かいふう

近未来への展望や、如何に。

「生命之光」を読んで.その6。

2008年1月号の「生命之光」が配布を手にしたので、ここに紹介させていただく。この号は、手島郁郎創刊、講話 盲人バルテマイの叫び、となっている。通算ナンバーがNo.663である。
表紙裏、筆・大庭 節朗なる、
『 神命の息を吹き入れたれば
   人は生ける者となれり  』         創世記第二章
新春インタビュー、「赤ちゃん、こんにちわ!」で、
ある病院に勤務される看護師長の会員の方を訪問の記事で、
三十年間に五千人近い赤ちゃんを取り上げた彼女の、引用が、
上記の箇所である。

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学生時代の部活動、部室の入る体育館からすぐの喫茶店で、キャプテンも居ただろうか数人、女主人が『だって、産めないでしょう』。
それに、『詩は生めますから』とか返答しちゃって。
部誌に合宿体験の感想の詩を載せて、冬休みの再合宿に行ったら、女の先輩にはオバQをにおわされ、同期には『ナガ生きするよ』と逆説されるほど、およそ詩才もソーシャルQもない、屈折した投稿だった訳だ。

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「こんにちわ 赤ちゃん」♪は、たしかレコード大賞だったかな。梓みちよさんの歌で、「忘れな草をあなたに」♪という佳曲もあった。
この佳曲は、修学旅行の際のバスガイドさんが、車内で最後に唄ってくれた。

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今月号も、マタイ伝からです。解説文中、エーリッヒ・フロムの名を見つけようとは。
対談、無教会ってなんですか、において、明治三十四年創刊の『無教会』で内村先生が解説は、定まってないのを、確固たるものに導いてくれます。読んで、安心しました。落ち着きます。

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自分も参加を許可されている、あるグループメールで、最近、そのひとりから、いよいよ始まる裁判員制度の、抽選で目の不自由な人が当たってしまったらの、そんな問い合わせが、送られて来た。
そうだよな。目が、口が、耳が、身体が、不自由だからといって、それこそ、除いて抽選したら、もう差別だよな。
でも、では当選しましたからって、宝くじではない、討議会場まで、どう交通手段を選んで行く算段なのだろう。目が不自由な人ならば、盲導犬を連れている人にだけっていうのも、その時点で、作為が入ってしまうことになろう。
まぁ、来年春らしいけれど、課題としては広いので、すぐ回答など、当方できる訳ないだろう。

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NHK教育「こころの時代」再放送 午後2:00

太田愛人牧師を迎えての「パウロの手紙」。前回は、[旧約]や、日本史に係わる義人の解説が主だったので、今回は、「ローマ人ヘの手紙」、遺言としてのパウロの真情吐露ということで、視聴した。
律法について、それにおける夫婦の在り方というか、あれだけ歩きまわった人だから、伴侶がいたか定かでない、と。
「アバッ、父よ」のカタカナは、アラム語である、と。イエスが語っていた原語である、と。
もうひとつの指摘、司会のアナウンサーの方も述べていたが、親鸞歎異抄」が、パウロに近い、と。前の対談者が、浄土真宗の方だったので、比較しやすかったのだろう。他力と自力。
同教でも宗門が数あるのは、開祖の方の性格だと、そうおもっているので、単純に分けてしまう。
太田牧師が師事したのは、北森というと、「聖書の読み方」の北森嘉蔵牧師のことであろうか。