かいふう

近未来への展望や、如何に。

「NHK 戦争証言アーカイブス トライアルサイト」を視聴した/「NHK 大河ドラマ『天地人』」を視聴終了した/「NHK スペシャルドラマ『坂の上の雲』」を初視聴した/「NHK 歴史秘話ヒストリア『バウムクーヘン』」を聴いた/盲導犬の価値を問う裁判。そして『盲導犬は郵便ポストを壊さない』/秋葉原無差別殺傷事件現場を通過/園芸学部被害者に認定書/地下鉄サリン事件から15年/時効廃止法案、可決/種牛の価値を問う疫病対策/日航123便事故から25年/看護師3人事故死で、地裁判決/国歌斉唱、最高裁判決は初/国交省、

kaihuuinternet2009-09-09


「証言記録 兵士たちの戦争」
ここの「アンテナ」にも載せたが、DVD購入の心算が、ネット期間限定で視聴可能ということで、ならば、と主に深夜、ひと晩2本ずつ拝見した。それ以上は、ウツ状態になるので、控えた。
受け止めるのは、難儀でした。
60と数年前、かくも地獄を凄惨に、戦友を戦場に残して、故国敗戦の地に辛くも生還した兵士たちの、封印してきた年月と、艱難を誰にも語らずに過ごした孤独を、おもうに、堪らなく。

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やはり、明治からだろう。
大艦巨砲主義、あれは、日本海海戦の大勝利で、それが尾を引いた。戦艦大和並びに武蔵、その最期。
それらを動かす、燃料。石油。資源小国の我が国。
石油は、新世紀になっても、その争奪は、各地の紛争、そして軍隊派遣で現状も変わらない。

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無謀である。正確には、であった。母国に在る、大本営及び参謀本部とは、何の集団であったのか。職業軍人、イメージでしか捕捉不可能な、この極高度に訓練され、勝利貫徹の教育を叩き込まれた、戦死が名誉だとする組織集団とは。

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連隊規模が先ず基準で、地域召集。記念写真も、その大所帯で撮影されてる。1連隊3000名から4000名。
行軍といっても、現地を知らぬ、参謀本部の上級将校らが、略地図広げて、ああだこうだ、と仮想の陣地移動やって、送り込んだ将兵の、糧秣及び武器の補給には、何も考えん。
それじゃ、生きてる兵士もやがて死ぬ。それがわかってて、勇気が足りん、とか。こういう軍人が、日本刀腰から下げて、無理を反論すれば、天皇陛下持ち出して、『上官の命令は絶対だ』なんて、恐いよ。
始めから自暴自棄。負けるのは、わかってた?
戦争の終わらせ方は、統帥権を口に出せる、更に上の、極々少数だから。作戦練るのは、その部下か。
同じ軍服着て、心臓の位置に縫い付けたるは、位の紋章。それで、どちらが上官か判断する。体験してみなきゃ、わからん。軍隊は。
軍隊が歴史を掌握した時代。軍事に才能ある人も少数居る訳で。見つけて登用するか。お国の為、のひと言で、そう容易く才能が見つかる訳でもあるまい。
再度云う。無謀だ。斬り込む、って、将官クラスは軍刀抜いても、兵士たちは歩兵銃の先に銃剣なんでしょう。
時代錯誤もはなはだしい。明治時代の突撃を、昭和の敵陣に向かって、やってる。夜襲だからって、曳光弾含む照明弾の下、あるいは隠されたマイクなど、死ぬとわかってて、やってる。そんな命令を出す。もはや、狂気だ。
戦争がそれだ、と言ってしまえば、答えなんで。

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証言する元兵士の方々、皆さん、ご高齢です。故に、亡き戦友の話を、やっと重たい口を開いて、伝えてくれたんだ、とおもう。
年齢からするに、大正生まれの人もいる。
それよりか若い者として、拝聴しました。

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この取材は、各地の支局がしています。連隊の慰霊碑もその地にあるのでしょう。同郷の地を時を同じく出征し、哀れ戦友を彼の地に置いてきた、
戦場を通過してきた彼ら証言者の悲しみは、その表情は、こちらは表せない。
だから、彼らの告白だろうが、話だろうが、その表情を見て取る。

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封印してきた年月。戦友に対するおもいが、彼らをして、証言する。

999    『ヨハネの黙示録 第十三章十八』
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なんだ、「銀河鉄道999」と同じじゃない。
いいんだよ。いち度、その作者見かけてるから。
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8月のNHKの特集で、数回に分けて、延べ400時間を費やした、戦後「反省会」の集いの録音テープが、放送されたが、そこに出席したのは、海軍軍令部将官佐官クラスの方々で、それぞれが意見を述べている。
すでにご高齢の方々。当時現地指揮官や、本部建物での軍務やら、様々の意見で、錯綜し、誰の判断ミスとか、情報不足とか、いわゆる責任の所在が、断片でしか、受け取れない。
それでも、今年の夏で、もう終わりにしよう、自分には、ラジオでの聴講でもよかった。苦しんで、聴きました。
こちらの会合も、やはり証言だと、おもう。
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千鳥ヶ淵戦没者墓苑、のホームページを開けると、その「反省会」の会が毎年、恒例の墓参を日程に組んでいる。
そして、連隊召集の元兵士の方々の某会も、この墓苑を訪れる。
彼らが一同に会するのは、終戦記念日なる日に、武道館で皇室ご臨席で全国の追悼式典が挙行される、その日の午前中、ここでも式典がある時だろう。
集団と、集団。意見交換などというのはあったのだろうか。

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それで、世代も違う、職業軍人でもない、その者は、両者からそれぞれ、情報を収集することになる
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本日の日付で、追加分の証言が、掲載された。
8人である。
その兵士のひとり、「サーモの、ある軍曹は『なんまんだぶ』と三度言った」は、残った。理由は、探して、読んでください。
伝言は、受け取るものだ。この話は、ぼくがそうしよう。
ビルマの竪琴」はすぐれた小説であり、劇映画も複数作られた。
この軍曹の事は、ぼくが忘れないことにしよう。こういう人が居た事を、ぼくは記憶に留めることにする。
諦念ではない、とおもう。
銃も担いだこともない、外地へ兵役で赴くこともなかった者が、
引き金を引く足の自由も無く、投降を許可される訳も無く、独り置き去りにされるのを、捕虜で助かる可能性をも知らされず、戦友にお願いした、
その最期の言葉だからだ。

