わぬ題名だが。仏語で、訳せば。「広島、わが愛」。モノクロで、日本の男優と、金髪らしい、フランスの若い女が向き合っている。ヒロシマで、日本男児と仏女。そんな出会い、あったっけ。受験参考書の歴史はおろか。そんなエピソード、知らないな。
この劇映画。和解と理解、の映画なんだろう。監督は、シュールレアリスムの旗手だ。その手法なら。可能なのだ。
しかし、日本での配給。すなわちポスターも含めての題名は、上記のごとき。【被爆地】が無いヨーロッパの監督に、【被爆国】の国民観客が、【被爆者】と共に歩む架刑を背負わされての戦後。寓話の類に、わが愛、を受け止められようか。
それでも、「夜と霧」をドキュメンタリーで撮った監督は、そのような日本名だとしても。仏原題名を添えて。戦争中の同盟敵国の関係を。彼が修得した手法を介して。和解と理解、を提示する自負と役割を務めた。後は、日本人が素直に観ればいいだけの話だ。
その重責を担って、果たした映画だ。