かいふう

近未来への展望や、如何に。

「生命之光」を読んで.その4。

2005年10月号の「生命之光」が配布を手にしたので、ここに紹介させていただく。この号は、手島郁郎創刊、日本よ 永遠なれ!、となっている。別冊号である。
今回は、ある集会にて、「クリスマスの集い」〜「生命之光」読者 感謝会〜、という小冊子とともに、いただいた。賛美歌を、多くの集会の方々と唱和したのは、幾年ぶりであろうか。自閉症気味のリハビリにはもってこいだな。ありがたい。
この別冊号の特徴は、内村鑑三、手島郁郎、両氏の写真が掲載されてある。
内村鑑三氏の写真は、以前なにかで見た記憶があるが、同じものとはいえ、ピントもしっかりしてるので、面構えも気迫も、明治、って感じが伝わる。やや片方を見ているので、斜めに撮っているものである。
手島郁郎氏の方は、正面を見据えた穏やかな笑顔である。だけれど、こちらを見通した眼差しは、鋭い。
信仰講話、日本的性格の無教会、は内村鑑三氏の著作を読んでない者にも、系譜としての無教会主義的信仰を解き明かしてくださっている。
要諦を載せた、入門の、別冊号なのだろう。だから、数年経ても、集いで数多くの新参会者が来た時にこそ配布されるのだろう。
実際、キリスト者の団体の集会をこの眼で見たのであるから、確認したという事である。
会場で上映された、2本の映画も、いわゆる商業ベースの劇映画や、作家の意図があるドキュメンタリー映画ではない、のは勿論。
そのまま、観ている。だから、感想は、イスラエルの自然の美しい風景やら色とりどりの野の花々に、ゆったり流れる緑の田園地帯に、驚嘆する。
行ってみたくなる。すでに、巡礼者の気分。すんなり、肩張らずに、観てました。
日本の自然風景とは違う。
もうひとつ、「マタイ伝」からの、ある姉からの信仰の証し。
映画によるものは、はじめてといってよいので、それも、こちらの読み解きの無さを思い知らされた訳ですから、ショックです。
それは、この別冊号で、「生命の光」発行人の挨拶として、弟子として述べている方の証しですから、なお強烈でした。
エスに到る、系図の辿りですから、遡ってますから。何千年とは知らず、何百年も知らず。
そんな事もあった。そんな境遇の人もいた。これでもか、これでもか、ですよね。
失神、のいわれは、この系図を辿っての、齢百年、長生きするのも芸の内、なんてものじゃない。気が遠くなるんでしょう。
それを、会場の諸兄諸姉のもの言わぬ、信仰の集合体が、気を失う新参者を支えているんでしょう。
あっ気に取られる間に、それでもイエスが何者であるか、そこまで到着してしまったのだから。

少年の頃、田舎で、湖で過ごした夏休み。砂時計形の透明ガラス瓶に入ったオリーブオイル。それでこんがり背中を焼き、学校に戻った時誇示する想像の愉快さ。
本日その実の淡いグリーンを、やっとかじった心地好さ。
種は捨てずに、ふるい茶箪笥の透明ガラス戸中に置いた。

                                                                                                                    • -

社福法人、「エマオ学園」、は消えてなくなり、
「単立 復元イエス キリストの教会」も消えてなくなった。
さぁ、ならば我が身、何処に留めようか。