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たった、それもわずか60数年前の、同じ日本人の、若者の言葉とは、
とても信じられん。
信じられぬからこそ、この軍曹を思い出して、厚かましくも、生きてやろう、とおもう。
それを、たとえば、自分の免罪符にしようとはおもわないが、条件が違う。
生きる条件が、天と地ほど違う。いや、まだ足りぬ。更に詳細、正確を記するなら、方や晴れた空を見上げて穏やかに両手を合わせることができる。
方や地上にあっても地獄で、敵に生命を絶たれるよりかという凄惨な現場だ。
まだまだ、自分は辛くない。
この軍曹の事忘れぬ限りは、生きていけそうな気になる。
そういう気にさせてくれる。その軍曹の、彼である。
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16日の日付で、追加分の証言が、掲載された。
2人である。
その兵士のひとり、今風に言えば自動車の整備士、その兵士が語る。
ガソリンがなくなり、車体を埋めて放棄して、更に歩兵として編成され、陣地を守った。戦車に、すでに部下を失くした若い将校が、日本刀を抜いて、ひとり斬り込んだ。
それが、最高の道徳だった、と。指揮官を失い、それで、極少数の同僚たちと生き延びた。
死ぬ心算の者は死に、生きて帰ろうとおもった者がそうなった。
そういう戦況は203高地まで辺り、が、昭和の戦場でも繰り返されていた事に、驚いた。夜襲の斬り込みしか、他手立てが皆無だったとは。
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24日の日付で、追加分の証言が、掲載された。
5人である。
いわゆる、『不幸中の幸い』とは、何だろう。娑婆のことでのことだ。
召集を受けて、土地勘どころの話ではない外地へ。
それだけなら他人様、不幸とは呼ばぬ。
戦場で、何度も、生き残る。周りの戦友が、敵軍の雨霰の砲弾、銃弾に阿鼻叫喚の中倒れていく。それで、ひとりになり、静寂が包む。
誰もいない。誰一人いない。
それで、彼は考え着く。「生きて帰って、このことを伝えよう」
それを、もはや、命令を受ける指揮官を持たず、かつ反復する同僚も見ない彼は、任務として自分に課する。
戦友が皆言っていた。『銀飯が食べたい』
ひとりになって、彼も同感する。

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『先任兵殿、わたくしも、2009年9月、秋分の日から数日の真夜中、銀飯を腹いっぱい食べたであります、敬礼!』

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雨季で増水した大河を、泳げる者も泳げない者も渡る。命令。
飢えで敗走した、その身体で。砲兵ならば、それをも解体運んだであろう。
『白骨街道』と皆誰とはなしに云った。
『ナニ』という省略語がインタビュー中、多い。耳障りに近い程だ。
それで、生年を確認すると、御ん年90歳前後。
本人が言う、軍国時代のまっただ中。
昔々のそのまた昔、受験勉強で古文漢文、イヤイヤ憶えた節もある。
だから、古参兵隊さんの『ナニ』という省略語群の多使用も、聴いた。真実への欲求が勝った。貴重な証言に代わりはない。
語るも苦しく、聴くも苦しい。
『不幸中の幸い』が虚しい、亡き戦友たちの話だから、聴いたんだ。
今聴かずして、何時聴くというのだ。
それはそれは、厳粛にして静謐な。 
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10月2日の日付で、追加分の証言が、掲載された。
5人である。
沖縄戦に加わった兵士の方、かって自分も摩文仁の丘で地元添乗員の話を聞いた旅行をしたので、思い出して、重ねたりした。
結局、彼の中に、亡くなられた数多くの戦友たちは生きていられる訳だし、証言の臨場感たるや。生死の境って、なんなんだろう。
それは、命がけで戦った、彼と彼らだけの聖域だからな。
その話を、自分が聞いたんだからな。

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本日は、中川昭一さんが正式の通夜である。それに出席するだけの付き合いがないのです。
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10月9日の日付で、追加分の証言が、掲載された。
6人である。
若い時、アルバイト先の農家の主人は自分に、彼の若い時、満蒙開拓団に応募して、終戦で帰国、その時の体験を生かしてか、募集北海道へ入植した、と聞いた。
だから、半ば強制的に、同地すなわち満州へ、しかも都会の商店街の住民が、家族共々海外へ移住は、信じられんかった。
しかし、工場への徴用、さもなくば若い者は兵士としての召集。
それで、家族みんなで、かの酷寒の大地へと、移らされた。
満州は広大である。歴史の地図を探せば、その面積から、想像できる。
軍部は、ここでも国民を欺く。過大宣伝をもって、彼の地へ送り込んだ。後年の大事の際の保証もせずに。
地獄を見た人びとだ。そこから、かろうじて生還を果たした彼らだ。
だから、お爺さん、お婆さんの話なんだけれども、聴いた。彼らの顔かおも視た。
ソ連軍や匪賊から追い込まれての集団自決、赤ん坊や小さな子さえ手にかけざるを得なかった、その光景たるや。
それさえも聴いた。
少年が、同様に逃げた2つ年上の少年の最期を語る。
走る馬で追ってきた長い鎌を振り回す匪賊が、少年に言うは、日本刀を差し出せば命を助ける、と。それで、投降恭順した2つ年上は、それに従った。そしてその少年は、その匪賊にその日本刀で頭を一撃されたのである。
その少年が判断を誤ったのであろうか。否、未来ある少年とは、そのようなものであろう。大人の言うことに嘘偽りは無い、と。
どうせ子どもと大人、それも使い方も慣れぬ。相手は荒くれの匪賊。
武器を放棄すれば、助けると言ってきた。そしてその少年は戦わずして、棄てた武器で殺されるという、結末をむかえる羽目になる。
そんな、彼に、『投降放棄の日本刀で匪賊に頭かち割られ死少年』と名付けた。名も知らぬ。こうやって記憶しよう。
そして、似たような情況に遭遇したら、彼を一瞬思い出したら、たとえ相手が匪賊でなくとも、武器を手にしてまいと、彼同様は決してしまい、と。
たとえそれが、口から『冷凍秋刀魚がごとき言葉』であろうと。
今度は、戦うのだ。彼の力も借りて。偽装せるその敵に、撃退の言霊を放てやよし。

