かいふう

近未来への展望や、如何に。

『情けないわね』は、決めゼリフ。に違いない。

関東圏、後楽園遊園地のある、バス通りの、歩道に面した食堂。1階の対面テーブルに、中年未満のカップルが、向かい会っていた。遅れて来た男に、座っていた女が、相手が腰掛ける直前。発した言葉が、「情けないわね。」
その後は、私も食欲が勝って、注文に店員に集中して。ただ、男女二人が、座ったまま。しばらく会話がなかった。店内も、昼どきで混雑してたから。慌ただしい店員の動き等で、こちらも座席確保で。彼らの会話が、耳に入ることはなかった。眼前に店員が食い物を置くまでは、胃袋は目覚めない。で、さっきの女のひと言に、想像する。あれから、二人は注文出したのだろうか。その仲は、どの程度だろうか。さすがに、そこで仲直りして、遊園地行かんだろう。飯代頼む、が女のあの返答でもあるまいに。私の胃袋は、未だ唾液の対象物を見てない。それにここは、池袋ではない。最も、赤い地下鉄は、遊園地の来た。もとへ、北側に在ったはずだ。確か、茗荷谷とか駅。その駅で降りたは、半世紀前の少年が僕だった。うちではみそ汁の具に茗荷が出なかったから、その独特な匂いに引かれたは、中年以降。だから、空間を共有する隣に近い中年未満のカップルが。未だ、カップで祝杯を知らない私の事など、ごちそうさまでした。
何故か、『雪の降る街を』(^^♪をもはや歌わなくなった老人は。「情けないわね。」という女の決めゼリフは、デートで帝国劇場「レ・ミゼラブル」を観劇せずして。その日を、彼をば迎えた。割勘を予感しての、断崖絶壁の、原作小説の表紙扉を翻訳しての。嘆き劇の台詞だったのではないか。
私は、「レ・ミゼラブル」(^^♪のリヴァイバルまで。生きられるか、否定的だ。