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昭和の半ば、お堀の内に住まわれる家族に対して、それを放った者の首は使えぬ。
昭和の前半、シブヤン海上の戦艦艦橋で、軍服から飛んで消えた心臓から血どくどくの、その首は見当たらぬ。
だが同じ昭和、帰郷果たせぬ『投降放棄の日本刀で匪賊に頭かち割られ死少年』の頭部なら、
未だ抱えて、彼の力も借りて、老人といえども、偽装せるその敵に、撃退の言霊を放てやよし。

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これが最終回。これら免疫を大事にしたい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~<ご意見・ご感想>を載せる
「やはり、戦後60年と数年、これでないでしょうかねぇ。なんだか、少年時聴いた野球中継の解説者のごとき、言い回しになってしもうた。かく言う本人も、還暦を通過してしまったので、もう後は、野となれ山となれ。
昔々。明治100年、という年に、様々なモノクロ記録フィルムが編集されて、その記念すべき年に遭遇した我を、この国の近代から現代まで、祖父母の居た田舎への旅も絡めて、おもってみた。受験用歴史を詰め込み、何が歴史をつくり、人を動かし、戦争を繰り返す遠因から要因まで、探してみた。その節目に、話題となるイベントに参加し、後日吹聴するネタにしようなどと、コソクな考え方に泳いでもみた。未だ、集団に埋没してしか生きてない、と感じた。得たいの知れぬ怖れる力は、どこで生まれ、どう結びついて、どんな形で現れるというのだろう。幸運と不運の境界線は。虐げられる者と、圧制者は何が変化して、分かれるのだろう。誤謬を、何故見過ごす。そのまま何時まで引きずろうというのだ。殉教者は何故そう呼ばれ、遺徳などと、巡礼者は列を連ねるのだ。人は、巡礼者にでもなれ、それでも延命せよ、が本能の為せる業か。
よって、戦争とは巻き込まれるものと、答え。想え。
共に出征し、共に戦い、そして友は戦死し、我は辛くも帰りなん。そして、戦友を語らん。まさに、それを体現せしが、今回の、語る彼らなんだろう。老いても、戦友を語る。
そんな彼らに、未来を投影する。そうだ、未だ先がある事を、彼らの証言という、戦争体験に、こと借りて、我もその年まで往きたいと、執念を燃やす、糧にする訳だ。
お調子者が、今それを仕入れて、だから、後十年、更に二十年と、来るべき老化、予防戦線を張る訳だ。しかし利用というには、苦しい。苦くもある。薬になったろう、まさにそれである。
だから、良薬を提供してくれた、とおもっている。
それで、もうこれ以上続けたら、危ない。年金貰えるようになったら、にしたい。
いや、そうする事にしよう。決めた」

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個々人だから、細切れで、長い人も居れば、そうでない人も居る。思いの長け、ではなく、思い出したくも無い事を、戦友への喪失感から、語る無防備に、元兵士を視て、こちらも安心して視られるのだろう。結果論だから、戦闘中のなんと幸運の連続か、狩り出された若者の無邪気が勝っている。負傷しても生命力が勝っている、それに密かに乾いた笑いを禁じ得ない。大胆向こう見ずに、同調喝采してる。したくてしてる戦闘状態じゃない。撃たれてる方が多い。殺したくない、のは明白だ。軍法会議ものなら、弁護士買ってやる。そういう感覚共感場面も多々ある。
でも、皆一度しか死ねない。なら、そんな死に方でいいの。いいはずないだろう、と声掛けたくなる最期も多々あった。そう、あった。あったから、もう死ねない。もう死んでしまったから。その時死んでしまったから。
やりきれんなぁ。どうすることもできない。こちらの無力だ。非力だ。
それで、戦争が怖くなる。若者も、善人も、容赦しない。闇に呑み込んで、無言。
答えてくれない、答えない彼らの亡骸に、戦争が怖くなる。戦争が怖い。
若者から未来を奪う戦争が怖い。愛しい者を奪ってゆく戦争が怖い。どんどん周りから消えてゆく。そんなにはやく何故だ。誰の意思だ。解せないから、怖い。
不可解は、やめてくれないか。
元兵士たちの証言は、そう訴えているようだ。
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NHK 大河ドラマ天地人』」を視聴終了した。
幾多の大河ドラマが、茶の間の電灯下で、家族共々、あるいはひとりで、歴史を超えて、テレビという窓から、観られたのであるが。
それも、こちらの年齢の加わる過程を経て、であるから、当時共感を覚えたものも、今はどうであろうか。そんなことは、どうでもいいはずだ。
感動した、その事を覚えていれば。
それで、個人差は承知で、『時宗』、『風林火山』、は新しい。
時宗』は、歴史で、この国の当時国難に違いなく、CGで不可能を可能にしたテレビ画面に、前代未聞の襲来という恐怖と災難を再現してくれた。その歴史とは、日本史、と世界史を兼ねるものである。
風林火山』は、主人公が片目片足が不自由の、しかも足軽大将の生き様。ロケの迫力もさることながら、殿様でない視点が、同僚やら仲間やら、現実のサラリーマン生活に重ねて観ることが容易だったせいもあったろう。ハイビジョンの映りも軽量なったカメラワークも見事だった。リアリズムも進化したんだね。
職場の障がい者雇用率も意識した、福祉の目も養われ認識不足脱却をも促した、とおもわれた。
さて、なんでもベスト3だと、もうひとつ許されると。
以前、『赤穂浪士』があった。『翔ぶが如く』もあった。しかし、地方大名の仇討ち、そして雄藩と云えど其処のふたり、では。
それで、どれ程の回数を観たか、ではなく、気にしてたか、で決めよう。
思い入れが、思い出である。

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主人公直江兼継は、直江津の由来だろう。フェリーが出てたはずだ。佐渡島まで。
この国の、拉致被害者の数ある人びとも、佐渡島に住んでいた人もいる。
だが、未だ帰還しないでいる。
それで『天地人』は、そこで、前回『風林火山』と繋がっているのだ。
風林火山』は、特定失踪者山本美保さん(昭和59-1984-年6月4日、山梨県甲府市で失踪)の救出運動の、支援を含んでいた企画だった、と今もおもっているのは当方ひとりだけ、とはおもえない。
それを、青少年にも報せる、テレビという全国ネットの媒体を、よく利用せしめた番組だった訳だ。
直江兼継が仕える上杉景勝は、佐渡島に遠征、これを治下にしたではないか。
そしてこの両者は、「義」と「愛」で固い結束を、天下分け目の戦後も、減封されても。まぁ、こちらはこの国の百年に一度、毎年3万人の自殺者及び精神医療対象者の増加、それを乗り越えよう、の意図、激励番組の面かも知れぬが。
紀行地の写真、そして小和田哲男氏の検証解説も読んだ。
東北の関ヶ原も、知りました。明智光秀の謀反が、上杉家の窮地を助けた事も。
本当に、歴史はどうなるか、わからない。その事も。

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八海山から、亡き子らの位牌を眼下の盆地へ、老夫婦が佇む。他誰も居ない峠。
夫婦って、やはり無二の戦友なんだなぁ。
適役、当たり役、ってあるんですね。
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NHK スペシャルドラマ『坂の上の雲』」を初視聴した。
初回、大画面のテレビで視聴。
幼少期だから、それも、武家社会とまだ決別が定かでない、そんな時代。
数メートル前に展開する、クローズアップなど等身大のドラマチックなドラマ。
同距離に居る老いた者は、誘っても、観ない。
涙がこみ上げてきた。
こんなに身近に感じて、いいんだろか。
「昭和」生まれが、『明治』を観るのか。

気になる回は観たい。
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NHK 歴史秘話ヒストリア『焼け跡とバウムクーヘン〜あるドイツ人夫妻の苦難と愛〜』」を聴いた。
前回、真田家の赤鎧、伊達家の黒鎧、との対決、も聴いた。
家名を残して、死ぬを選ぶも、時代の為せる定め、か。でも、姫は敵方にあずける、なんて。その辺の感覚が、戦国武士道なんだろうな。
でも、それは、今に至るまで、実際生きている。真田家は歴史に残り、ある象徴として、語り継がれてもいる。

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それで、今回は、バウムクーヘン、と予告で聴いて、食い意地が衰えてないので、
それに釣られて、その日本伝播の由来を、ラジオに耳を澄ませた。
戦争、と地震、が共感を呼んだ。
ひとり息子が召集の故国の大地が連なる地で戦死した日、と父が異国で病死した日。
出征息子がウィーンでの死の翌日、ドイツは降伏文書に調印した。
その父親が神戸での死の翌日、当時枢軸同盟国日本は、天皇が「玉音放送」をした。しかも、先に死んだ息子のそれを、父親は断言して、死んだ。
この符号が、たまらなく、切なかった。
外国人といえばクリスチャン、と偏見、もしくは信仰を抱くとしても。
戦死と、病死は違う。違うだろう。
息子は享年29歳だ。
バウムクーヘンは、焼くのに、職人が熱で胸を痛めて、長生きができぬらしい。
二度の大戦の戦火に追われて、菓子職人が、遠い異国の大地震にも遭遇して、なお職業病にも悩まされての死。
時代に翻弄されつつ、伴侶を得、家庭を築き、職人芸の技術を弟子に伝えた親父。
生還を果たせば、その技術を受け継いで、店舗を広げたかも知れぬ息子。
たった一日の違いで、人の生死を分けてしまう。将兵をやたら死なせてしまう。
若い兵士として死んだ、カールフランツ・ユーハイム

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      バウムクーヘンとサイダー      詞:ピーマン

1. 若い娘が突然テーブル前に座って 英語で話しかけてきたラウンジ
  戸惑ったぼくはそれでも 彼女の顔に幾つかソバカスをみつけた
  こんな偶然思いがけない どうやらドイツ娘らしい
  「みずうみ」も 牧師の息子のヘッセも ゲーテも忘れて
  眼(まなこ)で受け止めているだけだった  あの日
 
2. ニザンの歳はやり過ごし のぼって知ったがフランス山
  「母子像」近くで見下ろせば 地震の跡などもはやさがせない
  そんな偶然思いがけない どうしてフランスの人だった 
  きみが歩いた 瓦礫の廃墟の横浜も 神戸も歩いた
  眼(まなこ)で受け止めているだけだった  あの日


3. ソバカス顔の彼女はウィーンに 喫茶店で注文しただろうか
 赤紙ひとつでかり出され  サイダー飲まず死の若者が
  そんな偶然ある訳ない もしかしてバウムクーヘン
  「にんじん」も 三つの色したピーマンも ポテトも加えて
  眼(まなこ)を澄みわたる空に向けよう  その日

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あれれっ! 「三銃士」を、どんな読み方したの?原作者が、未熟な若者が、己と違う三人の先輩の資質と個性を理解し、それぞれに対応しつつ、それでも彼らと違う己を見つけながら、育っていく、実に作家の広い気持ちを含め、託した、すばらしい教本でもあるんだろ。

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交通事故で死んだ盲導犬を巡り、所有者の財団法人「中部盲導犬協会」(名古屋市港区)と、使用者の熊澤尚さん(74)(静岡県吉田町)が、事故を起こした高知県内のトラック運転手と運送会社に、計約830万円の損害賠償を求めた民事訴訟の判決が5日、名古屋地裁であった。松田敦子裁判官は「盲導犬は、視覚障害者の社会参加や自立を可能にする社会的価値がある」と述べ、同協会へ約300万円を支払うよう命じた。熊澤さんの訴えは棄却した。

盲導犬の「価値」が争われた裁判で、判決が出たのは全国で初めて。判決は、盲導犬について「優秀な子犬を選び、1年にわたる専門的な訓練をする必要がある。視覚障害者の目の代わりとなり、精神的な支えとなっており、その価値は白杖(はくじょう)などの単なる歩行補助具とは異なる。能力を身につけるための育成費用を評価の基礎にするべきだ」と判断。賠償額については「年齢から、活動可能期間はあと5年程度」として算定した。

一方、熊澤さんが「自分の体の一部で家族でもあった」と主張し、求めていた賠償は「既に示談が成立している」として退けた。

この盲導犬はラブラドルレトリバーの雌「サフィー」(当時6歳)。同協会が2000年11月、熊澤さんに無償貸与し、05年9月、青信号で横断歩道を一緒に渡っていてはねられた。

盲導犬育成 理解の契機に
熊澤さんは、サフィーが死んで約1年後に貸与された新しい盲導犬とともに入廷し、記者会見で「サフィーを失った悲しみは計り知れないが、盲導犬が一定の評価を得られた判決だと思う」と感想を語った。

判決では、盲導犬について、歩行補助具やペットとは異なる「社会的価値」が認められた。従来、動物の賠償額は「経済的利益を生むかどうか」が算定基準となる例が多かった。札幌高裁は、競走馬の医療ミスを巡る2007年3月の損害賠償請求訴訟判決で、引退するまでの賞金獲得可能額や種牡馬(しゅぼば)としての予想売却額を基準とした。

一方、盲導犬は、視覚障害者に無償で貸与されている。経済的利益を生み出さない点をどう評価するかが注目されたが、判決は「貸与により、パソコン教室に通い、ハイキングに参加するなど、活動範囲は格段に広がった」として社会的価値を認定。その上で、盲導犬としての能力を身につける育成費用を算定基準とする柔軟な判断を示した。

盲導犬育成団体などの調査によると、利用希望者約7800人に対し、実動数は1045頭(昨年3月現在)にとどまる。中部盲導犬協会の田嶋順治常務理事は「盲導犬育成には膨大な時間と金が必要。今回の判決で、社会が支援の必要性を認識するきっかけになれば」と話している。 (2010年3月6日読売)

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この国でも、要望と、使用できる人とは、大きな差がある。

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例えば、試験の前にアンチョコ、いわゆる出題範囲の解答詳細
ガイド。十代の学生時代、試験直前に、出そうな箇所を特定して暗記する場合など、そういう類の廉価な紙質での市販本。
カンニングなどのルール違反ではない。
そういう情報を、何気なく、伝達した、としよう。
その真意が向こうに、伝わるだろうか。
棄教してないだろうから、わかるはずだ。と独善で通知しても、有効期限が過ぎて、発信側の真意がやっとわかる。
{減点}でセーフも、向こうは{失点}でアウトの判定するかも知れない。61点で合格の心算が、59点の不合格、もある訳で。この間の意思の疎通は、法治国家の、故意と過失の、過失相殺で、内々で、公的に表沙汰にならずに済んでしまう。あるいは済ませてしまう。
去る者日々に疎し、はお互い様。
先程の2点差は、それこそ微妙で、[聖書]なら、差し詰め補欠のマッテヤの気持ち。
熱ものに懲りて、なますを吹く。これでは結果がでない。
誤解のあるところ、付き合いはない。この結論が妥当なんだ、とする。
それで、『盲導犬は郵便ポストを壊さない』という新年にかけての標語になる。いや、新年以降もだ。
別の例えをするなら、国道建設で、そこは地下にしないから、地上部のバス通り、左右どちらか片側だけ削ります。最後通告前、もはや、左側の居住者と、右側の居住者とで、引っ越す者、とそうでない者との利害が分離してしまった。そういう真空状態。離散。天変地異にあらず、国策なり。それでも、付き合いなくなる、は同様。
共闘してのリスクの共有及び収穫の分配より、せずしての無事を選択した。
街角に盲導犬が主人と歩く光景を描くことなく、その社会の実現に向けて、映像の共有を拒否した。
それは志向の問題だから、強制は出来ぬ。

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無差別殺傷事件、その現場を通過してきた。
秋葉原である。平日だから、歩行者天国ではないから。
どこが、その交差点なのか、意識しなかった。
で、帰宅後、某紙連載の裁判傍聴記録を、部分的に、読んでみた。
ひとつは、若い学生友達四人組みが、凶行後、生き残った二人の証言である。
傍聴席との間に、板などの遮蔽で仕切る。
ここでも、事件後、集めたであろう、ケータイ写真もあるかも。
検察官や、弁護人たちの尋問が続く。
「写ってるのはあなたですね」とか。犯人特定の為の長い時間。
被害者に想い出させるのである。苦しく悲しい証言だ。
もうひとつは、働き盛りの男の人の、それである。
脊髄損傷で、車椅子の生活。麻痺で、排便もままならぬ。その都度かき出す、と証言。
7人死亡、10人負傷は、こんなことまで、背負わすのだ。

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かって、連続射殺魔事件、というのがあった。その事件でさえ、犯行の間に空白があり、犯人逮捕後、未成年ということで、刑執行まで、長い期間があった。
その犯人は、獄中で数々の書物を著し、それで悔恨も反省も、読者には社会というものを問いもした。
しかし、自分が理解しようとした限界は、この事件止まりだ。
その時代背景には、未だ戦後回復してない、極寒僻地の境遇。飢えとか貧困が、のさばっていたんだろうに。

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秋葉原といい、どうしてか同日を遡る池田小殺傷事件になると、わからない。
そこまで、タフじゃない。
だから、専門家に任せる。
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後日、田舎者は、『魔の三車線』に、またダマされて、国庫に約二日分の食費を納める事になった。
じゃあ、あの、大道路に、白ペンキの先が曲がった矢印は何なんだ。
それに従っていったら、交差点十字路に呼び笛吹く警官が、手招きではないか。
あの、忘れもしない、JR陸橋下の下るトンネルを、日差しから、いきなり目くらましの暗転。上がって出たら、白ペンキの先が曲がった矢印で右折しようとしたら、正面に交番。
同じパターンではないか。まったく、田舎者だ。

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あの事件現場十字路交差点では、白にピンクのメイドルックの若い女がチラシを持って立っていた。寒い日没に、スカートに細い足で。アキバだな。
インターネット、新聞抜いて第2位の広告市場、だそうだ。
もっとも、その南北の幹線道路、パトカーが左右に数台止めてあって、電気街の歩道にはその警官たちがいる。
未だ取り締まりは続いている。
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花も恥らう乙女、とは、花よりか人の方が大切、という意味だと。
この殺人事件、ネットで現場検証の複数写真、よく見てから、犯人の侵入経路はどこか、推理してみた。二階のちいさなバルコニー、隣接の敷地との仕切り塀。
その塀に跳び乗り、さらにそこから跳びつけば、被害者宅へは進入可能、というのが、ニュース後の、自分の判断であった。
その後、このブログの、アンテナという項目に、とある園芸のそれを追加した。
犯人逮捕、のわずかな願いを込めて。

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日本の警察は優秀である、ことが証明された。現場付近の防犯カメラの記録も、威力を発揮した。前科歴の洗い出し、も効果あり。

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柴又の同様事件は、未解決のままではあるが。

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とにかく、スピード逮捕である。
それで、週末にその週間の新聞を拾い読みしたら、この記事があった。
認定書は卒業証書に相当する。
学部長と指導教官、そしてクラスメート3人が実家訪問、という。
その手渡しの写真も掲載。受け取る父親も、二人とも、表情は悲しい。

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これから先、折りある毎、季節の花々の数々を愛でるだろう。
それでも、それよりか美しい若い女を、失ったことを、皆と回想するんだろうな。
その時強奪した金額が万札二枚だ、そうだ。これにも、憤った。
それで、万分の一の地図で調べると、学生が母校通学で、その被害現場の賃貸に住むは、合理的かつ当然であった、とおもわれる。
この損失を、誰か、埋める術知りませんか。
園芸には、それは不可能なんでしょうか。

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千葉県松戸市で2009年、千葉大4年の荻野友花里さん(当時21歳)が殺害された事件で、強盗殺人罪などに問われた、無職竪山辰美被告(50)の裁判員裁判の判決が30日、千葉地裁であった。

波床(はとこ)昌則裁判長は「死亡した被害者が1人でも極刑を回避する決定的な理由にならない」と述べ、求刑通り死刑を言い渡した。

量刑を巡って、検察側は荻野さん殺害以外にも事件を起こしていることなどから、「死者が1人でも死刑を回避する理由にならない」と主張した。

一方、弁護側は「死者は1人。他の事件の被害者を(死刑)判断の際に用いるべきでない。死刑判決のラインまで達していない」と死刑回避を求めていた。

起訴状では、竪山被告は09年10月20〜21日、荻野さん宅のマンションに侵入し、帰宅した荻野さんに包丁を突きつけ、現金約5000円とキャッシュカードを奪った上、胸などを刺して殺害。22日、再び荻野さん宅に侵入し、遺体近くの衣類に火を放ち、壁や天井などを焼いたとしている。

公判では、荻野さん以外の女性5人に対する強盗傷害や強盗強姦(ごうかん)事件などの審理も同時に行われた。(2011年6月30日読売)

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師走、ここのアンテナに、犯人が捕まるまで、と追加してた地元園芸の項目、向こうが外したので、こちらも消した。
犯人は法治国家の裁きを受けた。

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ここの[オウム裁判]での、地下鉄サリン事件から15年が経た。
6000人以上の被害者、そして13人の死者。
松本サリン事件、との呼称の違いは、都市型犯罪の典型、として記憶して来た。
毎年買う手帳には、1都2府と、6都市の、地下鉄路線図が載ってるが、首都東京の路線数は13もある。
事件当時、その路線数が同数か、調べはしないが、山手線という環状鉄路と中央を東西に結ぶ中央線の主要駅を結ぶ、その深度の段差さえある各線の交差状況は、鉄道マニアでなくとも、興味はつきないだろう。
地上のもはや超高層ビル群と匹敵する、関東ローム層を調査、データ蓄積の、世界に誇る地下土木技術ではある。
ならば、その移動手段としての地下鉄道は、通勤通学の人また人の、極めて社会規範に従順な市民の生活基盤でもある。
地下そのものが、すでに密室だし、さらに駅から駅へと移動する際の満員状態の車内も、その上をいく閉じられた空間である。
空気調和から言うなら、走る車体が換気しているとはいえ、トンネル移動の限定であろう。各駅には、これまた空調設備があるとはいえ、その換気たるや、地上部とは、バス、トラック、そして乗用車、そしてバイクにいたるまで、どの車もエンジン搭載の代物。想わない方が、いい。
地下鉄車内は、乗客数に比例して、人が出す二酸化炭素に息苦しくなる。酸欠が気になり出す。
閉所恐怖症は、季節の変わりを見て気分をはらす、地上走る電車より、あるだろう。密閉に、すし詰め、という語句が浮かんだら、動悸も度合いがちがう。
地震情報が流れたら、地下鉄入り口を離れる、だろう。

そんな、深呼吸はしない、地下鉄の車内で、事件が起こった。
結果が容易に予想されるから、凶悪事件なのだろう。
巨大都市の、充満飽和した、酸素の乏しい、そこで瞬時に呼吸困難に陥らせる、重大犯罪だ。歴史的な。
極めて特異だ。教祖が居て、その彼は、たしか弱視の盲人。そんな彼に、所謂インテリがかくも簡単に引っかかってしまうのだから。それが、集団で、洗脳されてしまったのだから。
この国の、福祉行政の不行き届きを、露呈というか、暴露されてしまったようでもあり、障がい者でも異能あり、を見せ付けられてしまったようでもあり。
だから、今でも、裁判で被告となった彼らには、国家権力というか、貧困層が在って、それに対する施策が足りない、政府への不満が、弱者救済へのおもいが、変形したものが、やはり、暴力という極限行為でしか、と。呼吸困難への手段で、化学反応薬物を、その速効力が顕在化する、地下鉄車内で犯行に及んだ。
最終的には、検察側の意見陳述に似た発言しか、想い浮かばない。

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浅間山赤軍派事件の、同じ思想の仲間内の権力闘争と粛清、とは趣が違う。

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外に向かって、通り魔的に、しかし、規模がかなり大きく、標的が一般市民になっている。

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15年も経つと、地下鉄は、直下型地震、とその対策、と返答するけれど。
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今年7月に時効が迫っていた東京都八王子市のスーパー「ナンペイ」大和田店で女子高校生ら3人が射殺された事件も、警察が犯人を追い続ける上で障害がなくなった。

27日、殺人などの公訴時効廃止・延長を柱とする改正刑事訴訟法が成立した。

関係者は「犯人の逃げ得を許さない」と廃止を歓迎している。ただ、発生から間もなく15年を迎え、事件の風化は否めない。

「真実は一つ。ある一定の時期を経過すると、犯人がおとがめなしになるのはおかしい。時効撤廃の流れは当然」

そう話すのは、事件で殺害された矢吹恵さん(当時17歳)が通っていた町田市の桜美林中学・高等学校の伊藤孝久事務室長(58)。「多くの人が同じように考えるからこそ、早期に改正が実現した」と力を込める。伊藤さんは事件当時、学年主任で数学を教えていた。

事件後、同校では伊藤さんらが呼びかけ、毎年7月に矢吹さんの追悼式を開催してきた。09年7月に行われた式にも同級生や教職員ら約30人が出席、祈りをささげた。伊藤さんは「今年度以降も続けていきたいし、私が退職した後も誰かが続けてくれるはず」と語る。

矢吹さんと同級生だった、中学の非常勤講師大越孝一郎さん(31)(横浜市青葉区)も、「今後、新たな捜査手法が出てくる可能性があり、時間にとらわれず継続して捜査ができる」と撤廃を喜ぶ。その上で「時間の経過で証言の信ぴょう性は薄れ、冤罪(えんざい)を生む可能性はある」と指摘している。(2010年4月28日読売)
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宮崎県の口蹄疫(こうていえき)問題で、県は17日、高鍋町の薦田(こもだ)長久さん(72)の種牛6頭の殺処分と埋却を終え、殺処分対象の家畜はすべて処分された。

これを受けて、県は18日午前0時、高鍋町を中心とした家畜の移動制限区域と、制限区域内の住民にイベントや外出の自粛を求めた非常事態宣言を解除した。

県内で移動制限区域が残るのは、27日に解除予定の宮崎市の一部だけになった。

種牛はトラックで2頭ずつ3回に分けて町内の共同埋却地に運ばれた。薦田さんの家族は荷台を覆うブルーシートをめくり、牛の体を何度もなでて別れを惜しんだ。薦田さんは付き添わず、埋却地で獣医師が注射を打って殺処分した。

県は、殺処分前に6頭の血液を採取した。薦田さんの要請を受けて行ったもので、種牛が感染していなかったことを抗体検査で確認したい意向だ。(2010年7月18日読売)

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この主人が言うように、何故陰性なのに殺処分、が解せない。育てた家族の心痛が、残ります。結果を知りたい。
かって、酪農家で、リンゲル液を持たされて乳牛の出産に立ち会った者からすれば。
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日本航空のジャンボ機が群馬県上野村御巣鷹の尾根に墜落し、乗員乗客520人が犠牲となった惨事から、きょう12日で25年になる。

遺族や日航関係者らは毎年、8月12日に御巣鷹の尾根への慰霊登山を行ってきた。その慰霊碑の周辺を荒らす行為が続いているという。許し難いことだ。

単独機の犠牲者数では最大の事故として、今も世界の航空史に記録をとどめる。その後は、日本の大手航空会社は内外で乗客が死亡する事故を起こしていない。

御巣鷹事故では、捜査当局や事故調査委員会が、米ボーイング社の修理ミスによる、後部圧力隔壁の破断が原因と認定した。

このような修理ミスや、整備不良、設計ミスなど、機体に欠陥があっては、いくら機長らが最善を尽くしても事故は防げない。

国内の航空旅客数は、この25年で約4400万人から約9500万人に膨らんだ。航空交通の重要性は格段に増している。

かつては国際線の輸送実績で世界一になった日航も、御巣鷹事故を境に業績が悪化し始める。ついに経営に行き詰まり、現在は会社更生法に基づき再建中だ。

社員の賃金カットや大規模な人員削減などのリストラも進めているが、安全最優先の大前提だけは崩さないでもらいたい。(2010年8月12日読売・社説)

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誰が言ったか、『慰霊登山』、これは死語にならない気がする。
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横浜市都筑区の交差点で信号待ちの看護師3人が乗用車同士の衝突に巻き込まれて死亡した事故で、自動車運転過失致死傷罪に問われた元私大生の少年(19)(川崎市宮前区)に実刑を言い渡した19日の横浜地裁判決。

小池勝雅裁判長は、判決の朗読後、事故から結審までの被告の態度に言及し「自分の言動が遺族をどれだけ傷つけたかを考えて欲しい」と求めた。

「瞬間的な判断ミスによる事故とは明らかに一線を画する」「被害者の身体的な苦痛の大きさは多言を要しない」

禁固4年以上5年以下の不定期刑(求刑・禁固5年以上7年以下)を言い渡した小池裁判長。うなだれる被告に続けて読み聞かせた判決文には、事故の悪質性や亡くなった3人と遺族の心情を代弁した言葉がいくつも並んだ。

事故当時、右足の親指を骨折し、左足でアクセルやブレーキを操作していたという被告は、公判で「免許を取得してから間もなくで運転に慣れておらず、特段の危険を感じなかった」と説明。被告人質問で「危険な運転をしている自覚は無かったのか」と問いかける遺族には「その時は危ないとは考えていませんでした」と答えていた。

判決は、「停止線の20〜30メートル手前では黄色の信号表示だった」とした被告側の主張を退け、「停止線の約190メートル手前からでも信号表示を確認でき、約50メートルの地点で直進不可の表示が出ていた」と認定。小池裁判長は朗読を終えると、判決中では言及できなかった被告の公判での供述態度などについて「運転に対するあなたの傲慢(ごうまん)さが表れていた」と指摘し、「その姿勢が遺族の心を本当に傷つけた。法廷では罪の償い方を聞けなかったが、重さを背負いながらじっくりと考えて欲しい」と諭した。(2010年10月20日読売)

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医療関係者の死亡記事は、当方も最近よく医療機関を利用するせいか、目に留まる。
この事故も、被害者の数から、消えてなかった。働き盛りが、惜しい。遺族となられた方々の数も多い。
それで、この判決の刑量は、軽い、とおもう。
毎度、若い者が、刑務所暮らし、なら、「聖書」と「憲法」と、罪状に該当する法律をじっくり読め、と言いたくなる。
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東京都立高校の卒業式で、校長による国歌の起立斉唱命令に従わず、定年後の再雇用選考で不合格にされた元都立高教員の申谷(さるや)雄二さん(64)が、命令は「思想・良心の自由」を保障した憲法に反するとして、都に損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決が30日、最高裁第2小法廷であった。

須藤正彦裁判長は、起立斉唱命令について「特定の思想の告白などを強制したものとは言えず、思想・良心の自由を侵害しない」とする初の合憲判断を示し、上告を棄却した。申谷さんの敗訴が確定した。

入学、卒業式での国旗掲揚・国歌斉唱を巡り、最高裁は2007年2月、音楽教諭に君が代のピアノ伴奏を命じた校長の命令を合憲としたが、起立斉唱命令を巡る最高裁判決は初めて。(2011年5月30日読売)
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駅のホームから転落する事故が相次いでいることを受け、国土交通省と東日本の主な鉄道事業者は10日、1日の乗降客数が10万人以上の駅について、優先的にホームドアを設置することで合意した。

国交省は11日、西日本の鉄道事業者とも同様の合意を行う予定。

国交省の発表によると、乗降客10万人以上の駅は全国で239駅。ホームの構造などから設置が難しい場合は、従来の点字ブロックよりホームの端がわかりやすい特殊なブロックを5年以内に整備するほか、固定柵の設置などの対策をとる。

また、全国で約2000駅ある乗降客1万人以上の駅については、速やかに特殊なブロックを整備することで合意した。国交省は、ホームドアなどの整備にかかる費用について、補助金などで支援していく方針だ。(2011年8月10日読売)

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師走、新規開店の黄色ポイントカードの店に行ったら、最寄のバス十字路からの歩道で、黄色の点字ブロックが、その新規店舗の玄関前空き地に続いて、玄関前一直線で、店内へと誘導する。白杖つく盲人も、確か盲導犬連れでもOKでしょう。
同じ店名なので、盲人でもないのに、電話で聴いてみた。
バス十字路のバス大通りの反対側に、すでに既存の店舗があり、そこで今年作った黄色ポイントカードを、地理的かつ時間的に近い新規開店で使用するとなると、共倒れ。それを質問した。貧乏人の少数なんぞ、買った後貰った期限付き割引カードを見れば、なんと両店舗共通なのだ。
まぁ、考えてみれば、卸の配送トラックだって大型が、すぐまた、複数で納品できる訳で、利潤効率はあるんだ。
晴眼者たるは、作った黄色ポイントカードと、同色だったんで、上機嫌だったに過ぎない。
盲人用点字ブロックが何色で、その入る店のポイントカードが何色だろうと、盲人には要らぬ世話だ。
そこで、盲導犬連れだけが、白杖ついても、希望的推測で白と黄色の判別をするだろうその犬と共に、より時間節約できる、より外出時安全を確保できる、犬との共生を選ぶ。
格段の差だろう。ところで、色盲だという犬は、白と黄色の違い、わかるのか。
歩道及び民間大型店舗の敷地内などへの設置、管轄はどこの役所か、知らない。
半額付いてる。開店祝いか、この店舗、菓子パン等、夕食時間になると、その値を書いてる。腐らせてゴミ箱よりか、消費者還元だろう。先ず、固定客をつかめ、だ。何時までか知らぬ。
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東日本大震災からの復興施策を統括する復興庁が10日発足し、本格的に業務をスタートさせた。

野田首相は同日午前、国会内で、平野達男復興相を専任の復興相とする辞令を交付した。首相は同日昼に東京・赤坂の復興庁本庁で平野氏とともに看板掛けを行い、「被災地の期待に応えなければならないという責任の重さをずっしりと感じた」と述べた。

復興庁は、震災から10年後の2021年3月末までの時限組織となる。各府省より一段高い位置づけとなり、復興に必要な政策を企画・立案し、復興事業の進み具合を管理する。復興予算を束ねる復興特別会計を所管し、市町村に復興交付金を配分するほか、復興特別区域(復興特区)の認定も行い、資金面でも施策面でも政府の「司令塔」となる。岩手、宮城、福島の被災3県の県庁所在地に復興局、3県の沿岸部に計6か所の支所、隣接の青森、茨城両県には事務所を置く。(2012年2月10日読売)

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石巻・大川小の不明児童4人、捜索へ準備作業 (2月11日)
がれき処理、全国自治体に協力呼びかけへ (2月10日)
復興特区のスピード認定、宮城・岩手で歓迎の声 (2月10日)
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原子力規制委員会は、東京電力福島第一原子力発電所を、国が原子炉の規制や監視を通じて長期的に管理する「特定原子力施設」に指定する方針を固めた。

規制委の事務局を担う原子力規制庁の森本英香次長が2日の記者会見で明らかにした。同施設は改正原子炉等規制法で規定されており、指定は初めてとなる。

炉心が溶融した同原発と他の原発の安全規制はこれまで法的には同列に扱われていたが、同施設に指定することで国による管理が強まる形になる。

指定後、東電には福島第一原発の安全対策を定めた実施計画の提出が義務づけられる。規制委は、廃炉までの長期的な視点で対策を講じるよう東電に求める方針で、計画通りの対策が行われているか検査を行う。(2012年10月3日読売)

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9月19日発足。
同紙の社説で、原発を推進する経済産業省などから分離させた、とある。
それが、家賃が、六本木とかで、月4400万とか。復興費の一部もどうとか。
そのビルの数あるフロアを借りるのだとしても、納税者の庶民感覚からいうと、怒りの対象にもなろうというもの。